June 14, 2009

雨にまつわる

沖縄は今日も雨だった。

江國香織の本で、「雨はコーラが飲めない」というのがある(江國香織の本は大抵所有しているのだが、これは引越しの際に紛失した。または貸していて忘れたか)。

雨というのは彼女の飼っている犬の名で、犬に雨と名付ける、つまり一般名詞を固有名詞としてつけるそのセンスに驚く。で、全体、彼女は雨が好きである。

「流しの下の骨」の中にも、部屋を暗くして家族で窓の外に降る雨を見るという場面があったし、「いくつもの週末」にも(これはエッセイだ)、勢いよく窓を開けて「雨よ!」とか、静かに「雨を見ましょう」とか提案する江國さんに夫が全然反応しないという彼女の驚きというか不思議がる様子が綴られている。当然のことながら、私は江國さん寄りである。


そうして、今日も沖縄に雨が降る。「スコールのような」雨である。
雨を眺めていると、大抵江國さんを思い出す。江國さんは、雨に濡れると物がいきいきとして艶っぽくなる、という。
それはそうかもしれない、と思う。
その一方で、雨の日は物がしおらしくなる、と思う。晴れの日はぴかぴかと当然のように光を浴びてそこに然としている、車や、木々や、建物なんかが、薄暗い中黙って濡れている様が、しおらしく見える。濡れそぼっている一個の独立した動物みたいに見える。
あと、人が見えなくなるから好きだ、といつか違うブログで書いたことがある。傘と雨で人の纏う空気の範囲というか、視線とかが狭まる。


うちの家族もまた、雨を見る家族である。
降りしきる雨の滴る植物たちを縁側から眺める母、とか、ベランダで洗濯物を慌てて取り入れた後に父と共に見る、とか。
父は「いい雨だなあ」という。私は「うん」という。
晴れていたのに急に雨が降ると、地面にこもっていた何かがぶわっと出てくるような、匂いがする。雨の匂い!というやつだ。

雨の日は、学校が昼なのに夜みたいで、わくわくしたのも覚えている。蛍光灯のあかりが心もとなく青白い。廊下の緑もいつもより雰囲気がある。

雨の日にも言いたい。今日も天気がいい、って。

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