June 26, 2009

衝動と自由

なんというか、衝動というものをコントロールせねばならない、と思っている。

例えば、明日も仕事なのに22時からゆりかもめに乗っちゃって台場を散歩するという衝動とか、夕御飯を食べていなくて何か食べたいと思ってついスナック菓子を買いたくなるという衝動とかいう些細な衝動から、好きな人に好きですって言ってしまうという衝動とか、ある人との連絡手段を絶ってしまう衝動とか、絶食してしまう衝動とか、とかとか書いたけど結構全部些細だった。
まあ、人生は些細なことの積み重ねなのだ。


で、そういった衝動というのは嵐のようなもので、頭を抱えてしゃがんでいれば行き過ぎるものが多い。短くて5分、長くて1週間くらいでは去る。と、経験的に我々は知っている。

その5分ないしは1週間をやり過ごすことによって、取り返しのつかない状況や、のっぴきならない状況に陥ることを避けることができる。
そういった衝動の多くは、その結果として不可逆的である。引き返せない。で、そういった場所に追い込まれそうになることを予期して、ここはぐっと我慢だ、となるわけである。まあ厳密に言えば逃げることができないわけではないのだが、何か代償が伴うことがふつうである。


私は、衝動に任せることをあまり良しとしないできたわけだけど、最近の発見としては、睡眠導入剤はこのたがを外す。
しかも悪い方向の衝動、というか、まあダウナー系へ突き進む衝動である。どんな科学的根拠もないけれど、ぜったいそうだ。どんどん落ちて行って、たまにひどいエントリを公開したこともある。理性の欠片が公開を踏みとどまらせたケースもあるにはある。
お酒よりずっとたちが悪い。お酒での酔いはニュートラルだと思う。というか、お酒に酔った時というのはとても冷静に物が見えている気すらする。
もう眠剤は飲まん。断じて。


で、衝動というのは大抵自分を追い込むものなのじゃあないか、と思った。
つまり衝動は、吟味しないでする決断だと思う。というか、決断というプロセスを踏まないで結果だけがそこにあるもの。そうすることが決まり切っていて、見えない手で前へ押し出されていく感覚。
決断というのは他のオプションを捨てて一つに決めること、すなわち不可逆的要素を不可避的に内包するものである。なんて。
それに懸命に抵抗したい、というのもある。これは追い込まれたくないからだ。すなわち、自由を求めるからだ。


で、いつものように一足飛びに行くけれど、あらかじめプログラムされていること(つまり衝動、追い込まれる、決まってしまうということ)と、これに対抗すること(つまり自由であること)というのは、人間の最初から持つ矛盾の宿命のような気がする。運命と自由。欲望と理性。個人性と社会性。諸々。

これは、前の必然と偶然の話とはちょっと違ってくる。必然はここでいう「あらかじめプログラムされていること」と同義ではない。


完全に個人的メモだな。
もっと咀嚼できてわかりやすく書けそうになったらまたまとめる。

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