June 27, 2009

単に、お腹がすいたということ

父のベッドを譲ってもらったおかげで、特別な飢餓はあまりやってこなくなった。

特別な飢餓というのは、件の海底火山を湖に浮かべたボートの上から眺めるというイメージを伴う、あの飢餓である。つまりは、あのベッドが特別な飢餓をもたらしたものだったということになる。私はパン屋を襲撃しなくてもよくなったし、ワーグナーを聴くこともない。そういうことだ。タンホイザー。


人類が、人類の一部が、まあ私たちが、飢えなくなってからほんの少ししか経っていなくて、人類は飢餓と共にあったとはよく言われることだと思う。それは単なる事実として受け入れられるし、だから今をものすごくありがたがることを別にしてもいいのだけど、そうすることで今のところ何かが好転するということもないだろうと思うので、まあ、単にこれはイレギュラーな状態なのだ、くらいには思っている。

そして、飢えること、お腹がすくことと、口に何かものを入れることというのは、そんなに結びつかないな、と思った。お腹がすいている時って、お腹がしくしくするのだけど、口は別にどうにもなっていない。乾いた時というのは口や喉から水分がなくなったような感じがするので、口に運ぶことと結びつくと思うのだけど。
で、昔、最初の人というのは、お腹がすいたときどう対処したらいいものか、迷ったんじゃないかなあという想像。なんかお腹が変だけど、どうやったらこれを治せるのだろう。
で、最初でなくても、しばしば、何かを食べればいいのだという答えを忘れている。うっかり。
多分、お腹がすくことに、そしてそれをやり過ごしてしまうことに慣れてしまったのだと思う。

なんか、いつもお腹すいたなあって思ってる気がする。

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