June 29, 2009

やさしくて小さくて忘れてしまいそう

くるりの「永遠」やら「ハローグッバイ」やらを聴いていて、何やらなつかしいような、あたたかいような、泣きたくなるような、感覚をおぼえて、
どうしてこう、くるりを聴くとこんな風なんだろうって、思った。

それで、考えてみた。考えることは大切だ。考えれば大抵のことはわかる。と、女の子は言っていた。


何か失ったものを思っているからじゃあないかな、とカラスと呼ばれる少年は言った。
何かを失って、失ったことに気づいて、もう随分遠くに行ってしまったそれを取り戻せるわけもなく、途方に暮れて、ふと今の自分の身のまわりや青い空を眺めている、そういった音楽だからじゃないかな。


失ったものを思う心持ちというのは、「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられ」る心持ちと似ている。


村上春樹「風の歌を聴け」の中で引用されている、デレク・ハートフィールドの文章にこういうのがある。

「私はこの部屋にある最も神聖な書物、すなわちアルファベット順電話帳に誓って真実のみを述べる。人生は空っぽである、と。しかし、もちろん救いはある。というのは、そもそもの始まりにおいては、それはまるっきりの空っぽではなかったからだ。私たちは実に苦労に苦労を重ね、一生懸命努力してそれをすり減らし、空っぽにしてしまったのだ。どんなふうに苦労し、どんな風にすり減らしてきたかはいちいちここには書かない。面倒だからだ。どうしても知りたい方はロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』を読んでいただきたい。そこに全部書かれている。」



そんなわけで、「風の歌を聴け」を再読で読了したのだが、これもまた、今の私には、わかるのにではなく、わかったと思いこむのにすらもう少し時間を要するもので(ただ、カフカに比べて6分の1くらいに薄いのと、デビュー作であるということが、カフカを頭からかじっていくよりもいくらか理解を促してくれそうな気はしている。それにしても、とがっている)。


私はこのブログの前に3つほどブログをやっていて、2つ目の場所はここと同じ名前だった。
ごくたまに、見返すこともあるのだけど、そこには、

できるだけ穏やかに落胆したい

とわかったようなことを書いてあった。でもそれは結局その通りになっていった。そしてそのあとに、

でもそうやっていろんなことに落胆していったら
生きていけなくなるんだろうかと
考えるのも
秋だからだ。絶対。

と、秋のせいにしちゃった。
今は初夏だからなあ。

Life goes on.

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