July 21, 2009

1q84読了など

1Q84をようやっと読了。

むむ。面白かった。昨日今日で読んだのだけど、いいのめり込み具合だった。
面白かったけど取り残された感はかなりある。続編のうわさがあるのもうなずけるところ。


これを読むにあたってレビューやなんか、小さな情報も耳に入れないようにしていた。いつもはレビューを見て買ってしまうこともけっこうある方だしそれは便利な場合もあるとすら思うわけだけど(勿論、読もうか読むまいか判断する材料になるから)、この作品に関しては騒ぎたてられ過ぎてかどうか、まっさらで読みたかった。江國香織は好きだが、そういうのは初めてだなあと思う。
読む前に、テレビのチャンネルを変えていたら唐突に、この本を栗山千秋が朗読しているシーンが飛び出してきて、何してくれとるんだ、と思いながらすばやくチャンネルを変えたのは、まあそういうことだ。

私も多くは語らない。というか、まあ、語れない。
私が語るに足る人間ではない、ということもあるし、実際いつものように咀嚼しきれていないというのがあるし(反芻が必要だし、それでも結局わかるようになるのかはわからない)、彼の作品には、他の多くの文豪の作品と同じように、口をつぐませる何かがあるとも思う。

しかしながら、安達さんに、読んだらメールしますと言ってしまった以上、何かは言わなければならないのだけれども、まいったな。


彼の作品はメタファーに富み過ぎていて、私は注意深い人間でもないし、情熱や根気のある方でもないので、遂にわからぬまま生涯を閉じることになるだろう、という作品ばかりである。
それは実際惜しいことかもしれないけれど、それを受け入れるだけの諦めの良さも備わっているので(それを情熱や根気がないと言うのだが)、おおむね楽しく読める。わからなくても。
でも一度、もしその作品を読み解く講義なんかがあったら、聴いてみたいとは思う。もしかして文学部ってそういうことをするのだろうか。聴講しておくべきだった。別に同意できない解釈でもよくて、ある一定の教授なりなんなりという文学を教える立場にある人の見解を、仔細に聞く機会があってもよかったと思う。
私は何によらず、大学時代にやり残したこと、というか、大学時代にやっておけばよかったと後悔することが多い。


あ、この前また本屋へ行ったら、新潮文庫のマークを30冊分集めたらもらえる、Yonda?Dollが(パンダのぬいぐるみ)飾られていて、超かわいかった。かわいかったけど、ぬいぐるみというものはいかに可愛くとも、たとえそれが彼氏にディズニーランドで買ってもらった記念のものだったとしても、箪笥の奥などに仕舞われるという運命を辿ることになっているので、写真で我慢しようと思う。(加えて、「ぬいぐるみ」ってひらがなだと可愛いけれど、漢字で書くと「縫い包み」で、少しこわい。ああ、(布を)縫って(綿を)包んだものなんだよなあと改めて思う。)

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