July 13, 2009

月曜について何かが書けないということ

月曜日である。

月曜というのは、一般的に憂鬱な日で、学校なり仕事なり、一週間の苦行が始まる最初の日、土日のリラークス気分から無理矢理に社会復帰させられるリハビリテーションの日であるけれども、私個人に関しては、一番ゆっくりできる日である。
月曜は、皆出払っており(月曜以外は毎日誰かしらいる)、来客の予定も、人と会う予定もない。たまに歯医者の予約が入ることもあるが、それはまあ散歩のついでに口を開いてみるというくらいのもので、そんなに気にしていない。

それで、思う存分に読書なり勉強なりブログなりに没頭することができるというわけである。

それで今日の月曜はブログに挑戦してみむとしたが、結局「風の歌を聴け」やら「バーボン・ストリート」やらの傍らにあった文庫に手を伸ばし、この時刻(11時半)に至る。
結局、「バーボン・ストリート」はほぼ読了したのだけど、ふむ、という感じである。


にしても、月曜日。
会社にいた頃は、リハビリテーションの月曜日だというのに、他の日よりも出社時刻が一時間早くなっていて(そして入社して最初の月曜はそれを知らされておらず遅刻した)、憂鬱度は最大値を振り切っていた。
しかも、その会社は教育的配慮を欠かさない会社だったので、毎月一度、月曜の午前中を全部使って月次報告会をやっていた。プレゼンテーションの練習として、下っ端まで全社員が自分で作成したパワポで報告をしていて、その練習のために土日出なさいとか社長室に呼び出されて言われるなど(出勤したか否かは入口の指紋認証で明らかになってしまう仕組みであった)、学校?という感じだった。
そういうのは、まあ必要といえば必要なんだけれども、毎月やるこたない。ていうか、毎月のはGMとかだけがやったらいい。そういうことやってるから仕事が毎日終電まで終わらないし、というか終電まで残っても終わらないし、クオリティも下がる。

そんな月曜の憂鬱から解放されたことは素直に喜ばしい。


月曜ってのは、月か、と思う。
月は近い。よく見える。身近な天体。かぐや。
この前見たテレビで、月に宇宙人の基地が既に建設されていることはよく知られていますが、と、たま出版の社長が言っていて(ああいうのの研究家を集めて、たけしとか大竹まこととか諸々の人々がつっこんで遊ぶという体の番組だった)、どこまでもスライドしていく議論と無理矢理みんなの共通認識として置く前提に、感銘すら覚えた。
それはいつかオープン講座(学部や学年が入り乱れた大学の講義)「あなたは亡命しますか」で行われていた議論を思い起こさせた。まったく、ひどい議論だった。
完全に授業の名前で履修してしまった。しかも優だった。私は亡命しない、今のところ。

で、月曜ね。ふむ。


村上春樹は言っている。
「しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。」

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