July 23, 2009

やつす

「知る楽」の再放送で、歌舞伎の話をやっていた。

その中でのキーワードだったのが、「やつす」という言葉。身をやつすとか、聞いたことがあるけれど。いくつか意味があるようだが、この番組の中では、みすぼらしくする様、とか。
やつれる、というのは、みすぼらしくなる様だけれども、やつす、というのは自らみすぼらしい格好をするということ。らしい。
それで、このやつす、というのを演じるのが「やつし事」というらしい。多分。

どうもこれが、いいらしい。

「廓文章(くるわぶんしょう)」というのの主人公がこれで、どっかの金持ちの家の放蕩息子が家を勘当されて一文無しになったところで恋人だった遊女に会いにやってきて云々で、結局勘当が許されて、主人公が遊女を身請けするという話らしいのだけど、この主人公を初演の初代何とかさんが絶妙にこなしたそうなのだ。そこにあるのは色気だったとか。

一文無しになったとて恋に身を焦がす男の姿を描くことで、身分社会を超えた恋愛、というものが人々の心に届いた、という話でまとまっていた。

けど、この主人公に関しては、やつしたんじゃなく、やつれたんじゃないか(勘当されてるからねこの人)、という疑問は一点。
また、この主人公が院での同期Tさん(放蕩息子ですと顔に書いてある)とかぶってしまったというのが一点。
で、一文無しになって(しかもその理由が放蕩による勘当)、遊女に会いに来た恋に焦がれる男(始終そわそわしている。他の客といた遊女を嫉妬して罵倒する。)にはそんなに惹かれないよやっぱり、と思ったのが一点。
というか、これは演じる人だとかによるよなあと思う。

光源氏がやつして恋人に会いに行く、というのは、理解できる。格好いい気がする。

やつしてもやつれてもいいのだけど、きっとそこにはかつて高貴だった人の落ちぶれた様がものがなしく、切なく、何とかして差し上げたい、というような(主に女性の)心理が働くのではないかと推測される。
私とておそらく例外ではあるまい。

で、さっき知ったのだけど、京都や大阪では「やつす」というのは「めかす」って意味があるらしい。全く逆の意味で、興味深いことである。

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