朋遠方より来るあり。
皆夏は沖縄に来がちなのかもしれない。
会うのは久々だった。はじめの頃と比べて幾分やわらかい感じになった、と思う。態度が。
いろんな話をしたけれど、そしてそれを備忘録的にメモしておくのが常だけれども、どうやら彼の方がそれをしてくれたので(しかもかなり細かく)、思い出せなくなったらそっちを参照することにする。
友人と会えるのは何より嬉しいけれども。他にもいろいろ嬉しかったのは。
母校を見ることができた。
首里の町を散策できた(かつて5年ほど住んでいたことがある。小学生の時だ)。
久々にボウモアが飲めた。
ということ。
母校というのは小学校で、私は2年生の頃に転校してきた。
その時点で110周年記念式典なんかをやっていたので、今は130年近いと思う。改修や建て替えを重ねて、今やコンクリート打ちっぱなしの近代的な小学校に様変わりしていた。中に入るのは憚られたので、外から様子を伺ったけれど、構造はかわっていなくて、体育館も古いままだった。比嘉先生を思い出したのは言うまでもない。
小学生の頃の思い出というのは結構強烈で。
そこら中を自転車なんかで走り回って、妹や従兄弟を引き連れて、駄菓子屋で駄菓子とか花火とかけむり玉を買ったりなんかして。私はトンボ花火が一番好きだった。
通る道々、少し通った公文だとか、よく遊んだ公民館だとか。
そのあたりは2つの町が隣り合っていて、公民館もまたそれぞれにあり、近いのだが、自分の住んでいる町ではない方の公民館はどこかアウェーな感じがして皆寄り付かなかった。お祭りも同日開催で、校長先生がどっちの町に先に来るかを競ったり、運動会の町対抗で競ったりなんかしていた、そういえば。
友達の家の場所を今でもほとんど把握していた。結構覚えてるものだ。
近所にも子どもが沢山住んでいて、昼間はだるまさんとか、昼か夜かとか、キックベースボール的なものとか、たかおにとかで遊び、夜は花火をした。
なんて懐古的!
そういう、親しくて濃密で、窮屈で抑圧された、限られた空間時間の中生きていた頃にいた地域を散策できたので、つい嬉しかったのである。
ボウモアは、というかウイスキー自体を、沖縄に帰ってから口にしていなかったため。
沖縄の友人にはウイスキーを飲みに行くような人も、バーにつれて行ってくれる人もいないものだから、大抵泡盛を飲んでいた。ので、お付き合いいただいたというわけである。
泡盛にも泡盛の良さってあるのだけれど、ウイスキーの良さというのは格別で、色とか香りとか味が、艶っぽいというか、色気があるというか、雰囲気があるというか。気障っぽい。
ボウモアに性別があるとしたら、という話が出て、彼は「女王」だといい、私は「派手な男の人」だと言った。それぞれ異性をイメージしたわけだけれども、それは先の話、色気とかそういうことと、無関係ではない気もする。
このコップは男性か女性か、というような。ドイツ語は名詞にも女性中性男性という分別があるけれども、と言うような話もした。「人間失格」で、名詞をトラ(トラジディ。悲劇)とコメ(コメディ。喜劇)に分けていく遊びをしている場面があるけれど。
そういえば昔、院の友人と、その人の顔がオフェンシブかディフェンシブかという遊びをしたことがある。
総括して、非常に歩いたけれど、楽しかった。歩き通し、喋り通し、RPGのように敵(なんか大きな鳥(図体も態度も))に囲まれたり(めっちゃたくさんいた)、村人(地元の普通のおじさん数人)に誘導されたり、小さい階段上ってみたり、だ。おかげでもうあの辺は案内できる。つまりダムとかだけど。
無事帰宅された由、何よりであった。
No comments:
Post a Comment