August 21, 2009

長崎

長崎へ行ってきた。

実はtwitterでたまに今どことか呟いていたのだけど、ブログの携帯投稿モードを使えるようにしとけばよかったかななんて思う。

記録。

1日目
移動:那覇→福岡→長崎
・なんか駅弁
・二十六聖人
・長崎県美術館-藤城清治展 光の祈り
・トルコライス

2日目
移動:なし(路面電車(長崎電気軌道)活用)
・長崎大学
・マック
・平和公園
・原爆資料館
・大浦天主堂
・豚角煮まん
・新地中華街

3日目
移動:長崎→佐世保(ハウステンボス)
・佐世保バーガー
・ハウステンボス
 -アトラクションのやばさ
 -とらわれない
 -人の少なさ
 -街並みが流石にすごい
 -かんざらし
 -ベリーダンス
 -サックス演奏
 -花火
・ホテルに一笑い

4日目
移動:佐世保→博多→那覇
・特急みどり
・博多ラーメン
・通りもんとか


全体通して面白かったけれど、非常に消耗した旅だった。
まず連れが妹二人っていうことで、結構配慮が必要だったし、移動や時間配分なんかに追われた気がする。一人旅だと回らないであろうところにも回るわけだし(たとえば、私はあんまり食事に頓着しないので、特に名物を食べに行くというのはしないと思う、し、結局カフェで過ごす時間が多くなっていた気がする。)、逆にまあそれがよかったわけだけど。一人じゃ行けないってところもあるしな。中華料理店とか。
東京でも毎日のようにお世話になっていた携帯のジョルダン乗換案内に今回もお世話になった。

長崎の印象は、山がちなところ、だ。
人があったかい、という割には、特にその辺感じなかったし、市内は栄えているので田舎という感じもしない。まあ市内とハウステンボスだけしか行っていないので、田舎にいけば印象はかわるのかもしれないけど。
とにかく、地方都市だった。地方都市だったら宇都宮とか倉敷とかの方が個人的には好きかもしれない。
駅は混み混みなので、喫茶店で休むということができない。人数に対してカフェが少なすぎる。東京みたいにやたらカフェを作ってほしい、まあ、とりあえず駅前には。おそらくは、車移動の人が多いのでそんなに必要ないんだろう。

ハウステンボスと長崎県美術館については印象深いので、別エントリで書くとして、その他について。

実は長崎は初めてではなくて、中学校の修学旅行で訪れたことがあった。これは沖縄の中学校の通例で、大抵福岡から佐賀、長崎、熊本あたりを回って帰路につく。
その時と視点が違ったのは言うまでもなくて、もちろん回ったところや移動手段が違うというのもあるけれど、同じところを回ってもそうだなと感じた、というのは、主に原爆資料館。

ずっと言われ続けていると意味を考えずに反射で答えを出してしまう、感想を抱いてしまうということが、特に幼いころというのはある。

沖縄は地上戦が行われた地で、ものすごく多くの人が亡くなった。戦後の占領も長く続いたから、平和教育にはとても力を入れている。沖縄の総司令部が陥落した6月23日の慰霊の日の前後は、平和追求モード一色になる。特に私が中学の頃というのは、太田知事で、ちょうど米兵による少女暴行事件が起き、基地に対する反抗が盛り上がっていた時期だった。そういうムードというか、沖縄の大半の人がそういう考えだったから、中学生の私もまた、そういう風になっていた。反射で、反戦を思っていた。

でも、人が死ぬというのがどれだけ重いことか、原子爆弾を落とすという行為が、どれだけ罪深い結果をもたらしたかということを、きっとよくわかっていなかった。知識として広島と長崎に落ちた、多くの人が被爆して苦しんでいる、その事実のみを認識しただけだろうと思う。
沖縄戦についても同じことだ。時にはいつまでこのことを言い続けるつもりなのだろうと思った事さえある。単なる被害者意識、かわいそられたがり、そういう風に。

ここ数年で固まりつつあるスタンスというのがある。つまり、大切なのは、基本に置くべきは人、ということ。
ビジネスをやるにしても、人の幸せのためでなければ、そのビジネスには魅力を感じない。雇用関係でも、人を大事にするところでなければ、人は辞めていく。芸術も、学問も、どんな組織も、行動も。
仕事をするにしても、家庭を作るにしても、目の前にいるその人を大事にできるか、何かができるか、そういうのを自分の軸にしていきたいと思っている。

何度も繰り返し、TVがこの大戦の映像を流すのは、つまり人が、あなたの大切に思っている人が、目の前で焼けただれたり、撃たれたり、知らない土地で餓死したりしたということ、それが何百万、何千万という人の上に起こったというその事実を、忘れるな、ということで。苦しみ抜いて、あるいは気づかぬ間に、この世で生きていく時間を奪われたというその事実を。
戦争の理由が何であれ、どれほど正当なものであれ、その事実は忘れるなと。
多分そういうことなんだろうと思う。
戦争なんて、最悪だ。本当に。
大切な家族や友人を奪われるなんて嫌だし、そんなの見知らぬ人だってそうだ。どんな人だって、友人になる可能性を秘めているし、一人しかいない、個性的な、貴重な人だったはず。

攻撃されれば、防御しなければならない。それはそうだろうと思う。
ただ、日本が率先して大量の殺人を犯さないように、人の生を重んじるように、平和教育というものはあると思う。

長崎は、キリシタン弾圧の激しかったところで、殉教者が何人も出た地でもある。
その信仰のゆえに、ただ信じているということのために、殺されなければならなかった人々が多くいたということ。
これも含めて、感じることは多かった。

早稲田にいたので、多くの地方の人と知り合ったけれど、長崎県人は友人にいない。
長崎という土地で育った人と、いつか話してみたいというのはある。

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