December 16, 2009

お金持ちになるということ

お金を稼ぐって、お金を他の人から奪うってことなんじゃないのと急に思い立つ。何かと引き換えにせよ、一応。
お金持ちになりたいという願望は、他の人々からお金を巻き上げたいってことなんじゃないのと。


でもなぜお金持ちになりたいのかと聞かれて、お金をつかってより良い生活をしたいからだと答えるならば、それはお金をつかいたいからってことだから、それすなわちお金を他の人に渡したいからだってことになるな、と。それなら奪って渡すってことで、とんとんなのかしらと。

つまりは「たくさんのお金が自分を通っていくようにしたい」と思っているのか、と。1得て1渡すよりも、10得て10渡したいというか。それが100なり1000なりになればbetterというか。

たくさんお金を稼ぐ方法は数あるけれど、大抵何かしらの価値を相手に提示してその対価としてお金をもらう(株とか為替とか遺産相続とか、なんか違うのもあるけど)。そしてお金を使うのもまた価値に対して今度は自分が対価として払うのである。
そうしたら、「たくさんのお金が自分を通っていく」ということは、自分にも周りにも多くの価値を生むことを要求しているということになる。自分が大きな価値を出し、別の大きな価値を買う。そして世の中はカチに溢れる。勝ち。


カチカチ言い過ぎだよと思っているし(自分含め)、みんな厳しすぎるよねと思っているので、せめて私は「人に甘く自分に甘く」を座右の銘として掲げているわけで。人に厳しく自分に厳しくなんて、なんだか不幸な気がするのです(なので着信拒否などという厳しい沙汰は取り消さなければならないのかもしれません)。
価値の亡霊。価値観の違い、なんてさらっと違うのが当たり前のように言う一方で、価値が普遍固定のもののように扱われたりする。かなりアバウトに使われてる言葉だと思ったり。


余談。
カネ、カネというけれど、カネは道具だから。
金本位制ってあったけど、つまり貨幣は金に交換できるという保証があるから安定するって話だけど、でもよくよく考えてみれば、金に交換できるよって言われても交換したくないよなあと思って。金持ってても何も楽しくないもの。金、食えないし。金の価値ってどれだけなのか?普遍的なものっぽく設定してたみたいだけどそうでもなくないか。まだ米とか小麦とかマイケルの音楽とかの方が汎用性ありそうじゃないか。まあ昔の話だけど。
今って紙幣自体に価値があるって考え方なんだね。銀行券は、株券や手形みたいな有価証券とは違う扱いなのだね。でもどう考えてもあの紙自体に価値があるというよりは、何らかの価値を表章していると考えた方が自然な気がする。米1キロ引き換え権分とか。


今日はこんなところです。

3 comments:

  1. 貯蓄は最大の罪なり
    イタリア人は財産を使い果たして死んでいくらしいよ

    ReplyDelete
  2. 会社の先輩が山を相続することになるかもしれないとおっしゃってました。相続税やら管理やらで大変だと嘆いておられましたが、キャッシュを相続するよりロマンがあってよし。

    ReplyDelete
  3. >M
    貯蓄は罪かというのはまた賛否ありそうですな。
    これから使うから、なのかもしれないし。やはりある程度は貯蓄してしまうのが人間なのかもしれないし。
    何にでも保証がほしい日本人。老後。愛。諸行無常は共通理解なのに。

    ていうか私の知ってるMという理解でいいのかしら。


    >FJB
    確かにロマンありますな。
    山とか、もはや生命の集合だものね。ただの土地にはない感じ。木野子とか山菜とかとれそうだしね。でも御社の先輩ならそういう暇なさそうだな。

    ReplyDelete