January 3, 2010

古きよき

あけおめでござい。ことよろでござい。


最近、「古きよき」ということについて考えていた。

古いからいいのか?という話。

古いから退屈なものというのもある。
昔は紅白の演歌のときは退屈で裏番組を見ていたし、歌舞伎や狂言も退屈で、クラシックも流れている分にはいいけどあえて聴こうとはしなかった。日本舞踊や琉球舞踊や民謡もそうだ。

古いからいいというのも勿論ある、と思う。

で、「古い」と「いい」がなんか混ざってるなと思って。
「古い」ものって権威というか、権威は言いすぎだけど、由緒正しいというか、正統性というか、そういうものが備わる。そしてそんなにいいと思ってなくても、それを否定するのははばかられるというか。敬意を払うべきというような思いがあって。
で、「日本」と「いい」もまざっているな、つまり「沖縄」というある意味異文化地方からの「日本」への憧れのようなものもある。
混ざっていると言うよりは、含まれているの方が適切かもしれない。

たとえば。

前々から、京都という場所に憧れているふしがあった(私は大学は本当は京都に行きたかったが結局受験すら叶わなかった)。だいたい京都という名からしてよい。
鴨川の川沿いに並ぶ黒に近い茶色をした木造の家々とか、古い寺院だとか、仏像だとか、着物だとか、いいなと感じてきた。それは日本というもの、歴史というものへの憧れに近いものだったかもしれない。
同じように短歌や俳句に同じように風流を感じたり、紅葉や桜にも心惹かれた。

それらは沖縄には無いもので。
しかし本やテレビでは度々登場し、これこそ日本の文化であり誇りであるというような価値観の中で育ったわけで、視覚的にもわかりやすく、とにかく若い時分には憧れたものだった。
そのころ私はカラフルさが好きではなく、とにかく色の明るいものが苦手だった。小中高生というのはなぜか明るい色のものを着たがるのか親が着せたがるのか、みんな子供らしいピンクやブルーのものを身につけていたりして。今気づいたけど私は今でもピンクの服を持っていない。昔よりは色の許容性は広がっていると思うし、他人が何を着ていても全く平気なのだけど。

話が逸れた。

私は最近演歌が結構好きになってきた。
演歌が好きになるなんてありえないぜと思っていたのに。確かに美空ひばりは聞いていたけどあれは特別だと思っていた。
古くさい歌謡曲なんて気恥ずかしくて化粧も衣装も古くて。おじさんやおばさんが、またはおじいさんやおばあさんが、大御所だからってそんなに売れてもないのに紅白の枠いつも半分持って行きやがって、と若い頃は思っていた。
今はおじいさんおばあさんどころか、もう死んだ人に出てほしいとすら思う。

琉球舞踊にしても先日首里城で見てから、目から鱗が落ちたかのように感心した。あれはよいものである。
前にご近所のブログで、人間の身体の動きこそ究極的な素晴らしい芸術だ的なことをおっしゃっていたのだけれど(UNIQLOCKについての言及)、私も近頃同じことを痛感する。


で、こういう古いものの良さをわかるとき、今まで霧がかかっていた感性の部分が急に反応するようになる感覚がある。そしてその時、それまでそれに覆いかぶさっていた「古い」というフィルターが薄れるような気がする。良さの一部に格下げされるというか、単に特色の一つになるというか。


良いものだからこそ、「古い」と思われるようになる現在の私にすら到達する力を持っているということは、頭ではわかっていても、ちゃんと腑に落ちたのはごく最近である。

といったようなことを紅白を見ながら考えていた。

こんな具合に混迷を極めつつ今年も歩んで参る所存であります。

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