April 15, 2010

雑多に

いまいち書くことが無い。無いなー無いなーって言ってたら一週間ブランクである。
ブログは記録用ということもあるし、熟考用ということもあるので、浮かんだ先から昇華してよいようなものはついったーなのであって。


そういえば映画は検索したが出てこなかった(私信)。

高校の美術の時間に見たモノクロ映画で、断片的にしか思い出せず、けど結構強烈な短編集で。
なんのためにあれを見せられたのかはよくわからなかったけれど、まあそういうものか、と思う。フロムヨーロッパ。

一つは女の子が地下牢のようなところを通って、じゃがいもをかごに入れて家へ持ち帰ろうとするのだけど、途中転んだり大きな猫に追われたりしてじゃがいもがこぼれ落ちた瞬間にじゃがいも自身が自分で転がって箱に戻ってしまうという話。
一つは拷問部屋に寝かされているような映像が延々と流れるやつ(悪趣味)。
一つは部屋に閉じ込められた男の話。ドアを開けても壁になってたりだとか、ドア開けたら急にパンチが飛んでくるとか。テーブルで食事しようとしたら穴あいてたとか。ベッドで寝ようとしたらベッドが急に藁になって埋もれちゃうとか。そういう踏んだり蹴ったりな話。
まあ面白いわけではないんだけど、なんだかひっかかる映画。
知ってる人はいませんか。ヤフー知恵袋とかに書いてみるか。あれ使ったこと無いんだよね。

一応今度本屋で探してみる。


近況としては、まあ普通にやっている。
高校国語教えないといけなくなったので、久々に古文漢文勉強しなおしている。ましかば~まし。な、早めそ早めそ。更ちゃん。めくるめく高校時代の思い出(私にとっての高校時代は常に灰色の校舎と授業と共にある。色恋は無い。モノクロ)。

それにしても現代文の問題に使われてる文章は面白いものもあって、そういうのからちゃんと読めばいいのかと思う次第。全くいけてないのも結構あるけど。んなもん売るなよっていう。

今日やったものは、テレビを「解説機構」と呼んでいて、そういやほぼ日で同じようなこと読んだなと思った。糸井さんが「テレビ見ててわからなかったことないよなあ」っていう話。つまり、テレビはいろんなことを誰にでも分かるように解説してくれる大きな機構なんだねっていう話。

その問題の文章だと、「スター」が「タレント」になった、つまり天空に輝く星から親しみやすい存在になった、と同じような対比で、「評論家」が「解説者」になった、という話をしていて、つまりテレビというのは巨大な「解説機構」でね、という流れだったけれど(そこの対比が同質なのかについてはちょっといまいち感ある)。
この解説云々はほんとそうだな、と思う。その解説が不十分だってわかってしまったりすると見たくなくなるのだけど。
でも私が野球とか相撲とかF1とか観るのは絶対テレビの解説機能のおかげだ。

で、スターからタレントへ、の話。
なんというか、テレビの無い時代を経験していない自分達にとってはピンときにくいけど、往年のスターと呼ばれるような人たちがいなくなっているのはわかる。つまり、石原裕次郎だとか加山雄三だとか高倉健だとか美空ひばりだとか吉永小百合だとか、まあよくわかんないけど所謂「スター」という高嶺の花的存在ではなくなってきていると、思う。
映画じゃなくてテレビがメインになったというのは大きい。テレビというメディアが視聴者と圧倒的な接点を持つようになってから、芸能界というもののイメージ戦略が変化したからなんじゃないかと思う。ある俳優を高嶺の花にしておきたければできないことはないけれど、それに耐えうるスター性が生み出される前に埋もれてしまうというような感じだろうか。まあ邦画の方向性も変わってきているし。

というのも、私は結構、唐沢寿明とか好きなんだけど、母が「いいけどちょっと小粒だな」みたいな話をしていて。辛。まあそうだねとも思って。そういう流れとも脳内でつながった。
でもテレビに出ない俳優も多くいるわけで。映画や舞台とか。そういう別のストリームも結構大きくなってる気はする。個性派というか実力派というか、ああこれじゃあ言葉が薄っぺらいけれど、何、強い輝きみたいなのを持ってる人々。

気づいたら長文。
まあそのうちまたちゃんと書きます。トピック探しておきます。

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