April 20, 2010

法哲学本とかCDとか

この前の土曜に本屋へ行った。その前に友人に手紙をもらった。
受験前の話で、本が読めないなんて発狂するよね的な話が書いてあった。
うん。

しかし最近はそこらに置いてある文庫を読み返すくらいのもので。

で、久々の給料が入ったので、本とかCDでも買うか、と繰り出したのである。

池田晶子の棚へ行ってみた。「私とは何か」「魂とは何か」なんて、いかにも読んでみたくなるようなタイトルで、少し読んでみてやっぱりちゃんとそのテーマで書いているので面白そうだ。私もそういうの考えたいなーとぼんやり思う。
何度もソクラテスが出てくるけれど、専門書にありがちなよくわかんないけどその道では著名な人々の名前が出てくるということはない。法律だったらまあわかるけど(法学界だけ。法曹界は知らない)他のところの権威はわからぬ。そういうものだ。

他の著作も見ていたら、
「哲学はお勉強ではない。自分で考えることです。」
という趣旨のことが書いてあり。
そうだよね、と思い、本を置いたという次第。まずは自分で考えてみる。


で、結局何を買ったのかというと、「法という企て」という本を買うことにした。法哲学の本である。前にも少し書いたけど(タイトル勝ち云々)。
法っていったいぜんたいなんなのかしら!
と高校生のときから思っていて。学んでみても、それは雰囲気でしかつかみきれないもので。民法だの刑法だの判例だの解釈だの何かしらの総体としてそれを法と呼ぶ、ということではなくて、その根本のところ。私達人間とどういう関わりがあるのかとか、どう認識していればいいのかとか、そういうところ。

私は前にも少し書いたかもしれないが、法というのは一つの思想じゃないかしらと思っていて。法治国家という理想国家を実現するための思想。あるいは便法。いろいろな思想の自由を保障するというので、他の思想とはレベルの違う話のようだけれど、でもやはり一つの理想というか思想というか。先進国では一番支持者が多い思想。


で、件の「法という企て」。まだ冒頭しか読んでいないのだが、著者の結論から言うと、法とは、「正義への企て」だそうである。
強盗の要求と法の要求との違いは何か、という問いに対して。背後に強制力を持った要求であるという点は同じで、法というのは最強最大の強盗による要求なのかもしれない、と。
前者が「不正」で後者が「正」であるという言い方もできようかと思うのだけれど、「悪法も法である」という例のそれを真とするならば、悪法が不正であろうともそれは法なのである。つまり国家によって強制される。
では法と強盗を隔てるのは何か。それは「正義への企て」であるかどうかである、というのが著者の見解である。正義を志向してすらいない法は法とは認められない、ということである。

私なんかはその辺を読んでなるほどね、で、正義って?とか思うわけだけれど、言葉にすることは切り捨てることだからな。あるいは固めてしまうこと。
春樹は言っていた、「言葉にすると石になります」と。
学問というのはもしかすると切り捨て、固め、石を積み上げることなのかもしれない。
色と色をいくら分けてもその間には分かちがたい色合いが残る、と言ったのは九鬼周造「いきの構造」。どんなに石にして固めても、とりこぼした何かしらが残る。

言葉にすることの功罪は語りつくした感はあるけれど(つまり功の方を積極的にとるということ。結局、私は言葉が好きだ)。

もう少し読み進めてまた書くかもしれない。

あと「神の子どもたちはみな踊る」村上春樹、も買いました。読みました。とってもおもしろかったです。メディアマーカーでレビュー書いた。

あと、H21年度の重判(重要判例解説)も買いました。

相対性理論+渋谷慶一郎「アワーミュージック」も買ったのだけど、結構あれだ、いいんだけどいいって思ってることを知られるとはずかしい。けどここではあけすけに書いてしまえ。
やくしまるえつこ凄いって思った。で、やはり教授絡んでるのか、って思った。「Blue」好きですね。

サカナクションも買いました。買ってしまいました。サカナのいいところは、山口一郎君がおそらく宮沢賢治を好きだということでしょうか。あるいはサウンドが妙に古くて親しみやすいのと、ところどころ合唱が入るのとか。

最近思うのは、何かを好きだと表明することによってその人のイメージができるっていう話。ついったーとかでね、思う。
格好いいものを好きなことによって自分の格好いい度を上げるという方法について、格好いいものに憧れるということはあんまり格好よくはないのかもしれないなと思う。
格好いい人ってのは敢えて「俺、格好いいこと好きだぜ」ってしてない気がする。
でも別に自分を格好よく見せようとして格好いいものを好きなわけじゃない人もいるから、そういうのに関してはある意味格好いいのかもしれない。
うーん。
つまり何かを好きだと表明することは、それをいいって思うという自身の価値観や立ち位置を表明しているというわけで、それ以上でも以下でもない。確認。

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