May 27, 2010

傷つくということ

普天間問題の落としどころがだんだん見えてきたけれど。
TL上では沖縄クラスタが特に大きく反応していて。
私はコメントを控えた。
ここでも個人的な意見をいうつもりはなくて、というか意見はちゃんとできあがってないので言えないんだけど。
そういう意味でもつぶやくのは止した。

けど、もう一つ理由がある。
この手の話はどうしても感情的になってしまうので避けている。感情的というより、怒ってしまう。傷つくし、腹が立ってしまう。
他の話だと怒ったりすることはあまりない。エネルギー使うからね(省エネ)。それに大体相手の言い分も見えてるから、それもまあわかるよって半分くらい思っているので、怒ったりしない。怒った振りをすることはある。

でもこの手の話は若干見えなくなる。そもそもがごちゃごちゃなのだ。
議論の相手が誰なのかとか、誰が悪いのかとか、いつからのことを言ってるのかとか。
沖縄だけ占領下に置かれた時、第二次世界大戦の沖縄戦の時、琉球侵攻の時から、日本本土への恨み言は続く。
悪いのは米軍だったりアメリカ政府だったり日本政府だったり県内の一部の人たちだったり、する。
語り手は土地を取られた反戦地主であったり、家族を殺されたおばあであったり、復帰の時少年少女であった中高年の人々であったり、日米安保闘争に加わった人々であったり、普天間に住んでる人やヘリが落ちた大学の人だったりする。
じゃあどうすればいいのか、という段になれば、もはやプレイヤーは世界中であって。


自分でもちゃんとした答えは出せていないくせに、小さい頃からの刷り込みだろうか、この手の話では結構傷つく。
沖縄がそのまま我慢すればいいじゃん、というのはもしかしたら一番合理的かもしれないのに、それを言われるのは傷つく。
米軍みんながレイプ犯だったら出て行けって言うのもわかるけどそうじゃないんだから、そんな問題取り上げてたら基地の問題は議論できない、というツイートがあって、それも無条件に傷つく。
正しさとかは問題じゃない。もしかしたらもっともな意見なのかもしれないけれど、それを考える前にまず傷つく。という話。でも傷つくから発言するなとはいえない。冷静に考えれば、それは分けて考えるべき問題なのかもしれないし(今のところそうは思ってないけれど)。


ああこんなにもちゃんと傷つける話題がある、と思う。
厳密に言えば他人事なのに。


で、特についったーなのだけど、そういう情報をあえてシャットアウトするということについて迷う。
これを良しとしない、つまりあえてそういう意見も読むべきだ、というのが多分素直な気持ちで。
でも私は「~するべきだ」なんてばかげている、とも思いつつもあり。
内田先生は危険を察知するにはストレス・騒音の中にいてはいけない、というし。

多分他の話題であれば、その意見の多様性に触れながら生きていてもそんなにストレスはないのだと思う。だから今後も特にシャットアウトしないと思う。
華麗にスルーのスキル、だな。
ただ、傷つくことができるということは、あんまり傷つかない今、大事なことのようにも思えてしまうのだ。


追記:
「多様な意見」にじゃなくて「意見の多様性」に触れるってとこが無意識に自分の立ち位置を表したような気がしたメモ。
沖縄に生まれたということを少し考えている。

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