久々に、マニキュアを塗った。
結構前から塗ろう塗ろうと思っていて、すぐ忘れるのだった。
私は肌の色が白くない。だから、合う色がすごく限られている。というかそもそもつめに塗って合う色というのが限られているところに、肌の色がさらに限定を加えているというのが正確かと思う。あんまりエキセントリックなつめは人のはともかく自分で見るには耐えぬ。
服でも髪型でもそうだけど、私は無難に無難に生きてきている。
手のつめは、左手はいいけれど、右手は難しい。左手で塗らないといけないから。
そういうわけで、ネイルサロンというのがあるわけだ(まあ右手でもできない技術なり部品なりがあるわけだけど)。
昔会社の先輩に聞いたところによると(この人はとてもかわいくて品のあるネイルアートをしていた)、両手にちゃんとネイルアートを施すのに15000円くらいかかるという。
当時の会社の女性たちは、ほとんどがちゃんとネイルをしていて。つまり秘書さんとか人事のひととかってことだけど。言葉通り、つめの先まで気を使える人たちで。
で、そうやってちゃんとつめのことをできるのは、大人ってことなんだと思う。
ちなみに東京事変の「大人」というアルバムがあるのだけれど、それのときのつめの色がヌーディーでとても格好いい。きれい。林檎さんはいつも多分きれいにしてるんだとおもうけれど、私がまじまじと見たのはそれだったので。
真似したいけど、できない。私の手はあんまりマニキュアが似合わない。節くれだってはいないけど、骨ばっているし、大きい。少し男っぽいのだと思う。妹にはかっこいいと言われるけど、本当にかっこいいのはマニキュアも似合う手だと思う。
で、江國香織の「ホリー・ガーデン」にこんな箇所がある。
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「私が何のためにいつもきれいにマニキュアをしているかわかる?」
(略)
「そうしないと、自分が大人だってことを忘れちゃうからよ」
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果歩が言っているのだけど、果歩は他のシーンで、つめのマニキュアを見ながら、大人なんだから泣いちゃだめだ、大人なんだから大人なんだから大人なんだから、と心の中で唱える。
象徴としてのマニキュア。
そういえばマニキュアってちょっと伝統的なまじないのようだ。
で、私も大人なんだからマニキュアくらいちゃんとしようかなと思う。いくら沖縄で誰とも会わないっていったって。
そういや永い人に指摘されたよ、マニキュアしないの、って。多分、後ろに「僕と会うのに」っていうのがひそんでいたようだった。まあしないけど。
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