June 15, 2010

中野新橋

久々のぶらり街歩きことbramogは、中野新橋。

これ時系列的に逆ですが、住んでたところを辿ります(実はこれの沖縄版をリアルでやりたいなあと思っている。懐古趣味上等だし、まあそれだけじゃなく違う世界が見えるでしょう。そういう今と今でない時間の重なる感じが心愉しいのです)。

よし、地図。
地図ないとはじまんないから。地図とか路線図とかかなり好きだ。安心するし。納得する。視覚に頼りすぎだな。


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中野新橋には2007年の8月から12月くらいまでいた。
ゲストハウス暮らし。
ゲストハウスというのは、お金がない旅行者が泊まる宿で、キッチンリビングバストイレ共同。というイメージだったのでおっかなびっくりだったが内装きれいだし女性専用だし、結構快適であった。ここの場合個室も与えられている。3畳くらいだけど。そこで更新したブログも残ってる。たしかaccelerateの頃だ。つまり孤独の就活の頃。ブログは確認していないが、「俺、何やってんだろ・・・」を素でやっていた頃だ。
たまにキッチンで野菜炒めを作り置きしているところへ他の住人が帰ってきたりして、「あ、こんにちはー」「こんにちはー」「どのくらいいるんですかー、え、長いですね?就活ですか?あ、私もなんです」という会話の他はノーコミュニケーション。他のゲストハウスはバックパッカーとか外国人観光客とかが飲み会三昧、と後に会社の同僚(この人は結局ずっとゲストハウスに住んでいた)に聞いた。一人かわいい子いたなぁ。家着派手だったけど。


中野新橋というのは地下鉄丸の内線の駅で、丸の内線というのは、池袋から出て御茶ノ水とか丸の内あたりを通り、新宿、中野方面に伸びていく電車だ。車体は赤のライン。丸の内線は途中の中野坂上で方南町行きと荻窪行きに分かれる。中野新橋は、方南町行きの方へ中野坂上より1個進んだところにある駅。地図見てる?

ここは駅がまずいけてない。古い。駅出てすぐに松屋がある。明治記念館でウェイトレスのバイトしてたときはここの松屋で夕食を食べるのが常だった。反動だろう。
駅前にはドトールがある。ドトールは近隣のおじさんが何かの商法で説得している。私はその横でココアをすする。その隣のコンビニで買った新聞を読みながら。
変なバーもある。すた丼もある(スタミナ丼。肉に卵とか乗ってたような)。当時から一人前は無理(多い)。


この町は、すごく「地域」っぽかった。下町という風情ではなく、小学校があってちゃんと子供がいて、生活がある。お寺があって、100均があって。
地元の人たちが住んでいて、パチンコとかあって、スナック白百合とか、ドラッグストアとか、サニーマートという明るいおばちゃん店員たちのいる店があった。
わたしはそこで身の周りの調理器具と塩(ゲストハウスの塩がよくなかったのだ)と人参とキャベツと豚肉の薄切りを買った。私の生活。
そして共用の炊飯器でご飯を炊いて、これを冷蔵庫にラップして入れる。このごはんと、塩味の野菜肉炒めで一週間食いつなぐ。たまに院の友人がおいしいところにつれてってくれたりした。

そのころの生活は、前半バイト三昧で、黒いベストと黒い長いエプロン(カフェの人みたいな)を身につけてホスピタリティが服を着てるみたいな格好をして、ひざまずいて注文を取り、「「キャベツのパリパリサラダ」「鶺鴒(カクテル)」「牛肉の朴葉焼き」でございますね、かしこまりました」と言ったり食事を佐々木倉之助に運んだりしていた。友人が冷やかしで来たが、スーツだったこともありバイトの大学生の男の子は格好いいと言っていた。実際芝生を前にグラスビールを飲む彼は格好よかった。

CM。「明治記念館レストラン鶺鴒」夏はビアガーデンでとても気持ちがいい。庭園を開放してビアガーデンにするのだ。ちょっと高いけど美味い。よろしければ。


この明治記念館から帰るには、青山一丁目から銀座線乗って赤坂見附で丸の内線に乗り、そのままゆられていく。その際トラップ。丸の内線はさっきいったように、路線が二手に分かれる。中野坂上で。そこで乗り換えがあるのだ。
その待ちの時間があんまり好きではなくて、つい中野坂上で降車してしまう。

地上に出ると息を吹き返す。見えるのはまたも松屋。無視。地階にパン屋さんがあるのでいつも食べきれないのにたくさん買う。パン大好きだ。しかし夜遅いと買えない。
そこから山手通りを南へ下っていくのが結構好きだった。左手には新宿のビル群。赤い明滅。今日もオウムが怒ってる。
考えてみるとそこは第二の台場だったかもしれない。そこへいくと、嗚呼独りだなと思い、こんなところでいったいなにをしてるんだ、コンサルなんかになれるのか、家族とも友人とも会えずに、バイトしかしてないし、という気分になった。後半は就活三昧だったので、それもそうだろう。否定される日々。身分と言うものがなく、今にも力尽きてしまいそうだった(食料の面でも)。


ビアガーデンの季節は終わり、落ち着いた日々(ひきこもり)がやってきた。たまに在京の友人(このころ院の同期は受験勉強の真っ只中か、修習が決まって地方に飛ばされていた)と飲む。
新橋にある転職エージェントのオフィスに通っては「それ、家着ですか」といわれつつ面接対策する日々。担当の人とは仲良くなった。日曜もオフィスを開けてくれて、いつもスーツなのにジャージでびっくりした。「それ、家着ですか」はこっちのセリフである。


もうひとつ。
中野新橋の生活の中で書き落とすことはできない。ジニアスという喫茶店だ。

昔渋谷にあった名ジャズ喫茶らしい。懲りすぎていない、気楽なテーブル。本棚にしまわれた無数のジャズ雑誌。ブルーノートだとかいろんなところのジャズイベントのフライヤー。落ち着いた空間。顔を正面から見せないような配置のテーブル。カウンターにぎっしり並べられたレコード。メインテーブルの両脇にある大きな大きなスピーカー。
初老のマスターの選曲が夜の雨にあっていた。店は半地下で、窓から道路が見える。雨の落ちる音が鮮明に聞こえたし、犬の散歩の音も聞こえた。わたしはそこに何時間でもいることができた。
私は三方を囲まれた一人席に座り、そこで父の免疫系の本を読んだり、文庫本を読んだり、つい最近あった江頭杯(院内サッカー大会)のことを思い出したり、出されたピクルスを嫌いなはずなのにかりかり噛んだりした。オレンジ色のメモ帳に、考え付くいろいろのことを書いた。
その合間に分厚いトーストを食べたり、紅茶を飲んだり、アーリータイムスを飲んだりした。


動画があった。素人動画で見にくいけど、2分55秒以降が店内なので。


ジャズ聴きたいって人は是非。常連さんはいるけど、入りづらいわけではない。あんまり人いないし。パソコンで仕事してる人もいる。


他は、散策したけど何にもなかった。新宿まで出るのは億劫で。ジニアスはもっと長期住んでいたら通っていたことだろう。居心地が良かった。

ゆらり中野新橋終わり。写真かなんかないかなー。



ジニアスのトーストあったよ。

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