July 10, 2010

読む速さと理解する速さ

小説というのは、読むスピードと頭で理解するスピードが丁度同じくらいになるように、設計されているのだなと実感するの巻。

まあ小説に限らず。どんな文章でもそうすると読みやすい。
今読んでいるのはまた太宰で。新潮文庫の「ヴィヨンの妻」を読んでいる。「トカトントン」を読み終わったところである。「トカトントン」あなおそろし。(先日手紙をくれた友人の分析によれば、私の送った手紙の語尾は、標準語80%、うちなーぐち12%、関西弁2%、中国語2%、土佐弁1%、古語3%、ちなみに体言止めは5%、だそうである。)

太宰はとてもとても読みやすい。おそらく意図して。ひっかかりがない。勿論少し昔だから、いったいなんだろうこの言葉は、っていうのが無きにしも非ずではあるけれど、まあでも全然ひっかからない。会話が多いし、語りかける文体が多いからか。
で、久々に糸井さんと池谷さんの対談の本「海馬」を読み返したのだけど、読みにくい。というか、読む速さと理解する速さが違うので、もたつく。
この本は、結構前、多分10年とか前に脳科学者の池谷さんと糸井さんが脳について対談していくという企画本で、割に面白かったりもする(読んだ時にコンサル辞めたばっかりだったのであんまり素直に面白がれなかったけど)。
対談なので読みやすい。話し言葉だから。で、会話としてすーっと入ってくるのに、その内容が急にちゃんと読まないとわからない話になったりする。畑の違う脳科学の話なのだから当然なのだけど。そうすると、読むスピードは速いのに、理解するスピードが急に減速したりして、目だけが字面を追って頭がついていかないということがまま起きる。その場合は目をたしなめて、戻るよ、と言い聞かせて戻り、字面をゆっくり追いながら理解が追いつくまで待たなきゃいけない。

で、「海馬」と「ヴィヨンの妻」を比べてみて、ああ小説ってそういう風にできてるんだなあと思った。

小説だって、わかりやすいものばかりではない。中島敦なんて最高にわかりにくい(私見)。けど、あれは読みやすくもない。だから、読むのも理解するのも大体同じスピードなのだ。もたもたするけれど、実感としてはじっくり読んでいる気になる。


結構ハウツー系の本とか、ビジネス書とかにもこの傾向がある、つまり、急に理解のスピードが減速して目だけ先走る。わかりやすく書こうとしてくれているから尚更、そうなるのだと思う。

そういう意味で、なんというか、法律書なんかは(他の学術書もそうだと思うけど)落ち着いてゆっくり読める。こちらとしても心構えがあるし、普通に読みにくいので。

永い人が速読法をやってたと聞いて、話を振ってみたことがあるのだけど(彼は勉強法の勉強に熱心なのだ)、法律書を読む時はじっくり読んで理解しなきゃいけないから使えないんですよ、と言っていた(確か。私は彼の発言をいつもちゃんと覚えられないのである)。
だよねーと思って速読法を取り入れるのはやめにした。つまんないし(まあ、しかし、速読というのはつまんない本を速く読んでしまうための術なのだと理解はしている)。

あ、そういえば永いさんでおもいだしたけど、彼玉泉洞という琉球観光スポットで大蛇に舐められまして。
説明すると、マングースとハブの(正確にはうみへび。「エラブー」という)水泳大会イベントの後に、大蛇と記念撮影していいですよーという時間があって、3mくらいあるでかいニシキヘビを肩からまわして手で持ってにっこりする、ということをしようと永い人にしきりに誘われ、怖がっていると思われるのも癪なので並んでやったのだけど、私が頭の方を持っていてにっこり写真に写ろうとしたら、蛇が何を思ったかこちらへ顔を向けてきて、永い人の手をチロチロと長い舌で舐めたらしい。それにびびってる瞬間が見事に収められていて、いい写真が撮れたので近々mixiにUPしよっかなーって思っている。ふふ。

しかし楽しかったなー。
二人で琉装までしちゃったので、撮った後、結納式か、とつっこんでおいた。でも初めて着たのでうれしくて帰って家族に見せたら、「父さんは許さんぞ!」と父が面白かったので「なんで?顔が大きいから!?顔の大きさで差別するの?!」と一緒にのっておいた。

今週末も実は別件で観光地めぐりをすることになっている。モテモテ王国。ゆらゆら帝国。ということにしておこう。実際お決まりのコースだ。

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