August 3, 2010

音楽に救われるということ

今、EGO-WRAPPIN'を聴いている。「あしながのサルヴァドール」である。
束の間に愛を サルヴァドールに花を。

こういう曲を聴くと、無性にひとりになりたくなる。
できれば秋頃で、水辺。天王洲アイルあたりがいい。
もしくは、冬の海辺でもいい。Slowly days.
メランコリック。

ジャジーなのでお酒が飲みたくなるかと思いきや、いや、ぬるめの紅茶がいい。少し砂糖は入れたい。
ゆっくりしたい。
飯田橋のカナルカフェなんかもいいかもしれない。水辺でスロウである。初夏の雨など尚よい。ひんやりしてきて秋かという趣が漂ってくる。暗い緑のパラソルの下紙皿にのったピザやケーキ。紅茶。

こうして音楽を聴いていると気分というものが発生(若しくは変質)して、どこかへ行きたくなったり、記憶にひもづいた場所に行きたくなったり、酒を飲みたくなったり、誰かのことを思い出したり、会いたいと思ったり、散歩がしたくなったり、映画を見たくなったりする。

音楽の染み入る夜。

私の好きな音楽は、ひとりになりたい気分にする音楽なのではないかという分析。
音楽は1人で聴くものだから。

音楽を愛してるなあと思うし、音楽に愛されてるなあと思う。

さっき帰宅したらインナーマッスル不足で倒れこんだ軟弱な人間。こんなに体調が悪くて、たんぱく質がすぐ消費されてしまう体で、動悸が激しくて、立ちくらみがして、食べる物も自分の作ったパンとかしかだめで、油っこいものとか味噌汁とかゴーヤーチャンプルーとかもう胃と目が拒否している。えい、とがんばって食べる類のものは、がんばれない。

そんな状態の人間の耳にも、音楽は染み入る。心弾むほどにうれしい。あちこちの痛みもうすれる。

Oさんの「前向きに」という言葉を思い出して、「後ろ向きでOK!」というTOMOVSKYの曲を聴きたくなる。鬱の人に「がんばって」とか言っちゃいけないとかいうけれど、多分「前向きに」も同様な言葉であろう。
妹の持ってた本(リクルートのいわゆる転職特集本で、ところどころに専門学校とかの広告が挟まっている職種紹介の本)「ニホンの職業777」みたいなのをパラパラ読んだ。裏表紙に「でっかい仕事がしたい」とか書いてあって、まじなえる。(不動産証券化関係の資格の広告であった)ちなみに、くるりの「なにかでっかいことしてやろう」という歌詞は、アイロニーだ(きっと)。

徐々に徐々にカミングアウトしたけれど、軽い鬱です。
性格直せとか言われても無理だし、労われてもへこむのです。運動したらっていわれるけどそういう体力もなくやる気も出ず、焦ります。せっかくアドバイスしてもらってもそれをこなせない自分に苛立つのです。早くその結果を報告したいのに、体は動かない。自分の怠惰にあきれ果て、自信をなくし、自分が何者かであることに執着し、しかし今の状況に耐えるしかなく、そういうバッドなスパイラルです。
太宰だな、これ。
多分私は太宰みたいに酒や女遊びに行かないだけまだ軽いのでしょう。男なら太宰になっていたかもしれません。心外ではありますが。

もし太宰の時代にこんなに音楽の溢れかえる世界があったら、彼は入水自殺など考えてなかったと思う。
まじで、NO MUSIC,NO LIFE.
タワレコのCMやな。

タワレコに行ったよ、この日曜に。
「billion voices」七尾旅人
「マジックディスク」アジカン

ジュンク堂では
「詩とは何か 世界を凍らせる言葉」吉本隆明
「虞美人草」夏目漱石

スタバでは
ショートのソイラテとバゲットみたいなやつ
大阪の女子高生(総体帰りらしい)の大阪弁というか雰囲気に和む。

国際通りでわたあめを売ってるおばちゃんから一つ買う。妹の好物だから。
わたあめを持って国際通りを闊歩していた人は私です。

目的のF1速報は手に入らず。しかしいい買い物だった。お腹と背中が攣るけど。

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