August 5, 2010

死について

ねむねむですよ。

あれだ、死。
家族と話していて、ああこの人たちと過ごしてて幸せだなあと感じ。いつまでもこんな風にいられたらいいのになあと思う。妹達は勿論旅立つのだろうから、私はいつまでもここにいて老いる両親と色んな話をしていけたらなあと思う。
で、この人たちもいずれは死ぬのよなあ、遠いところへ行ってしまうのよなあ、と思って。
で、私もいずれ死ぬのよなあ、と。
死ぬとか今全然思ってないけど、終わるからね。絶対。遅かれ早かれ。
死ぬと周りの人が悲しむのは、どうしてだろうと。その人にもう会えないからだろうか。死に方が苦しそうだったからか。死ということがもう生の終わりだからだろうか。終わってしまったからなのだろうか。それで、かわいそうだと思って泣くのだろうか。

わたしも寝床で考えている時に、ふと自分が死ぬ瞬間を想像してしまったりする。大体の場面は、私は苦痛を伴いながら死ぬ。腹を刺されるとか、毒を盛られるとか、爆発に巻き込まれるとか。で、死ぬ間際に意識が無いことを切に願うのである。痛みにたえきれないはずだから。
暗闇でそんなことを考えると本当に怖くなる。やってみるといい。

それは、死が怖いからであって、なぜ怖いのかというと、生より悪いことだからである。生を奪うものだからである。生を一番いい状態で、その次はもう無い、むしろ悪い状態だという考えかあるからである。
もし、生の次の方がよかったら?天国という言葉を使わないにしろ。次のステージがあったら?勿論、そう考えている人もいるだろう。クリスチャンにしろブッディストにしろ、そういう考えがあるのではなかったっけ。

得体の知れないものに対峙するのは、楽観である。
死の先に我々の自覚とでも呼ぼうか、そういったものは存在しうるのだろうか。あったとしてそれは幸福な世界だろうか。地上での罪の制裁はあるのだろうか。輪廻の中に取り込まれてしまっているのだろうか。次は蟻だろうか。名も無い草だろうか。
と、そういうことを今から考えていてもそれを知る術は証明力の無い読み物や啓示以外には無いわけだから、どうでもいいじゃん。わかんないこと考えても時間の無駄だよ。的な楽観主義が結局全てを覆うのである。自分が死んだ後のことについてはね(勿論、遺族にとっては死んだ後にどこへ行ったのだろうという疑問はシリアスなものであろう)。

一方で死ぬ前のことについても人間が楽観的かというと、そうでもないのである。実に細かいことまで心配し、それを解消するために手を尽くしたりする。生をコントロールしようとし、生へ執着する。生命としての義務なのかもしれぬ。

生きているというのはそういうことで、生きているものとしては生きることに対してベストを尽くすというようにプログラムされているということなのだろう。
死んだ後に極楽浄土があると思っていても、死ぬ前に恐怖を感じずにおられる人はなかなかいないと思う。この死のうとすることに恐怖を感じるようになっている自殺阻害機能とでもいおうか、そういうのが備わっているよなあと。

祖母が結構高齢で、今施設に入っているのだが、少し具合が悪くなって、気弱になると、「もうすぐ死ぬのかねえ」なんていう。彼女は死をとても怖がっている。年季の入ったクリスチャンであるけれども、死が怖い。

読中の「虞美人草」の最初の方に、こんなのがあった。

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古今来を空しゅうして、東西位を尽くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ――それでなければ化石になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は万事の終である。また万事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮ずるにすべてを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側なるすべてのいさくさは、肉一重の垣に隔てられた因果に、枯れ果てたる骸骨にいらぬ情けの油を注して、要なき屍に長夜の踊をおどらしむる滑稽である。遐(はるか)なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。

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ため息が出る。
神経衰弱にもなるわ。

生と死のテーマは重い。
私は家族が死んだ時どうなるんだろう。号泣するとは思う。私はもうその姿で動いている生命体としての彼彼女を見ることが話すことが触ることができないということにきっと耐えられない。鈍感だし、忘れっぽいから、もしかするとだんだん平気になるかもしれない。その頃になってやっと、愛する者の行った先に思いを馳せることができるような気がする。

実は昨年末に、父方の祖母が他界した。
死というものにちゃんと向き合った初めての体験だったと思う。
宮古のおばあ、と呼んでいた。宮古へはずっといっていなくて(私は東京にいたし妹は東京なりアメリカにいた)父の病気のこともあり、飛行機で移動することが難しかったというのもある。
祖母は認知症が始まっていて、病院で長いこと入院していた。危篤の知らせがあったときも、先に行った父は覚悟を決めていた。お通夜を済ませてから到着した私たちはお葬式と火葬に立ち会った。老衰で、苦しまなかったとのことだった。認知症になってからの祖母の子供みたいな顔を思い出す。
お葬式の時棺に寝ていたおばあは化粧を施されていてきれいだった。人形みたいだったけど。そのときは特に悲しいという感じはしなかった。亡くなったのだということはわかっていたけど、それよりこの仰々しい仏壇や口うるさい坊主に閉口していた。
火葬場で、棺の中に入ったおばあがいよいよ焼かれるというそのとき、急に怒りのようなものが沸いてきた。皆が淡々と事を進めていて、それにのってきてしまったけれど、本当におばあを焼くのか?と思うと、信じられなかった。この行為は絶対間違っていると思った。涙が出てきた。見ると、親戚の中で私の家族だけが泣いていた。煙は黒かった。出てきた骨は白かった。形がちゃんと残っていて。みんなで箸でつまんで壷に入れていた。物凄く物理的にそれは行われた。伯父や伯母がそうして入れているのを見て、確かに日頃から感情を表に出さない人たちではあるけれど、すごいなと思った。自分の母親の骨である。
帰り道、車で送ってくれていた従兄弟が気まずそうに、「初めてなんだね。俺は何回かあるからさ」と言った。「うん」と言いながら、心の中で、そういう問題じゃないと思った。初めてだからとか慣れたからとかいう問題じゃきっとない。
そのあとは納骨で。12月で、寒かった。畑の中にある亀甲墓の塗り固められた石の扉を開けて、中の部屋に骨壷を入れる。長男が入る。ずっと一緒にいたのは次男の伯父なのに、本島に住んでいる長男と東京に住んでいるその長男が入る。ちゃんと置いたらそこでまた漆喰で塗り固めて読経。以上。
人が死ぬということは、つまり人がなくなるということなんだと。そしてそのひとのことを皆がどう思っていたのかとか、そういう場なのだと。すごく悲しかった。

この時期になってしか書けなかったのは、すぐに書いたのでは不謹慎だと思ったからだ。私は祖母のお葬式をしたという記憶はあるが、祖母が死んだという感覚は無い。写真で見る限り元気そうだし、記憶の中ではすごくしっかりした「これで鉛筆と帳面を買いなさい」といってお小遣いの使途を定める祖母である。

ペンディングではあるが、一つのメモとして。

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