August 30, 2010

本を買うひと

本を買うということがけちけちしてきたなあと思う。特に小説。
文庫出るまで待とう、っていうのが結構ある。
1Q84なんか、1,2はハードカバーで買ってるので、3だけ文庫というわけには到底いかないのだけど(気持ち悪いから)、結局買っていない。ふむ。

こないだ妹らとまたもジュンク堂に行ったのだが、妹は私の影響かどうか、江國香織を最近随分読んでいる。
で、新刊はないのお姉ちゃん、と。
うち大体そろってるからね、と。文庫まで待てばとか(ならんかもしれないのだけど)、これまた不倫ものだしね、そういうのばっかり買ってると本棚そんなのばっかになっちゃうしね、とか。
私の中では結構江國さんの本買うっていうのがプライオリティ低くなってきているのである。
妹のような情熱がない。


私も高校生とか大学生とかの時は、本をそんな風に買っていなかった。東京で最初は目黒に住んだのだけど、目黒の駅ビルがしょぼくて、やっと改装され有隣堂が入った。で、そこで嬉しくていろんな新刊を手にとっては欲しくなり、ハードカバーということも気にせず買った。江國香織のハードカバーは大体この時期に買われた作品である。ほかにも「GO」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」(これは読んで、無駄な金使ったなと後悔したのだけど、映画化したら大ヒットしてたので、本と映画は別物よなという感を深めた)とか、所謂ジャケ買いした。

なんでそんなことをしていたのかというと、学部当時の金銭感覚がまだ親の扶養の下にいて、学費も払ってもらっていたので切迫していなかったということ、食べ物より衣服より本のほうがプライオリティ高かったということ(当時の食生活はマックにしろサイゼリアにしろ生協のパンにしろジャンクフードばっかりだった、自炊はは半分もやってたかしら)、本の中でもまだ読みたいと思えるものが今みたいには見つけきれていなかったということが原因としては考えられる。

今は読みたい本がいくらもあるものだから、所謂やりくりをせねばならん。西田幾多郎の「善の研究」なんか脚注付の文庫で1000円超えるのである。おいおい文庫だろ、って思う。まあ著作権存続中か。いやそれほどの価値勿論ありまくりとは思ってるんですけど。

そういやこの前超悩んで買った「法という企て」も積読だしな(そのあとタワレコでやくしまるえつこだのボーヅオブカナダだの渋谷慶一郎だの検討しに行く予定だったのだ)。あれ確か4500円くらい。法律書だから。専門書は往々にして高い。読み物として読むというのにはなかなか。まあいいや。こつこつ読む。

で、塾で現代文教えているので、素材としてはたくさんあって。わざわざ微妙な評論というか新書買わなくてもわりと(ピンキリだけど)秀逸な問題文というのもある。いつも生徒に出すのを事前に読み込んでおくため、読むこと自体に枯渇しているというわけでもなく。

で、本。
本屋さんは好き。でも最近家の近くのブックカフェが気になっている。本を読んでていいカフェ。まあ大体のカフェって本読んでてもいいけど、安心して本読んでていいんだーっていうカフェ。まあ家で読めよなんですけど、家だとだれかが家事し始めると気になるし。そういう意味でほんとにひとりの時間ってなかなかない。深夜はひとりなんだがゆらゆらしてるから読めん。

よーし読むぞーでも明日から連勤だからなー授業も3コマあるなープレ入試の監督もあるなー。そろそろやめるか。

そぞろあるき。

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