September 8, 2010

散文

今日の現代文。
まあ、今日じゃないけど。この前の現代文。確か2001年センター本試験第1問。
河合塾のHPで見られる。すごい。まじか。
センター2001本試国語Ⅰ・Ⅱ

これ読んだとき、デジャ・ヴを感じた。というか。私とかまさにこういう感じではないか。前の日記を訂正するとか。
「日記は私の社交界、私の仲間」(いやそんなこと思ってないけど、なんというか、日記を通ってつながった人たちもいるわけで)

要は日記についての文章で、日記というものを自己の蓄積ととらえ、ともすれば自己に耽溺し、自己を高めるためのものというよりは自己を掘り進めることそのものが目的化していくという、ある種病的な状態になる、的な話で、でもそれもいいじゃん、みたいな結論である。
まあここでいうパヴェーゼとかいう人のような苦渋に満ちたなにかではないけれど。

日記というか、ブログというか、何かを文章にしてそれを踏み台にしてさらにまた文章にして、といういわゆる文章化は、考えるという作業にとても適していると思う。し、ブログという場所でそのまだ非常にやわらかい暫定的な考えを、ある程度まとめて誰かに見てもらおうという意識は、考えるという作業を効率化する、と思う。まあ、私にとっては。なんとなくで書いてるけど。
考えるということは、考えているのが自分なわけだから、自分の内部を探求しているということにはなるかもしれない。他者のことを考えてはいても、他者のことをこう考える自分、という言い換えができる。きりがないけど。でも別に自分の内部へ耽溺していっているわけではないような気もする。

なぜ書くのだろう、なぜ公開するのだろう、という問いはよく自分に向かって発せられるわけだけど、もうたくさん書いたような気がするから、もういいよね。と思うのにまた書いてしまうのは、基本的に自分の行動やら感情やらにつっこみをいれないと気が済まない、またはつっこみを意識して先に自分で言ってしまおうとする、というような意識の表れであろうと分析する。
そういうのは、多分石橋を叩いて渡るというか、最初に一部の隙もなく武装しようというか、守りなんだよなと思う。


ブログの話に戻る。
芸能人のブログとかって、すごい字少ないというか、今日何々をしましたーっていう本当にいわゆる日記だなあと思う。あと写真。いや芸能人って十把一絡げに言うとよくないけれど、いわゆるアメブロ系というか。写真が求められてるのはわかるんだけど、文章あんなに少なくてみんな見に来るんだ?という不思議(私が見に行くところが文章主体ばかりだからであって、自分のブログは自分でも長すぎると思っている)。
でも文章読みたくない?っていう。姿ならテレビや写真で随分見れるわけで、その人の内面が知りたくてブログ読むんじゃないのか。書き手が単に忙しいのか。すぐ週刊誌に書かれちゃうからか。最近はmixiニュースとかでもくだらんのあるしな。

最近私はわろきぞかし。

そういうわけで、いたって真面目なエントリ構築中。題材だけ。
・「ほんとうのこと」について(吉本隆明「詩について」)
・「正しさなんて問題じゃない」こと(江國香織、内田樹)
・「自我」のこと(内田樹・自分)
・境目のこと
・孤独のこと(母関連・江國香織)
・打算のこと


まあ先人というか、頭のいいおじさん・おじいさんの思考は本当にためになる。
長く生きてるだけでやっぱすごいのに、しかもずっと思考してるような人に敵うわけない。天性の知的センスと探求と。

2 comments:

  1. >センター2001本試国語Ⅰ・Ⅱ
     こ、これは。デジャヴというか、2001年はまさに本番の年だったわけで。現役落ちたけど。
     受験か。僕は頑張って勉強したよ。その意義について考えることもなく。

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  2. >ともさん
     あ、そっか。我々が受けた年だね。受けたけど全然覚えてなかった。英語のリスニングはおぼろげに覚えてるんだけどね、火災報知器が鳴ったから。
     
    今教えてる受験生はなぜかとても楽しそうだよ。意義については考えてないだろうな。私もまた意義は考えてなくて、単に勉強をタスクとして楽しんでいたような気がする。まあそのまま院まで行っちゃったきらいはある。

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