September 21, 2010

台場

私は台場台場言っている。自覚もある。言うだけでなく行っている。週に1度は行きたくなってしまう場所だった。東京で好きな場所は?と聞かれたら、即答した。

「お台場ってフジテレビとか?」「あそこ面白い?」
いやあそこは面白くない。カップルばっかだし、施設も微妙だ。遊園地もそんなに好きじゃないし。
つまりお台場のいいところはそこではない。

日本科学未来館があるところだ。あの未来感がいい。プラネタリウムとレイ・ハラカミと原田郁子。谷川俊太郎と麻生久美子とARATA。あのジオ・コスモスがいい。あれを見上げて寝そべるソファとそこで流れるアンビエントがいい。その窓から見上げる青空がいい。

しかし、最近はそれだけでもなく。
未来館の近くにあるガントリークレーンがいい。俗にいうきりん。きりんのような形をして、船の積み荷を下ろしたり積んだりしている。夕方から夜はそこの灯りで空が赤く染まる。大井町に住んでいたから、いつも赤い空を見ていた。それは異様な景色なのにどことなく落ち着くような空で。
沖縄にも実はガントリークレーンはある(そりゃあるな)。那覇の泊港から出るとき、右側に黄色と白のきりんが2頭。でもなんだか細っこくてさびしげ。

でも、なんでそんなに台場台場って言うのか、最近聞かれて。前職でもよく聞かれていたけれど。そこにきりんがあるから、っていう何かのパクリみたいな答え方をして。
でもそうではない。多分、台場は、一人になるのに絶好の場所だからだ。
一人になりたいなあと思うことってある。生活圏内にはたくさんの人がいて、それはそれで楽しい時もあるけれど。カフェで一人になっても、隣にはお客さんがいるし、店員もいる。話す相手がいないだけで。歩いていてもそう。街には人があふれている。
人を気にせず歩きたい。何も考えずにいたい。
そういう、空間に対する餓えのようなものが私は常にあるのだと思う。
高校時代にああいう絵を描いたのも、一人になりたいということだろうし、Coccoの歌で「うたかた」(歌詞)が好きだったのもだだっ広い校庭に誰もいない放課後を彷彿とさせるからだし、「夢路」を好きなのも、ひたすらなだらかな道と丘と赤い空を思い浮かべるからで、そこに誰も入り込む余地はない。いつだってCoccoは一人だ。

そういう風なところにいつか行きたいと、思っていて。
もしかしたら砂漠がそうなのかもしれないし、どこかの岬から望む海がそうなのかもしれないとも思っていたけれど、つまり台場にはそういうものがあると、私の中の故郷を求めるような気持ちが反応したのだと思う。
よく、私は空を見ていて雲の移り変わる造形に、その異様な大きさに、美しさと脅威を感じるのだけど、そうしているとき一番、神様っているなあと思う。そして、いつも、帰りたいなと思う。なぜか。沖縄に、とか、家に、ではなくて。私のいるべき場所は本当はここじゃないのに、こんな風に地面に足をつけてベランダの格子につかまっているような私ではないのに、という。

そういえば、「僕の地球を守って」という一部で大ヒットした少女漫画があり、私は中学生の頃いたく感動したのだけど(1987年から1994年に連載なので大分古かった)、その一番最初に、主人公の女の子が月を見て「帰りたい」と思うシーンが出てくる。あー読みたい。家の戸棚の奥深くにしまわれているはず。。某tubeにもアニメがUPされてるけど漫画の方がいいな。
そういうわけで、「帰りたい」って思うのは結構普通なのかなとも思う(この漫画の場合はいろいろ訳があるのだけど)。あーでも動画でも見てほしいかも。

台場が完璧にそういう場所かといわれると違うのかもしれないけれど、少なくとも東京にいた自分には、あそこが解放感が一番の場所だったってことだ。

ふむ。そんな感じ。
ぼくたま観よっと。

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