September 25, 2010

今の関係性ばっかり見る

妹の婚約式がもうすぐで、さびしくなるなあと思いながらも、今は楽しく、今日遂に、家族5人全員が同じ家着Tシャツを偶然着るということを達成した。写真、撮った。セルフタイマーで。

家族でいるとすごく楽しいんだけれど、ふとここを出るのかなあと考えたりして、私もいつか結婚して家を出て両親をここに残すのかなあと。自分の家庭で手いっぱいになって、ろくに電話もしなくなるのだろうか。
っていうちょっとセンチメンタル。秋だからか。いやいや。秋じゃないし沖縄。


たまに、過去のものに触れることがある。話題でも、写真でも、手紙でも。
過去にあったことについて。過去の二人の関係。過去の私に過去の君が綴った手紙。

かつてつきあっていた人がくれた手紙や写真、プリクラ。思い出。
そういうのって二人の関係を過去にするものだと思う。別れた後関係が変わってしまっても、生きてる限りは関係は続いていくというか。意識するにしろしないにしろ。Life goes on.なのに。今だって連絡は取れるし、年に一回くらいは連絡メールか何かでやりとりはするのだ。で、おそらく会えば普通に動揺するから、それはまだ友人になりきれない関係なのだろうけど、とにかく今も人間関係は続いていて。でも、そういう過去のものがあると、ついあの頃があって、今はない、っていう図式を浮かべてしまう。
今もあるよ。関係。


付き合う期間が長ければ長いほど、やっぱり過去のものというのは残る。
そして。幸か不幸かすぐ別れてしまう場合には、未練も感情も記憶も、ものそれ自体もそんなに残らない。だから、すぐに別れた人は、記憶が薄い。誕生日とか絶対覚えてない。年齢も危うい。顔もだんだん思い出せなくなる。名前は世界史の勉強の成果か、覚えてる。

江國香織の「ホリー・ガーデン」という小説に、果歩と静江という二人の友人同士が出てくることは前にも書いたのだけど、果歩は、恋愛から足を洗ったという割に、過去をずっとひきずっている。クッキーの缶の中に「津久井」という元恋人の写真、厳密には彼のとった果歩の写真がたくさん入っており、果歩は時たまそれを開けてしまう。そこにあるのは時間なのだった。
静江は画廊オーナー(芹沢というのだが)と遠距離不倫をしている。あくまで友人として付き合っていて、肉体関係を含んだ友情が一番美しいと信じ、私はそれをもう獲得している、と思うのに、ふいに不安になることがある。その芹沢曰く「妻なら一人いるよ」。「でもどうしてそんなことを聞くんだ?」

静江なら、芹沢と写真など、とらないのだろうなと思う。今が良ければその関係でいればよくて、過去の感傷に浸るような真似はしたくないと思っているんだろうなと。
今だけに集中するということ。今ある関係がすべてであるということ。

私はと言えば、手紙も写真もプリクラも捨ててない。というか、相手に申し訳ないのもあるけど、捨てることの方が意識してるような気もするし、捨て方も微妙だ。
これからの友人とのなぜだか親密だった過去、というような位置づけでいいのではないかしら。しかし今までの恋人には過去の恋人の写真を捨てろとか言われなかったな。言う人もいるみたいだね。女子も男子も。
しかし携帯は何回か壊れてるから、携帯の写真とかメールとかは残っていない。メモリもね。

恋愛から足を洗いたいというスタンスとしては果歩なのだけど、現在時点でもう過去にする準備をしてしまうのは嫌だ、という点では静江だ。


ギブス/椎名林檎 歌詞より
以下引用

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あなたはすぐに写真を撮りたがる
あたしは何時も其れを厭がるの
だって写真になっちゃえば
あたしが古くなるじゃない

あなたはすぐに絶対などと云う
あたしは何時も其れを厭がるの
だって冷めてしまっちゃえば
其れすら嘘になるじゃない

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そういうのを我慢する恋愛は正直しんどいのだと思う。冷めてしまうことを受け入れて今を恋に生きる。
でも執着して、先の呪いの言葉を何度も言うのはもっといや。
しんどい恋愛って、別にいいけど、しんどいまま結婚しちゃいけんなあと思う。

「かつて恋をした男と女が男友達と女友達になるには、たぶん、必要なことが二つある。一つは互いに全く未練がないこと。もう一つは、二人とも幸せなこと。」江國香織
多分真。

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