October 13, 2010

東京雑感

あと、国立新美術館でゴッホ展も見たんだけど、割愛。今日はよく書いた。

ゴッホだね、やっぱゴッホいいよね、って思ったのだが、開館と同時に入ったため妙に混んでいて、さくさくっと見てしまったのだった。客層も今までの展示と異なり、有名だから友達と遊ぶついでに来たみたいなちょっときゃぴきゃぴしたおばさん達とか、学芸員にやたら話しかけている薀蓄な人もいて、なんだかがやがやとしていて。
ゴッホだけでなく、ゴッホが影響を受けた画家の絵も一緒に時系列に沿って展示してあり、非常にわかりやすい。並べると、影響を受けているのがよくわかる。
でも、どっちかというと、同じ場所でやってた「陰影礼讃」という展示の方を見ればよかったと後で後悔。




東京へ行っていたのは7日間で、時間を惜しんで動いていた。

初日から圧倒され、2日目には馴染み、それでも圧倒的な情報量を処理しきれていないことを感じつつもその渦から一掴みずつ何かを掴んだ気になっては頭にメモを残す日々。
思った通りだったこともあり、思いもかけなかったこともあり、東京に8年近くいたのに何を見ていたのだろうということもあり。

共有できることがあり、共有できないことがあり。
共有できるということのよろこび。できないことのさびしさ。
できてしまった距離感。変わらない距離感。
ああ、そういえば、以前お付き合いしていた人に会っても動揺をしなくなっていて。もう大丈夫だと思えたのは大きかった。少しさびしい気はしたけど。

そうして自分の不甲斐なさをひしひし感じ、しかし自分で立ってそこに在るということの確かな実感もあり。知識も肩書も家も何にも持っていないけど、身一つがある。それだけで人と話ができたり、ちゃんと感動したりできる。
ちゃんとしたいなあと思った。なんだろう、東京の人たちって真面目だ。なんだかんだで。東京の人たちみたいにちゃんとしたいわけではないけれど。私なりにちゃんとしたい。

ちゃんと友達と友達のままでいられている安心感。

沖縄の良さが「全体的なあったかさ」だったら、東京のよさは「寒い中時折触れるぬくもり」みたいなもんだな、と思う。
そして、私は直感的に、常に人生があったかいなんてありえないと思っているので、東京の方が本当っぽいというか、むしろあったかくすら感じてしまうこともある。

お酒はほとんど飲まなかった(我ながら偉い)。コーヒーをよく飲んだ。
江國香織の小説に憧れて、ウインナコーヒーを飲んでみたけれど、冷たいクリームと温かいコーヒーが同時に触れて気持ちいい、なんてことはなく、普通にコーヒーが熱くてでもクリームが邪魔で冷めなくて、どんどんクリームは溶けていってしまうし、そんないいものではなかった。あるいは、もっとコーヒーの温度を下げてから出してくれたらよかったのかもしれない。

ジャズ喫茶にも行けた。
思えば結構な頻度でジャズを聴いてた。あの圧倒的な大音量がいい。言葉は、いらない。

で、台場は至福。やはり。
まぶしくて、あったかくて、ねむたくて。静かで、波のゆらめきと風のそよぎがどんな動物だって目を細めるだろうというくらい心地よい。空。芝生。

で、結局、一番行ってたのは六本木かもしれない。美術館が集まってるからか。街としてはそんなに好きじゃあないけれど、ミッドタウンは結構好きなのだ。建物の人工的なやさしさが。さすが三井不動産!

今Telefon tel aviv聴きながら書いてるんだけど、もうこの時点で郷愁。


あ、今週末ちょっと京都行きます、所用で。
家族一緒なのでお会いしたい方々には会えないかもなあと思いつつ。

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