October 21, 2010

京都雑感

メモの次は京都雑感。そうなるよね。

所用で京都へ赴き。
家族が一緒だったので、単独でふらふらするわけにはいかなかったけれど、2泊のうち2夜とも友人たちに会うことができてよかった。
一つはイレギュラーな感じの会。友人夫妻と友人を会わせるという。初対面なのに楽しく。これを機に皆さんが仲良くなったらこれ以上の喜びはありませぬ。
もう一つは友人とカフェ。いつも通りの友人。いつもと違う場所。かっこかわいい。研修頑張ってね。

しかし地図って便利。
今回ある程度行く場所があったので、割とちゃんと地理を頭に入れていったのだけど、この前のあまりに京都予習してなさっぷりが思い出されて、ちゃんとすればちゃんと回れるよなあと思った次第。まあ当たり前のことだ。


観光としては六波羅蜜寺、清水寺、細見美術館。

六波羅密寺の「空也上人像」は、妹の日本史の図説で見て以来目に焼き付いてしまった像。阿修羅よりも、薬師如来よりも、見たい。
小さいお寺で、裏の小学校では運動会をやっている。なんだかいろいろ混在した空間。
で、期待通りというか、期待以上で。空也自体が大分変った像なので、それだけでわかりやすく面白いのだけれど、一つの作品として心打たれるものがあった。
穏やかに苦しそうなのだ。
痩せ細った体、重そうな鐘、強く握った鹿の角の杖、着物の裾のゆらめき。絞り出すように口から出る「南無阿弥陀仏」。あの表情。目に宿った光。
宝物殿というか室というか、小さな部屋に8体くらいの重要文化財指定の像が並んでいるのだけど、どれもかなりいいものだと思う。
空也の他には、運慶と湛慶の像がリアリティ。手の甲の血管とか。見つめ合うと動き出しそうなくらい。

清水さんは3回目くらいだけれど、毎回よく混んでいる。紅葉の季節がこわい。
スケールがでかいよ。遠くにかすむ京都タワーもいとをかし。

細見美術館では「琳派展XIII お江戸の琳派と狩野派」。
全然詳しくないけれど、間違いなく素人でも感動できるくらい巧いというのもあり。
全部巧いわけだけど、特に感動したのは狩野探幽の「風神雷神図屏風」。
風神と雷神を見たはずはないのにあのリアル。贅沢な余白が余白ではなく。線の躍動と繊細。風が起こり、雨が降り、雲がわき、雷が鳴る。人間が描いたのかこの絵を。

俵屋宗達のとかよりこっちが個人的な好みとしては、はい。
美術館的にも構造とかキャプションが変わっていて、面白かった。


で、京都は5回目くらいなのだけど。

京都の人は冷たいって思ってたけど、そうでもないのかもしれないというのが今回の感じ。
京都の人に限らず、観光で一瞬来た人に対して、そういう人々がたくさん歩いているという状況に対して、違和感とか別種の人扱いするのもわかる。沖縄でも全然ある。
でも全然沖縄とは違う。

京都クオリティ、というのはやっぱりあるなと思う。
街づくり。雰囲気づくり。日本の代表的古都としての誇りというか、守るものがある我慢強さというか、底力とでもいうような。

洗練。

落ち着き。動じない感じ。
あまりに先鋭的な保守。守りながら最先端を突き進んでるというか。すごい場所だ。
この人たちがいるから、京都は京都なんだろうと思う。

以前町屋風ドミトリーに宿泊した際に、夜絵葉書を書きながら、オーナーさんやほかのお客さんと茶の間で話したことがあって。
そのオーナーさんは30代くらいの北海道出身の人だったのだけど。「京都ってのはね、心の狭い人間がそいつらのためだけに作った小さな王国なんだよ」というようなことを言っていて。でもその人は京都でドミトリーをやって住み着くくらい京都が好きなはずで。お冷出されたら帰れって意味なんだよ、とか口をとがらせつつも、目を輝かせて京都の粋な喫茶店や展覧会の話をしていた。
そういう気持ちが分かったような気がした。
ああ、全然違うわ。

場所でこんなにも違うなんて。移り変わる色合いは木の葉だけではないのだな。愛でるべき人々。都市というのは人ありきだということ。

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