October 12, 2010

SENSING NATURE―ネイチャーセンス展

展示レビュー二個目。
ネイチャー・センス展@森美術館。

どういう展示かというと、面倒なので展覧会概要より抜粋。

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温帯性の気候や島国の複雑な地形によって、我が国では独自の自然環境が育まれ、それは古来の宇宙観や宗教観とも繋がって、この国で生まれる文化や芸術に少なからぬ影響を与えてきました。「ネイチャー・センス展:吉岡徳仁、篠田太郎、栗林 隆」では、都市化、近代化の進んだ現代生活において、自然を知覚する潜在的な力(ネイチャー・センス)や日本の自然観について考え、それが現代の美術やデザインにどのように活かされているのかを問いかけます。
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ちなみに、ここのレビューについては、ここが本当に丁寧にくみ取ってらっしゃる。

で。

・篠田太郎「残響」




これは本当にずっと見ていたい作品で。
3つのでかいスクリーンをほぼ三角形に配置してあり、どこかの駐車場や動物園のバク、奥多摩のダム、都内の川を下る風景、などを定点観測した映像が各スクリーン、数分ごとに移り変わる。その風景というのは、確かに見慣れた光景で。特に珍しい映像というわけでなく。特に名所というわけでも花がきれいというわけでもなくて。主役というか、フォーカスすべきものが特にないというか、まあバクに関してはバクに目が行くけれど、でもバクが何かするわけではなく、ただ歩きまわっていたり立ち止まっていたり。

その特に劇的な変化があるわけではない映像を、でもなんとなくずっと見ていたくなってしまう。
見ていると、てらてら光る駐車場の地面が雨に濡れていることを発見し、その蛍光灯の反射のものがなしさを感じ、奥行きのありすぎる吹き抜けのその駐車するというだけの空間にある種の解放感を感じ。なんでこんなに自由な感じがするのだろうと思い。雨の匂いや車のタイヤが濡れた地面を踏みしめていく音まで聞こえてくるような気がするから不思議である。
たとえばそういうこと。

そこで、はたと、「ネイチャー」センス展であるということに思い至る。
これはネイチャーなのか?
あくまで人工物ばかりを映し出している。
でも、ああこれがネイチャーなのだなと、思う。人工だとかそうでないとか、ではなく。それらがすべて自然なのだよなと。対立軸ではなく。駐車場を、光が照らし、水がしたたり、人間が歩き、風が吹き抜ける。それらはどこから自然でどこから人工だというような切り分けをされることなく、私たちの周囲に、まさに「自然に」そこにあり。その中で生きて感じているのだなあと。それが違和感なく、むしろ地味に調和しているのが、日本人のネイチャー・センスなのだと、いうような気がした。


で、そっとそのスクリーン裏にある展示を見に行くと、真っ白ながけから真っ赤な液体があふれ出ているその衝撃。どうしても血液しか連想できない。
「忘却の模型」
作者の意図するところは理解していないけれど、自分の、あるいは他人の身を切ったらこういう赤い赤い液体があふれてくるのだというその生々しさは、普段結構忘れている。
そんな平和。そんな感覚。


他もいろいろあったけど、私はこの「残響」が好きでした。
割と大きな作品が多かったからか、いつもよりすぐに見終わってしまったようなイメージ。
inoの言うように、1500円払って見る価値があるかと言われたらうーんと思う、私も。ただあれ東京シティビューとの抱き合わせ販売なので、まあシティビューを楽しめるならいいのではないかと。
シティビューは夜がいいね、断然。22時以降は人もいなくなるし。まあ平日の昼行ったら修学旅行生と外国人とお着物のおばさまたちとカップル、って感じでした。光景的にはちょうど雲間から光が射して、海っぽくてよかった。



このあとに
MAMプロジェクト021:トロマラマ
もあって、これはまあ、ふうんて感じ。映像は、うんすごいけど。歌がどうやらインドネシアの人たちらしい。爆音で聴いてたら結構よく聴こえて一応チェック。そもそもインドネシアの音楽ってどういうのかまったくイメージが無い。ガムラン?て感じだ。いやガムラン好きだけど。
RNRM(Rock n' Roll Mafia)/zsa zsa zsu


この展示を見た後、つい散策中に、首都高が上を走る川の水面を凝視してしまったのはいうまでもなく。

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