November 19, 2010

結構年下の子に、「大人ですねー」って言われて、それはそうだね、年食ってるからね、って思いながら、「そうかなー」なんていうとき、自分が年っていうものを意外と気にしてるなとか思い、ふむと思う。

内田樹氏が「学年」というものについて本で語っていたなと思いだす。そういう「偏狭なコミュニティ」のこと。なぜかあるその連帯感や別に思う意識。一個違いだけと学年は一緒、っていう。
院など学年など一緒でも年はてんでバラバラで、でもおかしなことに学年を気にすることというのはあった。どういう意識なのでしょう。


で、年上でも年下でも、その人のせいじゃないもんな、と思う。若いのはその人のせいではないし、年取ってるのもその人のせいじゃない。その人にはどうしようもなくその年に生まれたのだから。
どうしようもない属性というのは結構多い。
性別、国籍、出身地、背の高い低い、重さの重い軽い。
そういうので差別してはいけない、って多分教えられるし、意識の中にもそういうのあるけど、年齢で差別しちゃいけないとは言われたことない。寧ろ年長者を敬えと教えられるのであり(儒教の影響アジア圏のためか)。
同じように年齢もまたその人が選べるものではないのよなあと、まあそれだけなんだけど。

ちなみに、祖母が85なのだが、病院なんかに行ったとき隣に座ったおばあさんと会話をしてて、1,2歳の差を気にしているので、すごいなと思う。

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