December 9, 2010

くるりのこと。

僕は今、語ろうと思う。
くるりのことでも。

このブログでも何度かというか何度も、ツイートの方でも何度も、くるり絶賛だったわけだけど、つい最近くるりの特集があった。NHKで「SONGS」という番組があってそれにくるりが出ていたのである。まあ30分番組なんだけど。

リビングで見ていたので、家族もいて、家族からはくるりのよさがわからないなー的空気が発せられていたので、よさを伝えてみようかとも思ったけれど、やっぱりやめた。言葉にすると、石になります。そのとおりだ。


くるりというのは、大ファンだ、と言うのに不向きなバンドである。よくわからないけど、そんな気がする。
くるりを好きだと言う人たちは、何気なく好きなことが多いような気がする。
でもよくよく考えてみると実は根深いところで、性格レベルで浸透しているようなところがある。
例えば東京事変なら、例えばイエモンなら、例えばナンバーガールなら、例えばハイスタなら、それはすごく意識的な自覚的な、コミットの仕方がある気がする。意識的にこのスタンスが、この世界観がとてつもなくツボなのだということが言えるような気がする。言葉にしやすいというか。このバンドのこういうところがすごく格好いい!という風に。そして傍目にもそれを好きだということのイメージが持ちやすい、良くも悪くも。この人はイエモンが好きなタイプなんだなあっていう。
でもくるりはそこらへんのインパクトがすごく薄いような気がする。

くるりというのは語るのに不向きなバンドである。
彼らの新しいアルバムは、「言葉にならない、笑顔を見せてくれよ」というタイトルなのだけど、本当に彼らの音楽のよさというのは言葉にしにくい。し、言葉にできない何かを楽曲に盛り込むのが本当にうまいと思う。そういうものを大事にしていることがよくわかる。

だから、聴けばわかるさということでもない。いや、聴いた方が早いんだけど、聴いてもすぐにはわからないこともたくさんある。私も多分わかっていないことがたくさんある。
でもなんだかその空気感が好きで。流れる時間の早さがしっくり来て。音の一つ一つが耳にしみこむ。
そして、巧いとは言いがたい、時々裏返ったり少し頼りなかったりする、でも素直な声が心に直接ふれる。巧く歌おうとしないところが、余計にその歌詞のシンプルさに似合う。
詞もいいのだけど、岸田繁は本当に深遠な真理を理解し確信して書いているわけではない、と思う。ただ、言葉にできない何かを、言葉と行間で(むしろ行間で)なんとなく汲み取って、あとは音楽でその感覚を表現しているように思える。
くるりのすごいところは、そこだ(私見)。言葉にできない何かを、音楽と言葉と言葉じゃないもので表現している。言葉の違った使い方。村上春樹の短編集「神の子供たちはみな踊る」の中の「かえるくん、地球を救う」での、かえるくんの言葉をなんとなく思い出す。
「ぼくは純粋なかえるくんですが、それと同時にぼくは非かえるくんの世界を表象するものでもあるんです」
ついでに「あしか祭り」からも。
「真の意味は、つまり我々のアイデンティティーとしてのあしか性を確認する作業はこの行為の連続性の中にこそあるのです。祭りとはあくまでその追認行為にすぎないわけです。」


飽きが来ないのもいいな、そういえば。本当にいろんな曲がある。アルバムごとに変わる。けどアルバムの中でも結構いろいろ。
たとえば「THE WORLD IS MINE」とかには、「WORLD'S END SUPERNOVA」も入ってるし「男の子と女の子」も入ってるし、「GO BACK TO CHINA」も入ってる。

これまでにもチャレンジングで格好いいバンドはたくさんあったと思うしそれはそれでいいのだけど、それを見ながら焦りもせず(いやわかんないけど)自分の世界観を表現し続けてきたのは本当にすごいなと思う。何かから影響を受けるということは大いにあれど、結局くるりの音楽になっている。だから多分、私は飽きもせずギャップに驚きもせず、くるりを聴き続けていられる。

結局くるりのよさを、伝えることはできなかったと思う。でも、くるりをいいと思っている人の共感を、もしかしたら得ることができるかもしれない。
そういう類の文章というのはある。

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