February 14, 2011

1973年のピンボール

読了。以下メモ。


行き詰まり
変化
腐敗
崩壊の過程
ひとり
細かな粒子
変化
reset
現在
すり抜け


「ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。」

「一九七三年、そんな年が本当に存在するなんて考えたこともなかった。」

「誰もがめいっぱいのトラブルを抱え込んでいるようだった。トラブルは雨のように空から降ってきたし、僕たちは夢中になってそれらを拾い集めてポケットに詰め込んだりもしていた。何故そんなことをしたのか今でもわからない。何か別のものと間違えていたのだろう。」

「彼女はナイフとフォークで器用に海老の皮を剥きながらボソボソ言った。『誰も私のことなんて好きにならないわ。ロクでもないゴキブリ取りを組み立てたり、セーターを繕ったりして一生終わるのよ』・・・『君は可愛いし魅力的だし、足だって長いし頭だっていい。海老の皮だって上手く剥ける。きっとうまくいくさ』」

「『そしてこう思った。どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程にすぎないじゃないかってね。違うかい?』」

「わからない。良い質問だが答がない。良い質問にはいつも答がない。」

「僕たちがはっきりと知覚し得るものは現在という瞬間に過ぎぬわけだが、それとても僕たちの体をただすり抜けていくだけのことだ。」

「そして一日、窓の外を通りすぎていく十一月の日曜日を眺めた。」

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