March 4, 2011

CMを見て人生を思い孤独に安心したりする日常風景

■最近好きなCM
UR賃貸:クラムボンmitoさんなど
養命酒:渋谷慶一郎を使うところが素晴らしい
三井不動産レジデンシャル:言わずと知れたAcross the Universe
エステー:センスが好き


■人生が崩壊の過程であるということ
ピンボールの「どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程にすぎない」という言説について。
「人はいつか死ぬ」「ネタばらしすんな!」というツイートがあったけれど、ほんとネタバレの今生を、終りが来ると知りながらそれでも明日は今日より素晴らしい、と前へ進んでいくわけで、でもそっちは前なのかも本当はわからないわけだけど(BY トモフスキー)、ただそんな風に言ってしまったら元も子もないのである。鼠よ。
そこまで見てしまった上で、それでも生きているのだから、生命のちからというのは本当に力強い。麗しい。
でも、みんなそれどうしてるんだろう、と思う。私も。見ないふりをしているのか、見てもどうにかなるものではないので気にかけないのか、特に気にならないのか。きっとそこで一度立ちすくんでしまうのが文学者であり、それでも生きながら我慢強く考えて表現して世界のコアをなんとか見通そうとするのが春樹であり漱石であるような気がするわけで。(それは文学者という人々が文章というものを使っているから特にそう見えるだけでもしかするともっと違う分野の人もそうなのかもしれない)
壮大な暇つぶしであれ、咲いて散る花のようであれ。「負け試合を意気揚々と」、だな。


■孤独という考え方について
私にとって孤独とは近しいもので、寂しいというよりは安心する考え方であるということに気付く。孤独であろうとするのはそっちの方が楽だからだ。孤独でない、または孤独であってはならないという考え方の脅迫。絶望感。でも、孤独というのは寂しくて、でもすっきりとしてて、そんな心もちすら楽なものなのだ。

私は、人間に必要なのは孤独を感じる時間と感性だと思う。
自分が一人の独立した人間で、時にはいろいろな人と関わったりコミュニティに参加したりするけれど、しかしそもそもはたった一つの生命体であり、人間であり、魂であると実感すること。そしてその魂を理解し護れるのは基本的に自分一人なのだということ。
そういうもともと別々の者同士が、ときたまわかりあえたりするのが感動したり嬉しかったりするのだということ。そう思ってればわかりあえなくても悲しくないし、別に腹も立たない。腹をたてる筋合いのものではない、そもそも。誰かの価値観や考えが優っているわけでも、誰かが誰かより価値があるわけでもない。価値というのはフィクションだからな。
しかし、みんな最後は死ぬって平等でいいシステムな気がする。
まあ人間とか生命って根っこのところでみんなつながってるような感覚はあるわけだけれど。
ただそれは意識上には上ってこない気がするんだ。無意識になったときに混ざったり溶け込んでるじゃないかな。

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