November 3, 2011

flatspin

先日おーん宅人さんことちあこさん、とお会いした。

とても落ち着いていてやわらかくてしっとりした知的な話し方をする方で。
笑顔がきらきらしていた。お姉さんのはずなのに私の方がどぎまぎしていたような。
緑色のサイトの時に、LARKがあったから、実は結構ロックというか、ハスキーな感じの雰囲気を想像していた。
というか、もしかしたら中身はロックでハスキーなのかもしれないけれど、しっとりしてるところが大人だなーと思ったり。うっとりするような声です。

Web上での知り合いと会うことに、いくら私とはいえある程度のハードルはあるのだけれど、年々それがフラットになってきたような気がする。学校の友だち、会社の人、地元の人、Webの人、みたいな一つの括りではあれど、それらの間の差異は別に無いというか。どの括りでも、そこでの顔ってちょっとずつ違うと思うのだ、そこでのポジションってあるし。そういうのを他のコミュニティの人に見られるのがちょっとはずかしいのはどれも同じで。もし顔が見えてないっていう違いがあるなら、会っちゃえば解消されてしまうわけで。

そうやってどんどんフラットになって、重力も無くなって、どっちが上か下かわかんなくなればいい。
あ、Twitterにつぶやこ。

この土日、本棚が来て、やっとダンボールから諸々の本を詰め込んでいたのだけれど、旦那さんの買った「思想地図β」の冒頭で、東浩紀が書いていた。
これだけの格差社会になってなお「新しい連帯」を創りだすということが、ネットカルチャーでできるのではないか、できつつあるのではないか、という思想、試み。
ただ、彼はこの震災が、現実の格差というものを見せつけ、我々を再びばらばらにしてしまった、又は既にばらばらであったことを震災が明らかにしてしまったと語る。逃げることができる人とできない人。

Webとはいえ広い海で。荒波のところもあれば澄んで凪いだ場所もあるし、あたたかくて暮らしやすい場所もあれば寒くて荒んだところもあろう。縄張りみたいなものもあるかもしれない。ネットに絡み取られるのを振りきって泳ぎ出す人もいよう。

Web上のすべての場所が呼吸のしやすい場所だとは言わないけれど。
それでも私たちをフラットに無重力に、その気になればどんどんふわふわ飛びまわれる気分にさせてくれる。少なくとも物理的なこのフィールドよりは。

私はそのフラットさを良しとしたい。
人間ひとりひとり、その人をまっすぐ見て、大切にする土壌。

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