April 20, 2012

haru

押し黙る季節。

沈黙ということ。
適した言葉を見つけることが出来ない。
そもそも言葉を発するのが適当でないと感じる。
何か言葉にした瞬間に後悔してしまう気がする。
本当はそうではない、と次の瞬間に言ってしまいそうな気がする。
そうした態度を見せることが一切正しくない気がする。

確かなものだけが手の中にあり。
それを握り締めている限り大丈夫。
そんな風に思う。そして押し黙っている。


「絶対」の脆さを測りながら拒んでいたこと。
椎名林檎の「ギブス」という曲をはじめて聴いたのは高校生の頃、理解したのが大学生の頃、腹落ちして自分自身の思考となりかけたのが院の頃、開放されたのが社会人1年目、手のひらに載せることが出来てきたのがここ最近。

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あなたはすぐに絶対などと云う
あたしは何時も其れを厭がるの
だって冷めてしまっちゃえば 其れすら嘘になるじゃない
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「絶対」を信じたが、実は「絶対」が無いことを悟り、しかしその「絶対」を求め、さる後に「絶対」を諦め、「絶対」という概念自体を厭い、「絶対」という概念を意識的に忘れ、「絶対」という概念を思いつくという事象の方へ興味が移り、「絶対」は一概念としてつまり「信念」とか「快楽」とかそういったものと同じレベルまで落ちてきて、やっと「絶対」の呪縛から解放される。

そうして得たとても大切なかたまりを、かけがえのない確信を、私は「絶対」と呼ばずにおこう。

1 comment:

  1. FBと違ってイイネ!がないので、こうやってコメントを書くわけですが、あの機能ってすごく便利で、フィーリングでポチできちゃうから、慣れてしまってて。ブログの記事に惹かれたときのコメントに頭を絞ることが最近すごく少なくなりました。

    改めて読み、心をギュッと掴まれたんです。

    まだ、「絶対」をあきらめたくない場所に自分はいるんだな、ということを、人の描いた絵から確認してしまう寂しさと、こんな風な文章いつか書きたいな、その意識まで到達したいな、というなんだかかけ離れた気持ちが混在して、冷静で。
    コメントかきながら、文章書いているときは少なくとも自分をコントロールできている気がする、ということを確認し。

    かけがえのない確信はいつか私のところにもくるし、今は押し黙る季節ではないことと、読んでもらって一番面白いのって私の人生位のものなんじゃないかな、という感覚を得て、ああ表現っていいな、って思いました。

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