September 8, 2009

依存とか性差とか

ふと、恋愛について考える。
この前のエントリで、恋人が欲しいということの意味は、優先して一緒にいてくれる人がほしいのだということ、という話があったけれど(そういう場合もあるということ)、それに関連して。

恋愛は依存であろうと思う。一つの重要なファクターとして、「依存」であろうと。何となくそう思う。
依存関係のない相手とは恋愛関係ではないと思う。手をつなごうが、好きだと言い合おうが、結婚しようが、恋愛ではない気がする。

依存というのはどういうことかというと、相手が自分を気にかけること、つまり気持ちの見返りを要求するということ。それがなくてはだめだと思ってしまうこと。

それがなくても平気な場合、恋愛とは言わないのではなかろうか。

そして、恋愛関係に陥るには、互いにその相手に依存する気になるかどうか、というのがあろうと思う。
好きだけど友達、という場合には、この依存する気が起きないということじゃないかしら。


話変わって。

母が、男の人というのは、自分の人生とか信念が最優先で、家族のことを二の次にする人が多いらしい、という話をしていた。男同士の友情を、家族よりも優先させたりする、とか。
で、私はその話を聞いていて、そうよそうよ男ってひどい、とは思わなくて、私もそれはしかねないなと思うわけで。
論調として、男は、女は、という話をする時に、まず性別ありきで語るところというか、どっち側に属しているという意識からスタートする話というのが、しっくりこないところがある。
勿論確実に性差で立ち位置が違う話というのはあるけど(子供を産むとか)、こう、自分の人生と家族との優先度の話とか、大切にするされるの話とか、別に性差関係なくね、という話でも、なぜか性別で分けて話されることというのがあって。
今思えば、院に行くとあまりそういう話はでなかったので、意識が違ったんだろうなと思う。性別関係なく独立した個人、というか。まあ私の周りは。
勿論家庭を運営していく中で、結局は女が家事を負担するのだとかいう結果論はあると思うのだけど。

院時代に、学部の時の友人と結婚の話をしていて、私が「まだ相手を大切にしたり、幸せにする自信がないんだ」という話をしたら、「男みたいだね」と言われたのだけど、別に男みたいじゃないと思う。大切にするとか幸せにするとか、そんなの両者が努める話だと思う。

とかいう疑問。

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