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May 4, 2015

20150502Daiba-Asakusa

これもメモで。

・行くぜ台場
・その前に新橋万世でかつサンド確保
・ゆりかもめの車両変更。顧客ニーズのわかってなさ。
・これからBBQ行くんだね
・青海
・陽射し、きりん、赤い海(ここまでエヴァ)、レイヤーの撮影会、つりびと
・晴雨兼用傘(菅笠タイプ)
・かつサンドうまい
・ハンバーグサンドもうまい
・テレコムセンター競歩
・ニューヨーク行けよ発言
・ヒミコとホタルナ完売情報からの乗り換えルート切り替え
・かき氷(1回目)
・海舟ふたたび
・船に乗ってる時だけ手を振り合う文化について
・海なのに360度ビル郡
・日の出で歌舞いた船遭遇
・なんか隅田川遡上
・女子大生なのかOLなのかわかんないけどちゃんと抜け目なく可愛くしてる女子集団の向こう側に築地とか
・浅草・仲見世・芋ようかん
・浅草・仲見世・かき氷(2回目)
・オープンレストルーム
・レッツパンケーキ@Cafe michikusa で美味しい
・オシャンティーいただきました
・京都みたい
・なんかスカイツリーまで一駅で近いけど
・だんだん禍々しくなってきたけど
・終末感やばいけど
・空間に歪みが生じてるけど
・これロンギヌスの槍ですかね(ここまでエヴァ)
・ソラマチっていわゆる郊外のショッピングモールですね
・神保町から移転した雑貨屋
・きのこ・文鳥・鮭・アリクイがすべて可愛い雑貨屋
・なんかごはんの匂いとかお風呂の匂いとか
・意外と浅草線からの京急乗り入れですごい早め
・浜虎長蛇ゆえ塚田農場
・ファンにさせる仕組みのすごさ
・担当、生産者とのヒモ付け、宮崎愛中心のコンセプト設定、説明とフランクさ、現場レベルでの工夫促進の仕組みづくり
・感心感心

October 13, 2010

東京雑感

あと、国立新美術館でゴッホ展も見たんだけど、割愛。今日はよく書いた。

ゴッホだね、やっぱゴッホいいよね、って思ったのだが、開館と同時に入ったため妙に混んでいて、さくさくっと見てしまったのだった。客層も今までの展示と異なり、有名だから友達と遊ぶついでに来たみたいなちょっときゃぴきゃぴしたおばさん達とか、学芸員にやたら話しかけている薀蓄な人もいて、なんだかがやがやとしていて。
ゴッホだけでなく、ゴッホが影響を受けた画家の絵も一緒に時系列に沿って展示してあり、非常にわかりやすい。並べると、影響を受けているのがよくわかる。
でも、どっちかというと、同じ場所でやってた「陰影礼讃」という展示の方を見ればよかったと後で後悔。




東京へ行っていたのは7日間で、時間を惜しんで動いていた。

初日から圧倒され、2日目には馴染み、それでも圧倒的な情報量を処理しきれていないことを感じつつもその渦から一掴みずつ何かを掴んだ気になっては頭にメモを残す日々。
思った通りだったこともあり、思いもかけなかったこともあり、東京に8年近くいたのに何を見ていたのだろうということもあり。

共有できることがあり、共有できないことがあり。
共有できるということのよろこび。できないことのさびしさ。
できてしまった距離感。変わらない距離感。
ああ、そういえば、以前お付き合いしていた人に会っても動揺をしなくなっていて。もう大丈夫だと思えたのは大きかった。少しさびしい気はしたけど。

そうして自分の不甲斐なさをひしひし感じ、しかし自分で立ってそこに在るということの確かな実感もあり。知識も肩書も家も何にも持っていないけど、身一つがある。それだけで人と話ができたり、ちゃんと感動したりできる。
ちゃんとしたいなあと思った。なんだろう、東京の人たちって真面目だ。なんだかんだで。東京の人たちみたいにちゃんとしたいわけではないけれど。私なりにちゃんとしたい。

ちゃんと友達と友達のままでいられている安心感。

沖縄の良さが「全体的なあったかさ」だったら、東京のよさは「寒い中時折触れるぬくもり」みたいなもんだな、と思う。
そして、私は直感的に、常に人生があったかいなんてありえないと思っているので、東京の方が本当っぽいというか、むしろあったかくすら感じてしまうこともある。

お酒はほとんど飲まなかった(我ながら偉い)。コーヒーをよく飲んだ。
江國香織の小説に憧れて、ウインナコーヒーを飲んでみたけれど、冷たいクリームと温かいコーヒーが同時に触れて気持ちいい、なんてことはなく、普通にコーヒーが熱くてでもクリームが邪魔で冷めなくて、どんどんクリームは溶けていってしまうし、そんないいものではなかった。あるいは、もっとコーヒーの温度を下げてから出してくれたらよかったのかもしれない。

ジャズ喫茶にも行けた。
思えば結構な頻度でジャズを聴いてた。あの圧倒的な大音量がいい。言葉は、いらない。

で、台場は至福。やはり。
まぶしくて、あったかくて、ねむたくて。静かで、波のゆらめきと風のそよぎがどんな動物だって目を細めるだろうというくらい心地よい。空。芝生。

で、結局、一番行ってたのは六本木かもしれない。美術館が集まってるからか。街としてはそんなに好きじゃあないけれど、ミッドタウンは結構好きなのだ。建物の人工的なやさしさが。さすが三井不動産!

今Telefon tel aviv聴きながら書いてるんだけど、もうこの時点で郷愁。


あ、今週末ちょっと京都行きます、所用で。
家族一緒なのでお会いしたい方々には会えないかもなあと思いつつ。

September 21, 2010

台場

私は台場台場言っている。自覚もある。言うだけでなく行っている。週に1度は行きたくなってしまう場所だった。東京で好きな場所は?と聞かれたら、即答した。

「お台場ってフジテレビとか?」「あそこ面白い?」
いやあそこは面白くない。カップルばっかだし、施設も微妙だ。遊園地もそんなに好きじゃないし。
つまりお台場のいいところはそこではない。

日本科学未来館があるところだ。あの未来感がいい。プラネタリウムとレイ・ハラカミと原田郁子。谷川俊太郎と麻生久美子とARATA。あのジオ・コスモスがいい。あれを見上げて寝そべるソファとそこで流れるアンビエントがいい。その窓から見上げる青空がいい。

しかし、最近はそれだけでもなく。
未来館の近くにあるガントリークレーンがいい。俗にいうきりん。きりんのような形をして、船の積み荷を下ろしたり積んだりしている。夕方から夜はそこの灯りで空が赤く染まる。大井町に住んでいたから、いつも赤い空を見ていた。それは異様な景色なのにどことなく落ち着くような空で。
沖縄にも実はガントリークレーンはある(そりゃあるな)。那覇の泊港から出るとき、右側に黄色と白のきりんが2頭。でもなんだか細っこくてさびしげ。

でも、なんでそんなに台場台場って言うのか、最近聞かれて。前職でもよく聞かれていたけれど。そこにきりんがあるから、っていう何かのパクリみたいな答え方をして。
でもそうではない。多分、台場は、一人になるのに絶好の場所だからだ。
一人になりたいなあと思うことってある。生活圏内にはたくさんの人がいて、それはそれで楽しい時もあるけれど。カフェで一人になっても、隣にはお客さんがいるし、店員もいる。話す相手がいないだけで。歩いていてもそう。街には人があふれている。
人を気にせず歩きたい。何も考えずにいたい。
そういう、空間に対する餓えのようなものが私は常にあるのだと思う。
高校時代にああいう絵を描いたのも、一人になりたいということだろうし、Coccoの歌で「うたかた」(歌詞)が好きだったのもだだっ広い校庭に誰もいない放課後を彷彿とさせるからだし、「夢路」を好きなのも、ひたすらなだらかな道と丘と赤い空を思い浮かべるからで、そこに誰も入り込む余地はない。いつだってCoccoは一人だ。

そういう風なところにいつか行きたいと、思っていて。
もしかしたら砂漠がそうなのかもしれないし、どこかの岬から望む海がそうなのかもしれないとも思っていたけれど、つまり台場にはそういうものがあると、私の中の故郷を求めるような気持ちが反応したのだと思う。
よく、私は空を見ていて雲の移り変わる造形に、その異様な大きさに、美しさと脅威を感じるのだけど、そうしているとき一番、神様っているなあと思う。そして、いつも、帰りたいなと思う。なぜか。沖縄に、とか、家に、ではなくて。私のいるべき場所は本当はここじゃないのに、こんな風に地面に足をつけてベランダの格子につかまっているような私ではないのに、という。

そういえば、「僕の地球を守って」という一部で大ヒットした少女漫画があり、私は中学生の頃いたく感動したのだけど(1987年から1994年に連載なので大分古かった)、その一番最初に、主人公の女の子が月を見て「帰りたい」と思うシーンが出てくる。あー読みたい。家の戸棚の奥深くにしまわれているはず。。某tubeにもアニメがUPされてるけど漫画の方がいいな。
そういうわけで、「帰りたい」って思うのは結構普通なのかなとも思う(この漫画の場合はいろいろ訳があるのだけど)。あーでも動画でも見てほしいかも。

台場が完璧にそういう場所かといわれると違うのかもしれないけれど、少なくとも東京にいた自分には、あそこが解放感が一番の場所だったってことだ。

ふむ。そんな感じ。
ぼくたま観よっと。

June 23, 2010

故郷

だらだらと、東京での思い出の地を書いている。
東京を知らない人だと全然面白くないだろうなと思いながら書いている。
思い出しながら書いているのだからもう記憶には記録されているはずで、この場合ブログに書くことに備忘録の意味は無い。じゃあなぜ書いているのかって、一つには書きたいのに書くネタがないからで、一つには郷愁募ったからである。

先のエントリにも少し書いたが、通っている美容室は東京に8店舗くらい、沖縄に1店舗だけある。他府県にはない。社長が沖縄好きで将来ここでやりたいから展開している、と聞いたけれど、実際今勤務しているのは東京で勤務していた美容師さん4人と地元採用だろうか、1人のネイリストさんがいる。みんな東京に暮らしていた人々なので、私がそっちの話題にのれるとわかるとうれしそうに話す。沖縄に来るなんて結構すごいなと思うのだけど、みんな淡々としている。若い子は多分20かそこらだ。
私はこの美容室が好きで(他に浮気をしたことも実はあるけれど、だめだった)、どこの店舗も結構好きだった。スタッフの仲がいいし、礼儀正しいし、てきぱきした雰囲気がいいし、私が黙ってればやたら話さなくていい。


そういう、東京への郷愁が少し前にはあったわけだ。美容室の下りは、まあそういう同士がいるということ。
郷愁とは何ぞや、と思う。


故郷って何かしら。
生まれ育った場所。よく聞く話だけれど、生まれと育ちが違う場所で、かつ転々としていたら、故郷はどこになってしまうのかしらっていう。
それで、やっぱり極端な話、心の置き所というものになるんじゃないかと思うのだ。
そうすると、これはある意味どこでもよくなる。その人次第になる。
これは一応措く。

もしかすると、家族の所在地だったり、生家の所在地だったりが重要なことなのかもしれない。
見慣れたものがある、とか、そういうことなのかもしれない。
遠い記憶をなぞれるものがある、そういうことなのかもしれない。


私の場合、多分、故郷は沖縄なのだろう。
それで、考えてみると、家族の所在地であり、生家の所在地であり、見慣れたものもあるし、遠い記憶をなぞれるものもある。
うん、故郷だ。申し分ない。
しかし、これらがなかった場合は故郷たり得ないだろうか。
家族がみんないなくなってしまったとき。家がなくなってしまったとき。見慣れたものがどんどんなくなってしまったとき。遠い記憶をもはやなぞることができなくなってしまったとき。
沖縄は故郷ではなくなるのだろうか。

私は、沖縄という土地だとか人だとかそういった具象的なものだけではなくて、いやむしろそれらとは全然関係なく、「沖縄」という概念に縛られていると感じるときがある。
勿論そうなったのは沖縄で生まれ育ったからだけれど、つまり自分自身が「沖縄」に属していると、「沖縄」を愛してしまっていると思うことがある。「沖縄」という概念を、だ。
沖縄の人々をみな愛しているというわけでもなく、沖縄の景色をみな愛するでもなく。
沖縄の人はみんないい人、なわけはない。ヤンキーだっているし馬鹿だっているし殺人だって起こる。
多分、私は「沖縄」を大切に思っているのだ。
で、「沖縄」ってなんだろう、っていう疑問が提示されるわけで。

これをうんうん考えたくて、ずっと来ている。私は「沖縄」に縛られている。

概念は分解されなければならない?
概念は分析されなければならない?

ペンディング。


で、東京。

東京にいる間は沢山のものを見たし思い出もあったし、大切な気持ちを覚えた場所もある。
東京は孤独であった。
東京の孤独を思い出せる場所はきっと故郷で。
そういう故郷への郷愁を、早慶戦の喧騒の中に見出しては息を吐く。

日常の瑣事に充実などをし甘露味を覚えていても、呆けているのだ。

June 3, 2010

京浜急行

電車の話をしようかなって思ったんだ。

でも、以前にもうしてた。某あん神というサイトにあるように、リンクを貼るよ。ていうかあれいいよね。あのポップいいよね。
trace of:赤い電車

そうだこの時も、赤い電車だったんだ。
赤い電車は、京急のこと。
東京を走る、電車だ。羽田空港の方から浅草らへんの東京の東はじをつっきって、千葉方面へ伸びていく。

これを書いたときは、赤い電車にまつわる思い出は、つまり家庭教師で伺った家の沿線で、その帰りに、暗いけど明るいホームで待っていた、少し寂しい思い出。
でも多分この時の思い出はこれだけで。
そのあと、妹が沿線に住んだのだった。千葉の方。千葉ニュータウン中央。そこには大学があったけれど、早稲田とは全然違った。きれいだけどひっそりしていた。そして私は妹と妹の恋人を待つために、花のみえる丘公園というなんともさびしい公園にいた。だだっ広く、夕暮れ時で、LV30ばかり聴いていた。私は黒いコートを羽織っていたが手が冷たくなってしまっていて、手をポケットにつっこんでひたすら「今何時だろう 何時代だろう」って思っていた。犬がテーブルの上に乗り、かばんの中の憲法をくんくんしたりした。四人組ですけん、いい本ですよ。

こういう終点と始点がいくつもあるような線では迷う。泉岳寺だっけ。乗り換え。

その後、時は経ち、就職した際に住居にしたのが大井町であった。大井町はJR京浜東北線と東急大井町線の乗り入れている駅で。でも私の住居は大井町の中でも東よりでそちらには京急線が流れていた。それで妹の大学まで行かれるというのは面白かった。たとえ二時間かかるとしても。

赤い電車には千葉方面に行く時にはとても長閑だった。時間によるのかもしれなかったが、とにかくあたたかい日差しに呆けてのんびりした音楽を聴きながら。私はコトコト移動した。

赤い電車を最初に見たときは、赤いなと思った。幼馴染がいたら、「無駄に赤い」とつぶやいていただろう。形容するならば、木靴に塗られるような赤、だろうか。少しグレーの混ざったような。赤。
赤いのうと思いながら、ふと見ると、沢山電車の種類があって(つまり急行だとかエアポート快速だとか各駅だとか特急だとか)。品川のJRと京急連絡改札には券売機がない。窓口で買う。ただ、特に特急券が必要なものではないらしい。無駄にびびって窓口で「羽田空港まで」と言う。

大井町は品川からすごく近い。大井町で京浜東北線が止まっていると、だから京急の方へ流れる。そっちから品川へ接続してそこからは山の手なり復旧してれば京浜東北なりで、有楽町をめざす。有楽町から降りて日比谷線に乗り換えて、地下ダンジョンへもぐる。ここでLV30くらいである。PASMOで華麗にタッチ&スルーしてきた瞬間の日比谷線に乗り込む。女性専用車両に助けられた経験を生かし、守られながら日経を読む。神谷町につくとわらわら降りる。

あ、いつのまにやら電車から離れてた。電車を降りても電車の思い出は続く。

他にももっとある。赤い電車の曲が京都への夜行バスの中で流れていた事とか。PVを大隈ランチで見たとか。

今日は京浜急行でした。また次回をお楽しみに。

June 1, 2010

シック

最近早慶戦があった。

ご案内の通り、早慶戦というのは東京六大学野球のリーグ戦の最終組み合わせの早稲田VS慶應の戦いで、いうなれば巨人と阪神のごとく、往年のライバル、因縁の対決であり、かつ最近は早稲田と慶應が六大学野球の優勝を争うことが多いので、優勝決定戦でもある。
早慶戦は先に二勝した方の勝利で、一勝一敗だと第三戦が行なわれる。今年もそれ。
優勝が決定した暁には、勝利の美酒に酔いながら、神宮から大学までを数千人の学生が練り歩く(酒が振舞われるのは大学についてからだが大抵みちみちコンビニなどで酒を買い飲みつつ歩く。というか試合中から飲んでる)。新宿とかの大通り(車道)を交通規制させながら。しかも校歌だの応援歌だの何かのコールだのをしながら(うるさい)。沿道の人とハイタッチ、ビルからのぞく会社員の皆さんに手を振り、新宿の京王百貨店を見ては慶應倒せコールをする。
ちなみにその後は新宿コマ劇前での天下取りなる男の戦いが繰り広げられる模様だが、遠巻きに見たことしかない。サークルの男の子は1年次ズボンを破られる洗礼を受けたらしい。(最近は警察が厳しいのであんまり激しくないらしい。)

まあつまりは、酔っ払いの大集団的な感じである。しかも学生で社会的には割となんでも許されるような気分でいるのでたちが悪い。

で、私もパレードは4回くらい歩いたことがある。まじで最高である。
(ちなみに、早慶戦はものすごく楽しいカラオケを虚しさを除いて10倍したくらいの感じ。)

特に入学時に早稲田を愛していなくても、早慶戦で応援歌を1回から9回までの攻撃でずっと歌っているうちに、そして優勝などでもしようものならそのパレードで、いとも簡単にえんじ色に染まる。ああ早稲田でよかった、と心から思う。早稲田の人に早稲田好きが多いのは、この早慶戦含め数々のイベントやことあるごとに歌わされる校歌、先輩のそういう雰囲気がそうさせているのである。「早稲田で、ありがとう!」本人のせいではない。


それにしても、早慶ラグビーを見たことも一応あるのだけれど、静かなものである。応援団が力の限り応援するわけでもなく、みんなが立ち上がるわけでもない。そもそもルールがわからない(私見)。反則ばっかりで全然進まない(私見)。そして何その組体操、みたいな(私見)。スクラムを組む意味もいまいちわからない(私見)。テレビで見たほうがずっとまし(私見)。

つまり、早慶戦が早慶戦として成り立つには、早慶であることと大学であることと野球であるということの三つが必要不可欠なのだろうということ(雑な展開)。三位一体。
早慶であるというのはもうそうだろう。よくわかんないけど。ブルジョアとプロレタリアートというか。お互い(というか早稲田側は)いけすかねえと思っているし。まあ何気に他の大学より友達多かったりもするんだけど。早稲田にもいけすかないブルジョアみたいな人とかいるしね。
で、大学生。若い。暇。
で、野球。野球には人を熱狂させる何かがあるし、かつ伝統的に応援するスタイルだとか地元との密着具合だとかがファンにしみついている。

行きたかったなーという話。あ、それだけです。

早稲田つながりで。


最近ブラタモリの再放送で、早稲田をやっていて。タモリはたしか早稲田中退である。
住んでいたところの近くを丁度歩いていた。早稲田通りの方ではなく新目白通りの方(って言ってもわからないと思うけど、メジャーじゃない方)。神田川が流れている方(ちなみに神田川自体は全然きれいじゃない)。あまりに懐かしくてきゅんとなる。恋と間違うのも無理はない。物や場所を思うことも「恋う」っていうもんね。

丁度収録時期が春で、桜が咲いていた。
私はその桜の下を毎日大学まで歩いていた。私は街中ではこわくて自転車に乗れないので歩く。自然と徒歩圏内に家が定まる。そういういきさつ。

ブラタモリが話題なのは、タモリであること、散歩であること、より何より、東京であること、というのが大きいと思う。

まあもちろん「タモリ」であることのマニアックさというかある種のこなれた通っぽさ、純粋さ、もあるのだし、「散策」という比較的広範囲な、大人の遊びの中でも「ゲーム」とか「電車」とかの規定されたものではない自由さを伴うゆえに醸し出される大人っぽさ、もあると思う。
でもそこがもし山梨、とか、沖縄、とか、あるいは名古屋、とかだと違うのだろうと思う。それらは生きない。「タモリ」と「散策」を生かすには絶対「東京」である必要がある。

テレ東でやっていた「アド街ック天国」はそれを証明している、と思う。東京という町がいかに雑多であり多様であり魅力に富んでいるのか、そしてその地域により帯びる色味がいかに味わい深く変化していくか。そしてそれが視聴者それぞれにシェアされているということ。共感されるということ。

そしてそれを断片的に共有している首都圏の人々、地方出身者が、自分の愛着とともに画面から自分だけの思い出を想起させるのである。
この手の映像というのは、実際にそこに生活した人だけが実際の生活風景の中のいくつかとして知っているから楽しめるもので、そこに住んだことがない人には映像から想起されるものがない以上それは映像が映し出す断片的な世界なのである。同じ映像を見るということがその周りのことを思い起こさせるのかそうでないのかというのは、情報量にものすごい差がある。
脳の動きだって違うだろう。測ったことないけどね。

東京という街は、そういう街なのである。沢山の人たちが暮らしていて、沢山の風景や思い出を共有して、電車ではお互いの存在を受容し気遣うような。
東京論をいつかぶってみようかしら。

家族に、東京に行きたいか、と言われる。
行きたいに決まっている。面白い街だ。面白い人たちがひしめいてる。それはもはや期待でなく確信。ついったー見てるだけでもわかる。

永い人に「早稲田シック」とReplyされた。
本質的なことではある。
私は東京シックであり、友人シックであり、その両者に含まれる早稲田シックなのだ。早稲田に暮らした時間と場所とそこでの人々。楽しすぎた。楽しすぎて、書きすぎた。

上京したときは緊張してて東京の面白さに気づく余裕なんてなかったけれど。
8年経ったら東京ナイズされていた。塾でもヤマト言葉で教えてしまう。感覚も、持ってる服も、ゆゆしきことかな。ゆゆしきとか言いながらも、直す気はない。

早稲田シックしかり、東京シックしかり、お台場シック然り。愛しすぎた。人々を、名もない草木を、建造物を、海を、空を、クレーンを。ひたすら東京を。



人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。
-----------------------------------------太宰治

June 13, 2009

雨にはじまり沖縄の女の子について

沖縄は最近、空梅雨から脱して、雨がざあざあと降っている。

スコールのように、東京のゲリラ豪雨のように、激しく、しかもそれが断続的に降る。
ゲリラ豪雨は実際に経験したけれど、スコールは実際には見たことがないのに、スコールのようにって使うのは不可思議なことである。そしてそういうことって多分たくさんある。

雨は地面を叩き、道路の上を水が流れ、行き交う車は飛沫をあげて目的地へと進む。フロントガラスを覆う水も掻き分ける。

まあまあそんなに降って、と思うけれど、ダムの貯水率は上昇するので、水道部に勤めているさっちゃんは喜んでいるな、と思う(さっちゃんは、貯水量の減少を心配するあまり、トイレまで我慢している)。


さっちゃんの心意気というのは、こう、なんというか、さっちゃんに特有というよりは、沖縄の女の子に特有のような気がする。沖縄の女の子というのは、私が思うに、割にモラリストで、芯が強く、主張するところはするし、飾らない。
例外はあるし、私とかはちょっと外れているけど、大枠で。
すんなり直球をど真ん中に投げる。変化球があることは知っているけどそんなのめんどくさくて煩わしく潔くない、と、意識しない感じである。多分。
そしてそういう人達はすごく付き合いやすい。


私が東京へ出て初めて女の子の友人を作ろうと思った時に戸惑ったのはそこだった。
基本的に、「あたりさわりない」ことしかしゃべらない。ここまで、と線を引かれているのがわかるような、その線がもうありありと見えるような(ついでに言えばその線は結構本人から離れた所に引かれた、くっきりとした白線である)付き合い方だった(後日、ちゃんと気の置けない友人はできた)。


なぜ、そういう付き合い方になるのか。以下観察による推測。
自分の内面を見せることが、一大事というか、超重要機密というか、そういうものだと意識しているようである。
ありのままっていうのが難しいというか。ありのままを見せることが手の内を明かすようで、弱みを見せるようで、防衛戦略上ダメというか。
私はこう思っている、と言った途端にそれが固定されてしまう。その発言に責任をもたなきゃいけなくなる。そういう考え方の人なんだと思われてしまう。そしてそのように扱われてしまう。
かつ、相手に心の内を見せたとしても、相手が困惑するだけだ、ご迷惑だ、という常識というか、決めつけみたいなものがあるように思う。そして実際それが迷惑だと思っている人というのもいる、結構。


自分の内面と外面の、境をそんなに意識せずに生きていたから、結構困惑したのだけど、結局8年弱の東京生活で自身にもそれが染み付いてしまった。こういう意味でも東京に感化されたのだった。
宮崎出身のサークルの先輩はよく、こういうのを「東京ナイズされる」と言った。この言葉が市民権を得ているのかどうかは知らないけど、この先輩以外の人が使ってるのを耳にしたことはない。
良し悪しは各人の問題として、私はそんなに良く思っていない。全然良くない。


と、沖縄の友人たちと話していて思ったという話。
最近、友人とか、友人の友人とか、友人の配偶者とかと、土曜にバドミントンをしている。