September 9, 2009

ふられる

主に恋心を打ち明けて拒絶されることを、ふられるというが、漢字で書くと「振られる」であるのは異存ないとして、カタカナとひらがなを交えて書く場合「フラれる」と表記する件について疑問を呈したい。

まず、なぜカタカナを交えるのか、という点。
これは別に、フラれるに限った話ではなく、「イケてる」とかそういうのも同じ疑問がある。何その、カタカナ。外来語でもないし。というか、もはや、気恥ずかしいというか、古い感じがする。バブリーな匂いがする。ボディコンとかお立ち台と同じ匂いがする。

百歩譲って、カタカナ表記をしたとしよう。
カタカナの部分が「フラ」なのは何故か。なぜ「フられる」ではなく「フラれる」なのか。
漢字の部分をカタカナにしたというならわかる。でも「ら」までカタカナにする理由が知りたい。送り仮名的に気持ちが悪いのである。
この違和感は、受動態を能動態にした時に、もっとも強く感じる。
「フル」
いやおかしいだろ。FULLかと。

ちなみに、なぜ思いの丈をぶつけて敗れることを「振られる」というかについては、昔女性が好意のあるなしを振袖の袖の振り方で示したという文化に基づいているらしい(左右に振ると「好き」、上下に振ると「嫌い」)。風流ではある。
でも、好きでも嫌いでも、「振られ」ているので、なんだかなと思う。

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