September 20, 2009

強いられること

強いられることが嫌いである。かなり嫌いである。

違う考えの人がいても全然いいけど、その人が私にそれを強いようとすればかなり拒否する。反感を持つ。こと考えにおいては、強いられて変えられるようなものでもない。
大体何の権限があって強いてくるのか意味が分からん。

逆に私の考えと違う考えの人に、強いることはしないでいようと思っている。
自分の考えは開示するし、こう考える方法もあるよと言うことはあるけれど、あんたのそれ間違ってるよとか、考え方がおかしいとか、そんなのは言わない。それは間違ってもおかしくもないからだ。(漢字が間違ってるとか日本語がおかしいとかは言うよ。言う言う。)
もしある人が、間違ってるとかおかしいとか言ったとき、それもその人の考えである。という風に私は受け止めている。けど、世の中には間違ってるとかおかしいとか言われて、それが「本当に」間違っていたりおかしかったりする、と思う人もいるから(うちの妹みたいに)、言わないでいたほうがいいと思う。
私は個人主義である。

しかしそれを冷たいと言われることは多くある。
関わりたくないと捉えられるらしい。または、こうしろと言われたいらしい。
前者はともかく、後者はそりゃその方が楽である。決めるという労力を使わなくていいし、もし何か起こったらこうしろと言ったからこうなった、といういいわけができる。決定と責任を回避するのである。甘えすぎである。
もしかするとこういう態度が冷たいのかも知れん。

10代ならともかく、20過ぎたら自分のことに関する決定と責任を負うことくらいやれ、と思う。
というか、責任に関しては、自分のことなのだから、これはもう排他的一身専属的に自分が責任を負うのである。責任というのは、何かの物事から生じる不利益を被ることである。償うことである。自分のことに関するものなら、誰かの決定に従って行動したとしても、恋人関係が破綻しようが、仕事がうまくいかなかろうが、不利益を被るのは自分であって、その誰かではありえない。せいぜいその決定をした人をなじるくらいのものである。そんなリスク負ってまで、こうしろと言われたいか?と思う。

や、別に怒ってはいない。

で、強いられることが嫌いなのである。
人がすることで嫌いなことは少ないけど(自分と関係ないから)、強いられるのはなんか気に食わん。自分がそれに従わないつまり影響を受けないとしても、気に食わん。

あ、でも。
仕事とかで何かをすることを要請されるとか、そんなのは勿論やる。でもおかしいと思ったら、言う。で、納得したらやる。
仕事でなくても。
納得できてしまえば、強いられる、にはならなくなるのである。
だから、説得される、はいい。説明が入るとOKなのか。わかった。自己完結した。

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