December 28, 2009

クオリアって

ご近所のサイトで出ていた、「哲学的ゾンビ」なるものの話。
そこにわかりやすい説明のサイトとして挙げられていたのでリンクしておく。

哲学的な何か、あと科学とか:ゾンビ問題

ここでいう「哲学的ゾンビ」とは、
見た目人間だけど、脳という機械である反応をしているだけで、クオリア(体験とか質感を感じること)なしに行動している者
のこと、らしい。わかりにくかったら上記リンクへどぞ。

なぜこれが「哲学的」なのか、よくわからないのだけど。
それってなんというか、当たり前じゃない?って思った。いや自分はそうは思ってないのだけど、ある一定数の人々、つまり物理主義というか科学教というか、そういう人々はそう思っているのだと思っていた。


というか、私は数年前、
「感情に意味なんて無いよ。全ては化学反応と電気信号だから」
的なことを言われたのだけど、そう思っている人々は皆、「我々は皆、このいわゆる『哲学的ゾンビ』なんだよ。だから感情とか、脳が作ってるだけで、意味とか無いよ」って言っているのだと思っていた。そういう言葉があること自体は知らなかったけど。

大体この、クオリアってのは何だ。それこそ脳の作っているものではないのか。
その「意識とか主体的体験」とかいうものそれ自体が、脳の作ってるものだという立場ではないのか君たちは。と。わざわざクオリアというものを観念すること自体が、その物理主義と相反しているのではないか?それ物理以外の何かを認めてるでしょう。

と、その上記のリンク先に対しては思う。


で、関連してクオリアというものが脳の働きの分析によっては解明し得ないという点(と同じサイトに書いてあったので。ここ。)。
これ茂木さんが言ってるなあとは思ってたけど敢えては読んでいなくて、よく知らないのだけど、この人は、脳の分析をしても、クオリアを感じた時にどういう化学反応が起きていたということはわかっても、そのクオリアの起源がわからないから「解明できない」、と言っている。
それって、その化学反応なのか電気信号なのか部位なのかわからんけど、それがわかったということが解明な気がする。
これ前のブログで書いた、「なぜ」には2つの違う意味がある、っていう話だと思う。「なぜ」には「原理」を問うているときと、「目的」を問うているときがある。つまり、「どのように」というときと、「なんのために」ということ。で、先の脳の反応を解明するのは前者にあたるわけである。
後者の「なんのために」は、これはわからないとしかいえない。なんのために生まれてきたのか、とかと同じレベルでわからんことである。というかそもそもその「目的」が存在すると言う前提自体が、「目的」をもった者の存在を肯定していて、物理主義と反している気もする。や、わからんけど。


関連して、最近私は物理とどう関係しているのかはわからないけど、脳の中だけではないなと感じるようになっている。心的なもの、魂的なものがあると思う。それが巡ってるのか一回こっきりなのかはわからないけど、あるっぽいなーと思う。

この前「くるりくるり」とかいうエントリで書いたけど、植物とか虫とか、脳無いけど生きてるし、しかも死ぬし、その生きてる時と死んでる時っていうのの差が魂的なものの内在か否かのような気がしている。
そんなの信じないぞ、というのが流行りだったし、逆に思いっきりスピリチュアルなのも流行ってるけど(そしてそれを食い物にするのは本当にどうかと思うけど)。


かつ、「違うけど同じ」というエントリにもつながる。脳とか体とかの差が今の我々の差であって、それが違い、なのだけど、根本的に体を取り去った後に残る魂的なもののレベルでは多分優劣ほとんどないのではないだろうかと思うに至っている。
そうすると、環境や体のレベルでは生まれつきという自分ではどうしようもないけど、魂レベルでは平等なのかもしれないなどと思うのである。やっと境遇の違う人たちと同じフィールドに立てそうな気がしてきたのである。


で、クオリアってなんだ。何か読もうかな。

3 comments:

  1. 何か、哲学的ゾンビの解釈が僕と違う。
    感情に意味がないんじゃなくて、感情がないんだよ。
    僕もなぜ「哲学的」ってつくのかは謎なんだけど、
    でもゾンビっていう表現は上手いと思っていて。
    いわゆるあのゾンビのイメージやねん。
    や、僕もだま完全に自信があるわけではない、というか、めっちゃ神経を集中させたら、
    一瞬だけピンと来ることが出来る、って感じなんだけど。
    哲学的ゾンビがどんなものなのか。

    PS 今年も大変お世話になりました。

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  2. 誤:僕もだま → 正:僕もまだ
    です。ごめんなさい。

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  3. うん、あとでwikipedia読んだらそんな感じだった。すいません。

    でも、「この人にはもしかしたら感情がないんじゃないか」って、いつも思ってる「この人には赤が別の色に見えてるんじゃないか」的な疑問と同じ気がするんだよね。そんなの当人じゃないとわからない系の。だから敢えてそのことを問題にする意味があんまりわからないというか。

    あと、そもそもこの「感情」の意味がよくわからないというか。感情って脳の働きと別に存在してるものだって考えてるのかな。
    脳の化学反応なりなんなりの作用で、脳が認識してる(これも脳の作用で)ことを「感情」って呼んでるのだとしたら、「哲学的ゾンビ」ってのは、その作用がもしかしたらこの人には無いかもしれない、っていう話だと思うんだけど、それって可能性としては無くは無いにしても「違う色を見てるかもしれない」とか「違う感情を抱くかもしれない」っていうことと変わらない気がして。それっていつも私たちの身近にある話な気がするんだけども。

    それにしてもよくぞこの超不親切な文章を読んでコメントくださいました。書き直そうと思っていた。ありがとう。

    P.S.
    こちらこそ今年も大変お世話になりました。

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