March 13, 2010

ブログを書くということ

更新するときは結構な頻度で更新するくせに、更新しないときはさっぱりだ。

書くことが定まらないので、ブログのことでも。

何かを書いてそれをアップするというのを、大学一年の頃に始めた。2001年か。だからもう9年か。

少し前のブログまではかなりライフログ的な意味合いを持っていた。今日何があった、どう思った、というただの記録。今のブログはもう少し抽象度を増しているとは思う。もう少し一般的なもの、というか。
人が何かを考える時には、何か具体的な事象があってそれをきっかけに考えるのだと思うのだけど(少なくとも自分の身に引きつけて何かを考える時)、それを書かずにいきなり抽象論を書いてる気はする。「こころ」の先生の言うように、過去つまり具体的事実を暴すというのは気が進まないからだと思う。
でも結局のところ、相手に本当に何かを伝えようとするとき、具体的事実はほぼ必須だと思う。

私にとってブログを書くということがライフログから抽象論になっていったのは、多分具体的事実から何かを抽出することができるようになったというある意味成長なのだろうと思う。
で、抽出したものを一旦文章で固定すると、その次に足を掛けるのが容易だということに気づいた(やっと)。数学の問題を解く時に、式を書いていくのと同じで、ある考えに結論を出し、その結論に基づいてまた何かを考えていく、というような。
そういう作業をしないと、第一段階のふわっとした思いつきであとは忘却してしまうのである。そのふわっとしたものを拾ってくれる対話者がいて、それで発展していく場合もあるけれどそれはラッキーで、そうでなければ自分で対話的なものを想定するしかない。それで?とか、でもこうじゃない?とか、合いの手を入れてあげるというか。ふむ。
で、ブログを書くときというのは、そういうふわっとしたのを単語で記憶しといて、パソコンの前に立った時に呼び出してそれについて考えながら書く、みたいな感じが多い。

ああ、でも結構自分の頭の中で解までの道筋は立っていて、それを記録しているだけ、ということもある。その場合、大抵言葉足らずで意味分からんエントリになる。言葉が追いつかないというか。そういうときは一気に考えているので脳が興奮状態になってることが多い。で、ちゃんとできない。仕方ない、そういう仕様。

そういうことが頻繁に起こればブログの更新頻度は上がるし、起こらない時期は下がる。経験上、その多寡は交互に来る。ゆるやかな波のようになっている。

どちらにしても、文章を書きたい、表現したいという欲望で。明らかな義務感から書いたことは無い、と思う。そういう意味で、それらはどれも私自身だ。


前にご近所のブログで、
「全然手を付けないくせに、実は自分の根幹を支え、自分のアイデンティティを一番大きく握っているのが、このサイトなんです」
と述べられていたのだが、よくわかる。ちなみに私はこの方の感性と表現をほとんど尊敬している。
自分の考えを、妨げられることなく、無理なリアクションを周りに強いることもなく、ただ書いていられる場所。自分の考えが、感性が、存分に表現された場所。顔も知らない誰かがそれに触れてくれているかもしれないというかすかなあたたかみ。
Webは、誰もが行き来できて流動的で刹那的で淡白にすら見えるのに、居場所があるという安心感がある。なぜか安定する。そこに自分の場所があって、それが黙示に認められているということ。そしてそこが変わらず、誰にも盗られず、いつでもそこにあるということ。卒業もなく、退職もなく。


院の気風のいい同期がtwitterでこう書いていた。
「表現は欲望なんだ。いいか悪いかとは関係ないんだ。好きにつぶやく場が、人には必要なんだ。おまえらみたいにすき放題くだらねぇことをつぶやく特権を、何の審査もなく享受してる奴らには、その切実さがわからねぇんだ。黙ってろ、読売。」
けだし名言。読売の記事全体がどうかは取ったことないから知らないが、twitterについての上から目線の社説には私もほぼ同感した。


話が逸れかけたが、ブログを書くということは私にとってそういうことだ。自分の根幹を支える居場所であり、考えを発展させることができ、たまには手を振ったり口論できる場所。
mixiでは違った、多分twitterとも少し違う自由さとかフラット感とか。

ブログに書くことでバックアップを取っておけるという意味で便利、というのと、バージョンアップできるということと、精神的な拠り所としての意味と。

結局そういう浮かんだことを書かないとどうなるかというと、消化不良な気分になるのだ。積み残しがあったのにあちこちに置いてきてしまった感じ。そしてそのツケをいつか払わなければならないのではないかという感じ。
江國香織のように、「けりをつける」というのが私もしたいのだと思う。
で、一旦けりをつけても、十分でなければまた蒸し返せばいいのであって。検索で一発だ。便利。
で、まだ当分続きます。御付き合いの程なにとぞ。

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