May 7, 2010

タスク考

小さい頃はよく遊んだ。
沖縄だけらしいが「昼か夜か電信か」という遊びとかだるまさんとかキックベースとかせみとりとか、いわゆる外で遊ぶ遊びもやったし、トランプとかUNOとかオセロとかドンジャラとかのカードやボードゲーム、ぷよぷよとかテトリスとかRPGとかのテレビゲームもやった。

で、いつしか、勉強ばっかりの生活になっていて(高校時)。
まあ毎朝6時に起きるのが辛いというのはあったけれど、勉強自体は苦ではなかった。面白かったから。


その時に気がついて愕然としたことは「遊びも勉強もタスクって意味では同じじゃん」ということ。

遊びというのは、暇で暇で仕方ない子どもとか、仕事と別のことがしたい大人とかが、新たにルールを定めてタスクをつくってそれを達成することで喜びを得たり暇をつぶしたりする行為なんだ、と。
つまり、あえて自分で進んでタスクを作ってこなしているのが、遊びなのだ、と。まあ言い方はどうあれ。

たしか、ぷよぷよか何かをやろうとして気がついたのだった。
クリアすることを目標に、クリアの先に何か実になること(お金になるとか受験で役立つとか)があるわけでもないのに、せっせとこなすんだよなあと。これって自分で設定して自分でこなしてわーいって言ってるってこと?と。


それ以来、あんまりゲームをしようと思わなくなった。こうやって省エネ人間ができあがっていく。
何にでも意味を見出そうとして、見いだせなくて、人生全体にそれが広がって、今や人生は壮大な暇つぶしだと結論するこの体たらく。

しかし、人生が壮大な暇つぶしだとしたらだよ、タスクというのは寧ろ重要で。これがなければ生きているのは暇で暇で、暇すぎて死んでしまう。


人間が生きるために食わなければならないことや寝なければならないことも、タスクで。
家の掃除や食器洗いや洗濯も、着替えも化粧も買い物も、友人とお茶することもメールを返すことも電話をとることも、電車に乗ることも書類を読むこともパワポでお絵かきすることも、ブログを更新することもついったーでつぶやくことも。


タスクという言い方がよくないなら、TTDでもいいし、ToDoでもいいし、お楽しみでもいいし、やりがいのあること、でもいい。うん、お楽しみっていうとポジティブなイメージだな、悲壮感がなくていい。

タスクとお楽しみの違いは、自分がそうしたいかどうかという点だけだ。で、それはかなり自分に依存してることで。いわゆる気の持ちよう(私はこの文句は好きではないけど。気の持ち方ってのはその人の聖域のような気がする。軽く言ってくれるなと思う)。

なんと、この世はお楽しみに満ちている!


そんなわけで最近はゲームもちゃんと楽しむことができる(ソリティアとかだけど)。
近頃死ぬほど暇な時間を過ごしたからだと思う。ここ数年焦がれていた状態だったけれど、暇は思ったより幸福ではなかった。タスクは、あるいはお楽しみは、存在すべくして存在しているのだ。

最近高校時代の勉強をしているけれど、高校時代勉強が楽しかった理由がわかった。単に面白いからだ。あ、同語反復。
少なくとも、あれは半分タスクであったかもしれないけど、半分はお楽しみであった。
勉強とか学問というのは人間の暇の産物だと思う。人間は暇には耐えられない。多分学問が生まれたての頃、あれは完璧なお楽しみだったに違いない。

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