November 6, 2010

詩についての覚え書き

少し前に、
言葉は必ずしも伝達のためのツールではない
ってツイートした。

そして一瞬上げたのでご覧になった方もおられたとは思うのだけど、詩のことについて少し書いた。
それと関連しているのだけど。


今までこのブログでもどこでも、「言葉は伝達のためのツールだ」ということを前提に書いてきた気がする。
それは少なくとも自分が言葉をそのようなものとして扱っているからで。
そして言葉が生まれた経緯についても、言葉以前の人の思考をシミュレートするときに、自分の中でそういう絵が浮かぶからで、そういう思考の道筋をたどってしまうからであった。
つまり自分なら、言葉を使いたいと思うのは、誰かと何かを共有するためだと。
そして実際に言葉というのは、そういう風に使われているとも思ってきた。

そういう考えでいるとどうにも解せないというのが、詩だった。
詩にもよるけれども、凄いと世界の人々が認めるような詩人の詩は、あまりに抽象性が高くて、形式もまた説明に向くようには書けないようになっていて、そもそも伝達しようという意思がほとんど感じられない。わざとわからないように書いているのではないかと疑うほどである。難解であればあるだけそれは高尚なもののように見える。それを理解するにはたくさんの知識や高い人格が必要なように見える。
でも、私は伝達できなければどれだけの意味があるのだろうと思うタイプの人間で。
それで、詩を鑑賞するときには、語感として心地いいものや、美しいものや、わかりやすいものに限って、それを感じとり、傍に置いておくということにした。
たとえば短歌や俳句などはそういう味わい方をするものだと思う。ただ、詩の場合、それが十分でない鑑賞方法であるということを知りながら、しかしどうすることもできずに、もてあましていた。

しかし、詩というものはどうやら伝達を一次的な目的としているのではないようなのだ。
詩作というのはつまり、たくさんの人生経験のなかで、自分の獲得した「自分」の中での真理だとか本質だとかそういったものを苦しみぬいてつむぎだす行為、らしいということ。
その示唆をくれたのは母で、母はそういう風に詩を理解している。

そのことをなるほどねと頭に置いていたら、いくつかリンクする読み物があって。



まず、以前にトライしてまだ最初の方しか読んでいない、吉本隆明の「詩について」の、

「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。」

という文章にも通底するところがあるように感じる。
「全世界を凍らせるかもしれない」ほどの「ほんとのこと」。こんなものが書けるのは、誰だ。



で、次。
先日読んだ現代文テキストの、リルケの「マルテの手記」から引用。

-----------------------
 僕は詩も幾つか書いた。しかし年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。
 詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。──まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過した一日。海べりの朝。海そのものの姿。あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。
それらに詩人は思いをめぐらすことができなければならぬ。いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦の叫び。白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。
 しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。
-----------------------


ふむふむと、思った。
そしたらたまたま、同じ日の授業の子のセンター過去問でまたもリルケの詩にめぐり会う。


95年度のセンター本試験の文章、饗庭孝男「想像力の考古学」にリルケの詩の抜粋。
-------------------------

ぼくはひとりだったためしはない。
ぼくより前に生きて、
ぼくより先に分かれてゆこうとした人々も、
ぼくという存在のなかに
生きていたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぼくには空間が必要なのだ、
一族全部が生きるに足るほどの空間が。

-------------------------「初期詩集」リルケ


この詩の前には、この詩をより理解可能にするための文章がくっついているが、なかなか観念的で、センターの評論の中では難解な方の文章である。
簡単に要約すると、

一人の「私」には、今までの歴史、生活が反映されている。その結果としての「私」である。言語もまたそうである。私たちは外国に行き、他言語に触れることによってそのことを深く思い知ることになる。
「私」は「私」以前に生きた無限に複数の「私」の集約であり、また同時に「私」と同時に生きている存在たちの集約なのである(前者を通時的な「私」、後者を共時的な「私」と呼んでいた)。

というようなことが書いてあった。
成程成程。



例えば、こういう風に説明を前につけていただけたらわかりやすいのである。評論の形で書けば、全てではないにしろ、詩よりは伝わるのである。
なぜ、詩なのか。
それは、言葉を伝達の手段として用いていないからだな、と思う。
沢山の経験と思索と感情からその心の中に醸成された、あるいは発現したあるものが言葉という形をとって、ふと書きつけられる、多分そういうものなのだと思う。もしかしたらそれは「叫び」かもしれないし、「呻き」かもしれないし、「つぶやき」かもしれない。ただそれは伝える以前に自然と出てきた言葉なのだろうということ。
そういう意味で、twitterの詩性とか。


そうして、私は「言葉は伝達のためのツールである」という認識でありながら、もしかすると伝達以前に書きたいから書いているのだよなと思い至る。伝達することはもちろん意識しているけれど、動機は伝達したいから、ではない。表現したいから、である。数ある表現方法の中で私のもっとも使いやすいと思った言葉で、私は表現をしているのだということ。
たとえばこのブログを意図的に検索にひっかからないようにしている閉鎖性とかは、伝達をむしろ拒んでいる方向性をもっている気すらする。


長くなったのでここらで終わるけれど、もう一つだけメモ。
タイムリー(まあ私にとって)なことに、内田樹がブログで「エクリチュールについて」という文章を書いていた。
高いリテラシーを要求するテクスト。
詩についての、覚え書き。

No comments:

Post a Comment