August 20, 2017

SONICMANIA2017

2年ぶりの投稿、そしてまた記録。
(今見たら一応下書きにいくつか完成しきれなかったエントリのなりそこない達が死屍累々であった)

備忘録。

SONICMANIA2017 2017/8/18@幕張メッセ
http://www.sonicmania.jp/2017/

今年もやってきたオールナイトイベント参戦、さすがにそろそろこたえるのではと大事をとって一日休む。

いろいろなアーティストが来てたけど

Perfume
SHOBALEADER ONE
D.A.N.
電気グルーヴ
ORBITAL

を見る。
これだけのメンツを22時~5時近くまでの間に 3ステージの間を行き来しつつ見ると、ちょっと時間が押しただけでかなりタイト。まったく休む時間がない。(1アクト1時間くらい。最後のORBITALは1時間半。)仕方ないのでORBITALの最初10分くらいは後ろで座って脚を休める。

初SONICMANIAだったのだけど、かなり屋台やら休む場所やらが充実していて快適。屋内だし。今まで参加したイベントの中では一番大きいから、いろいろ感心した。

ベストアクトは、というとほんとに甲乙つけがたい。
PerfumeはまさかのPTAコーナー入れてくるしKasabianをネタにするし(ダンサブルメドレー最高でした)、電気グルーヴはVJがやばく(SHOBALEADER ONEネタあり)、ピエール瀧のゆかいな煽りに卓球ののびやかな声に、と楽しすぎた。
D.A.N.のチルアウト具合に癒され、!!!は既に人だかりで見れずにORBITALで浮遊感とバキバキのバランスに老舗の安定感を感じ、たのだけど、SHOBALEADER ONEの演奏はマジで凄まじかった。
そもそもSquarepusherの曲が割とど真ん中に好きなのもあるけど、航空会社のミスで機材が届かないハプニングの中で(なんとか機材をかきあつめたけどいつものカスタマイズした機材ではないらしい)、あれだけの超絶テクをしかもあのLEDお面で。あのアクトは人間技ではない。
というわけでSHOBALEADER ONE。かっこよかった。
2012年に行ったSonar Sound Tokyo以来のSquarepusherで、その時もSquarepusher大好きだったようだ。なつかしい。
dioramicphono.blogspot.jp/2012/09/120912.html


足が死んでたので少し休んで帰路。準備してあったウィダーインゼリーを流し込んで途中LOTTERIAで食料補給し やっと家に帰り着く。夏は早朝でも寒くなくていい。

August 4, 2015

メモ150801

桜木町
スタバどこ
端っこの方
あつい
ていうか中華街いくか
茶屋かなー
ぎりぎり
チャーシュー丼
抱負とか書かされる
紅茶だね
本かー
紀行文
えせい
同性婚
偽装結婚
爆竹
煙
桜島
灰
横浜がごめん
お茶だけでもいいですか
もちごめ
星野道夫
いつかみんな死ぬしな
何者かでないといけない感
560円
観光客みたいでごめん
ちゃんとこてこてのレトロバス
デートスポットとして活用した過去
おおさんばし
でか縁側
ばあちゃんちか幼稚園
朝ヨガ?
ヘリ
海風
夕焼けから夜景
寝転んで空を見ることのエポック感
破局した女友達
大夕陽と大月
おばんざいと琥珀エビス
旅の絵本
赤

May 4, 2015

20150502Daiba-Asakusa

これもメモで。

・行くぜ台場
・その前に新橋万世でかつサンド確保
・ゆりかもめの車両変更。顧客ニーズのわかってなさ。
・これからBBQ行くんだね
・青海
・陽射し、きりん、赤い海(ここまでエヴァ)、レイヤーの撮影会、つりびと
・晴雨兼用傘(菅笠タイプ)
・かつサンドうまい
・ハンバーグサンドもうまい
・テレコムセンター競歩
・ニューヨーク行けよ発言
・ヒミコとホタルナ完売情報からの乗り換えルート切り替え
・かき氷(1回目)
・海舟ふたたび
・船に乗ってる時だけ手を振り合う文化について
・海なのに360度ビル郡
・日の出で歌舞いた船遭遇
・なんか隅田川遡上
・女子大生なのかOLなのかわかんないけどちゃんと抜け目なく可愛くしてる女子集団の向こう側に築地とか
・浅草・仲見世・芋ようかん
・浅草・仲見世・かき氷(2回目)
・オープンレストルーム
・レッツパンケーキ@Cafe michikusa で美味しい
・オシャンティーいただきました
・京都みたい
・なんかスカイツリーまで一駅で近いけど
・だんだん禍々しくなってきたけど
・終末感やばいけど
・空間に歪みが生じてるけど
・これロンギヌスの槍ですかね(ここまでエヴァ)
・ソラマチっていわゆる郊外のショッピングモールですね
・神保町から移転した雑貨屋
・きのこ・文鳥・鮭・アリクイがすべて可愛い雑貨屋
・なんかごはんの匂いとかお風呂の匂いとか
・意外と浅草線からの京急乗り入れですごい早め
・浜虎長蛇ゆえ塚田農場
・ファンにさせる仕組みのすごさ
・担当、生産者とのヒモ付け、宮崎愛中心のコンセプト設定、説明とフランクさ、現場レベルでの工夫促進の仕組みづくり
・感心感心

“HEADZ 2015-1995=20!!!”

とりあえず書くと長そうだから箇条書きメモ。
・ポークたまごおにぎり
・ごとごと
・なんか客層ちがう人いっぱいいる
・本日の推しメン確認
・帽子の二人組のひと
・はじめましてー
・まどマギ
・まずは伊東篤宏
・蛍光灯バッキバキ
・鼓膜やばい
・そしてcore of bells
・何かのルールにしたがって人がいたりいなかったり
・ワンピースとハーフパンツ集団
・コルネリさん浮いてる
・カレー屋
・40分で頂上につく
・渋谷の頂上ってなんだよ
・すべらかな
・水頂戴
・goatまじかっこいい
・かっこいいしか言えない
・イケメン
・面白みもなくかっこいい
・MARKさんの衝撃
・コルネリをかすませるほどの衝撃
・絶妙な不協和音と不安感とゆらぎのバランス
・魔法少女ですか
・豊田道倫の弾き語りも体育座りで
・曽我部恵一からお歳暮くるんだ
・すずきーようぴーはわりとおじさん
・ポスター込みか
・ju sei うおうおうお
・なんか歌声も見た目もアーティストっぽい
・ギターの人歌うしつまみいじってるしいそがしいけどうおうおうお
・空間現代 タイト
・どうやって演奏してんの
・Moeさんとゴースト Moeさんしか見えなかった
・むしろゴーストイン・ザMoeだったのでは
・イベント後の吉野家
・胃もたれ

March 7, 2015

大友さんがいい人だということ

2/22に 音楽と美術のあいだ/大友良英@ICC 最終日を見に行った。
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2014/Between_Music_and_Art/index_j.html

あまちゃんの前から知ってはいるけど、大友良英の音楽をよく聞いているとか、注意して活動を見ているとか、そういうことではなかったので、平日疲れていてICCまで行くのは正直ちょっとしんどかったのだけれど、ニシカワ君の
「でも、大友さんいい人だよ」
に押されて、行ったのだった。

展示は2つあった。
・guitar solos 1
 ICCの階段の両サイドに8対、計16個のスピーカーが設置されていて、それぞれからギターの音がする。メロディーではない。タイミングや場所で聴こえる音が違う。ずっとうろうろしていたい階段。

・quartets
真っ暗な大きい部屋の真ん中に白いキューブ。キューブには部屋の各側面から影が投影されていて、楽器をさわったり声を出すアーティストの影が映る。それぞれが出した音も流れる。ただし、それは一緒に録ったものではないし、それらを投影する時間的配置はコンピュータが制御していて、常に違う組み合わせの音が、アーティスト本人たちはそこにいないのに即興演奏が生まれているという展示。

そして最後にいろいろなアーティストや評論家の、「音楽と美術のあいだ」についてのショートエッセイが壁に書かれた部屋。

そしてクロージングのトークイベント。
大友さんは、いい人だった。
下記まあだいたいこんなこと言ってたな、っていう文字起こし。全然正確じゃないけど多分だいたいこんなこと。

「音遊びの会、ってやってるんだけど、トロンボーンの藤本君なんかもうめちゃくちゃなんだけど彼にしか出せない音でぶわっと吹くの。」
(※音遊びの会:即興表現を得意とするアーティスト、知的に障害のある人、音楽療法家たちが集まった音遊びの会。)
「チャーリー・パーカーとかやんないとフリージャズやっちゃだめだって言う人とかいるんだけど、そういうのって絶対嘘だよね。できるもんね。そうやって縛るのって良くないと思うんだよね。」
「下手でも何か習ってなくても、音楽やっていいんですよ」
「高校生の時にレコード屋行って、クリスチャン・マークレーの『レコード・ウィズアウト・ア・カバー』っていうレコード買ったんだけど、名前の通りカバーが無いの。それでどんどん傷ができていくんだけど、レコードに針落とした時に聴こえるノイズが、元々入ってたものなのか後でついた傷によるものなのかがわかんなくて最高にカッコいいって思ったんだよね」
「もうジョン・ケージがこう言ってたとかで話すのやめようよ。ジョン・ケージ禁止!もっと自分の頭で考えようよ。」

あとはいろいろ、場から音楽が生まれる話とか、ライブハウスの端っこにそれぞれ演奏者を離して即興やると、おもしろいとか。
音楽家だから音楽の話を中心にしていたけれど、もっと根本的に、人間がやりたいこと、楽しむこと、何かをする(またはしない)自由について、ものすごく真剣というか、それを制限したり縛ろうとするものに対する強い反発が感じられて。
それを自由にしたいのにいろいろなものに縛られて躊躇したりしてる弱い立場の人達にとことんやさしいというか。

ほんと大友さんいい人だなー、と思ったことを書いとかないと、と思った。
書いたー。


February 4, 2015

女のいない男たち

女のいない男たち/村上春樹 読了。

遅まきながら、村上春樹の久しぶりの短篇集を読んだ。私は割と村上春樹の短編は好きで、誰かも村上春樹の真骨頂は短編にあると述べていたのだけど。
かつて1Q84が話題になった時のような熱狂的待望や増刷が間に合わずに書店でも予約待ち、なんてことは起こらず、ひそやかに、ただとはいえ春樹の新刊だから、本屋のあちらこちらに平積みされていた。

基本的にどうしてもその本に飢えている時でなければハードカバーは買わないのだけど(持ち歩くのがしんどい)、飢えている時に買ったハードカバーは持ち歩く必要もない(すぐ読み終えるからだ)ことに気づいた。

この本は、6篇の、いわゆる「いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」についての短編からなっている。アーネスト・ヘミングウェイの「Men Without Women」(女抜きの男たち)のようなニュアンスではなく。
 めずらしく著者による「まえがき」がついており、そこで若干「業務報告」的に、初出と収録時の作品の変えている部分について事情を説明している。ああ、村上春樹が所謂業務的な説明をするとこうなるのだなというところが、いささか興味深い。

私は割と初期の「風の歌を聴け」とか「カンガルー日和」とかを好んで何度も読んでいたから、今回の「女のいない男たち」は随分と大人な印象を受けた。勿論どこまでも彼は、というか「僕」は十四歳の少年じみているのだけど、多くの大人的事情や社会的事情を含んだような慎重さというかシリアスさを薄く何層も重ねたような風になったな、と思う。本質のところでは変わらないのかもしれないけれど、つまり希求しているものは同じなのかもしれないけれど。
いずれにしても春樹にしか書けない作品たちだったと思う。

「ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな予告もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払いも抜きで、出し抜けにあなたのもとを訪れる。」
「その世界では音の響き方が違う。喉の渇き方が違う。髭の伸び方も違う。スターバックスの店員の対応も違う。クリフォード・ブラウンのソロも違うものに聞こえる。地下鉄のドアの閉まり方も違う。表参道から青山一丁目まで歩く距離だって相当に違ってくる。」

たとえば女性作家の誰かがこのような作品を、つまり男性を失うことについてこんな風に繊細であたたかくかなしみに満ちてそれを否定もせずに受け入れて(息を引き取るまで留まるワインの染みのようなものとして)、書いているだろうかとかんがえる。まったく最近小説を読んでいないけれど、多分書いていないんじゃないかな、と思う。
女性はたぶん、彼の言うところの「豊富な家政学の知識」をもってその染みをきれいに落としてしまうのだと思う。もしかしたら、染みがもともとできないような素材でできているのかもしれない。まあ、人によるだろうけど。




優れてやさしい作家だと思う。私は好きです。

January 11, 2015

2015

2015という数字は好きだ。自分の誕生日がそうだからか、1とか5とかが好きなのだ。
そうして私は誕生日が1月なので、年が明けるとまもなく年齢もひとつ繰り上がる。
自分の歳を鑑みて、いまだにこういう文章を書いて、かつてaccelerateとか言っていたのがうそみたいに停滞していて、どこからこんな風にシフトしたのだろうかと考える。

職場の有志で2014年のマイ・ベストな曲を持ち寄って匿名で聴き、投票するという催しをやったのだけれど、自分の2014年を象徴する曲があまりにも思い浮かばないくらい、2014年は散漫な年だった。
いろいろなことがあったのだろうけれど、すべてが日常に組み込まれてしまって均されてしまって、主観的には本当に、バラバラでまとまりがなくただ流れていった年だった。
一応客観的には転職をしたので、それに基づいて、坂本慎太郎の「君はそう決めた」を選んだけれど。


今日、というかもう日付変わったけれど、2001年から髪を切ってもらっている美容師の人に髪を切ってもらって、その帰りに2007年頃に行っていた中野新橋のジャズ喫茶に行って、2003年頃から読み始めた村上春樹の短編を読んで過ごして、すっかり遅くなって家に帰り着いた。
いずれも最初に触れた状況とは少しずつ変わっている(たとえば美容師さんは2回支店を移動したし、中野新橋の駅舎は若干新しくなっていたし、ジャズ喫茶はマスターのほかに若い男性店員が増えていたし、村上春樹については作風が少し大人っぽくなっている)けれど、いずれも本質的には変わらない人や場所やものであり、東京で過ごすうちに得てしまったこの感覚、つまり自分の見知った(信頼できる)ところが家の他にあるという感覚をくっきり意識することになった。
それは確かに私にとって東京で生きるうえで必要な感覚だったし、それを多分半ば意識的に収集していた。
そしてそれはすべて2013年より前に収集した人や場所やものだった。

2008年頃から急に減速して、ほぼ停止して、それは多分エンストで、焦ってエンジンをふかそうとして2年経って。
実際に2010年の終わり頃にエンジンはかかったのだけれど、そこから加速することはなかなか体力的にしんどくて、そうやってしんどいことを認めてゆっくり速度に乗ったところで、2013年、今まで助手席または後部座席に乗ってくれていた母がいなくなった。
そのあとはどういう風に運転しているのかよくわからない。なんとなく自分ひとりで適当に運転しているけれど、ただただ流れに乗っているだけで速度もわからない。ただ全部同じような景色にみえるから停滞しているように見える。
やたら時間だけが過ぎる。2015年になっても感慨も無いし、無論おめでたいとも思わない。
自分が何も考えなくなった、バカになったと思う。あらゆることへの対応は、反射と今までのストックの焼き直しを出しているだけだと知っている。

今書くまでわからなかったけれど、母がいなくなってから、多分私は思考することを止めている。
思考することは自分の内側をスキャンすることで、それは必然的に母の不在が私にどう影響しているかということに向き合うことだったからで、私にはそれが重すぎた。それをしながら仕事や生活をすることは不可能だった。
でも、このまま停滞していることを強く自覚しながら過ごすのも苦しくなってきた。
つっかえていることを少しずつ片付けなければならないだろうと思う。

書き始めた時は、こういう文章になるとは思っていなかった。
書かないと出てこなかった。
2015年は書こう。

December 20, 2014

じっと手を見る

できることとできないことがあるのはその通りだとして、でもそれを分ける線はいつも流動的だと覚えていたいと、思った。

できないことは今できないけど、いつかできるかもしれない。ひとりではできないかもしれないけど、二人や三人やあるいは十人ならできるかもしれない。

自分がどういう風に生きていきたいのか、最近よく考える。
今の生活がしあわせだと思う。でも、少し停滞している。そして、自分だけしあわせでいいのかとも思う。
ただ、今自分の体力的リソースを割とギリギリで回しているとも思う。
(タイムリーにも最近2人の別々の女性の先輩から、体力をつけることの大事さを示されたところだ。)

自分が立っている場所は、多分今立っていていい場所なのだと思うけど、立っているべき場所なのかはよくわからない。
人はひとところにずっと立っていられるわけではないし、最近手相を見られた結果、波瀾万丈な運命線が濃いとの指摘なのだし、誰しもいずれは歩かざるを得ないわけだけど。
そういう風が吹くときは、そういうふうになるんだろう。

昨日ある人の肩に右手を置いて、その人の人生を思って、神様のことを考えた。
帰る道々、何度か右手を見た。
肩に手を置くことしかできなかったし、もしかしたら手を置くことすらできなかったかもしれない。
でも沖縄にいた頃より、私の手は割としっかりした手になっていると思った。

September 29, 2014

南風を待ってる

最近、というか結構前だけど(もうおとなになったから、ここ2,3年以内のことは最近と言っていいのだろうと思う)、いいともが終わった。生きていれば、いろいろなものが終わるのだ。
で、その終わり間際のテレフォンショッキングで、オザケンが出ていた回というのは某tubeとかに上がっていて、SNSでも結構シェアされたりしていて、案の定私も見て。
いくつかの曲を弾き語って、やっぱり年取った分声はふらふらしていたのだけど、「さよならなんて云えないよ」の「左へカーブを曲がると光る海が見えてくる」っていうくだりを、タモリが「やっぱりいいねぇ」って言うわけで。

この後に続く歌詞は、「僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも」である。
でも、そう思うのは、「本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると」、だからなのであり、本当にその美しい日の只中にいてそれを理解しているという事態は、私には(少なくとも大学時代には)無かった。だから私は多分しあわせだったのだろうと思う。
この曲はとても好きだ。その美しい日への、美しい日に一緒にいた人々への愛おしさがきらきらしている。




そう考えて、東京事変の「閃光少女」を思い出す。
「今日現在を最高値で通過していこうよ」
日々成長しているとか、そういうことではないのだけれど、私は多分毎日割と楽しくて、今に基本的にはいつも満足していて、そして昨日のことを思い出さない。
過去にあった何かの事柄をポイントで思い出すことはあったとしても(例えば昨日のご飯とか、昨日もらったメールとか)、昨日という日一日全体を思い出したりはしない。し、一日を総括したりもしない。だから家族の年始の挨拶の際、どんな一年だったかを一生懸命思い出す。
多分私は単純(「単純」と書いて「しあわせ」と読む)なのだろうと思う。



でも、それでも「さよならなんて云えないよ」を聴くと、人並みに切なくはなるのである。

高校時代、全校でのワックスがけの日に、3階の外にある渡り廊下の柵の上で足をブラブラさせながら数人でアイスを頬張っていた時だとか、ジャージを着てテニスラケットを持って運動場へ出て行く時だとか、放課後CHARAを聴きながらチャート式を枕に教室の窓辺で木の葉っぱの揺れるのを見ている時だとか、そういう時には確かに、二度と戻らない美しい日にいるのではないかと思っていた。
もう10年以上も前のことだ。

「私は今、二度とは戻れない美しい日にいるのではないか」と思えるほどの、日々に対する、もしくは人生に対する丁寧さというのは加速度的に失われていっているのかもしれない。

July 12, 2014

Re:

ブログ書かなくなったなーと思って、なんでだろうなーと思って、多分いくつかの原因はあるのだけれど、一つには自分のデスクに向かわないからだな、と思った。
リビングの居心地がいいのと、MacBookもリビングに置いてあったので、膝の上に乗っけたりして使っていたのだが、いかんせん膝の上だと長い文章を打つ気にならず、軽いブラウジングやiTunesへのリッピングや写真管理くらいにしか使わないようになってしまっていたのでした。

その反省を踏まえて、デスクへ移動してみたら、MacBook使うために割とデスクに来るようになり、長い文章も打つことができるようになりましたとさ。

もう少しブログ書きたいよね。やっぱり。
この思いつくままにタイピングしていく気持ちよさ。
職場でメール打ったりなんだりでタイピングはするけれど、思いつくままにキーを叩く、思考と連動したタッチと小気味良いカシャカシャ音。


で、ブログを書くとする。
最近来し方を振り返る、というのが多いような気がする。
東京に職場が移ったからというのは大いに関係している気がする。以前住んでいた場所へニシカワ君と行ってみたり、仕事で大学へ行く機会があったり。そもそも職場自体も、院の同期がたくさんいるし来るので当然といえば当然なのだけど。

この10年くらいで結構いろんなことがあって、10年分年をとって、多分10年分大人になった。
10年前は院に入った年で、あの頃は過度に何かを怖がっていたし、逆に恐れるべきが何かを知らなかった。青春らしきものが学部より少し濃い形で続き、制度というか気運というか大きな流れのようなものに巻き込まれていた。何かの差で私は最終的にはその本流からは外れたけれど、今多分支流の支流くらいの位置にはいて、その流れというものが何だったのかを今になってやっと確認できる、みたいな感じだ。母が、私が高校生のころ、言っていた言葉を思い出す。「今、目の前に靄がかかっているような、混沌とした感じでしょう?将来って言われても、なんだかよく見えないでしょう?でも、年をとるとだんだん見えてくるんだよ。お母さんはこの歳になって初めてわかったこともいっぱいあるんだよ。」

靄の中を揉まれ流されていたわけだけど、いずれにしてもそうなるしかなかったし、それでよかったなと思う。
人によるとは思うのだけど、自分でコントロールできることというのは私にはほとんど無いなと思う。なるようになるし、なるようにしかならない。ならないものを、そう「する」ことはできない。

そうしてなるようになった結果、いまここ。
そして、今まで生きてきた31年間(もう31年も生きているなんて驚きだ)、概ね幸せだったということは本当に感謝すべきことである。苦しいことがあっても、それに耐えうる助けがあった。


しかし私はまったく、新しいことを書かないな。
振り返ることばかり好きだ。今のこの時点が過去の積み重ねであることを確認することによってしか、今が成り立っていないと考えているからかもしれないし、単純にその方が今のこの風景を切り取るだけより若干の深みみたいなものが出ると思っているのかもしれない。
私が今を風景として切り取ると、
通勤がそこそこ大変で、職場もいろいろあるけどまあ総じて楽しくはやっていて、ニシカワ君とも仲良くマリオカートをしていて、今日のごはんは鯖のみぞれ煮にしようと思ってる、
みたいになる。

今後はちゃんと書いていきたいなーというエントリでした。

May 19, 2014

1年

沖縄に行ってきた。
母が亡くなってちょうど1年経つ。キリスト教だと一周忌とは言わないのだけれど、一周年の記念会というのをやった。
お墓もできたので納骨式も同じタイミングで行った。

仕事を終えて、急いで電車に乗り羽田に向かって、羽田まで来てくれていたニシカワ君と合流し夕飯を食べ、では行ってきますと私が言い、行ってらっしゃい、俺は会社に戻りますとニシカワ君が言い、そうしてANAの最終便に飛び乗って沖縄に着いたのは23時だった。
飛行機を降りるなり湿気による熱っぽい空気が腕の辺りにむわっとまとわりつき、薄手のニットを着ていた私は袖をまくり上げずにおれない。
荷物をとってモノレールに向かうべく建物の外にでると、さらにものすごい湿気が肌に貼り付く。薄い膜がペタリとまくった腕に。我が故郷はこんなにも湿ったところだっけか、と思わず笑う。
最寄り駅的な駅につくと、Tシャツを着た妹達が迎えに来てくれていて、今日の湿度は95%なのだと教えてくれた。

家に帰って、お土産諸々を渡して、お茶を淹れて少し話して、翌日に備えて眠った。
家について、「ああ実家の匂いだ」と思うのとほぼ同時に、母の遺影とその両脇の生花と母の友人からのアレンジメントが目に入り、その花の香りがちょうど1年前の一連のことを一瞬で呼び起こした。あの一連の、母に化粧をして棺に入れて花でいっぱいに囲んで火葬して、そのあと部屋に遺骨を置きその両脇に花を飾って献花してもらって、 たくさんの人に慰めの言葉をかけてもらい、その一つ一つに答えながら気を紛らわし、ふとした拍子に泣きだしていたあの日々のこと。

記念会の日は曇っていて、今にも泣き出しそうではあったが、記念会の間は持ちこたえていた。母の好きだった賛美歌を歌い、祈り、この1年のことなどを話したりして、納骨のためにお墓のある場所へ移動するという段になって雨が降りだした。母の亡くなった次の日の前夜式も、告別式もそういえば雨だった。お墓の前にテントを張って、納骨式を終えた。父はこの一年、お墓のことをとても気にしていた。お墓に納骨できてほっとしていたし、そして今やっぱり寂しいと思う。
帰宅してからも来客は続き、結局21時頃まで対応していた。母の教え子や父の職場の人。少し喋りすぎるきらいのある叔母が食事の仕度をしてくれて、久しぶりに皆で食卓を囲んだ。母の不在には少し慣れたような気がしている。

次の日は妹夫婦が帰る日で、その前にちゃんと晴れた日のお墓を見ようということで改めて行き、その後海へ行った。海は相変わらず青くて、水平線は相変わらず真っ直ぐで、日差しは相変わらず痛いほど強く眩しく、私は相変わらず死ぬときはここがいいと思った。

至極当たり前のことだけれど、ある一人の人の死というのは、誰にとっても同じではありえない、と思う。
私が母を亡くすことと、別の人がその人の母を亡くすことは全く違う。
あえて言うなら、私の妹が母を亡くすこととも若干違う。
もちろん相似はある。共感もある。でも同じではありえない。
私が母を亡くした衝撃や悲しさを絶対に共有できない人もいる。

母とはまた天国で会える、と思っている。それは周りのクリスチャンは皆そう信じている。でも、それである程度悲しみを軽減できるかどうかというのは人それぞれだし、それはそれぞれのペースを尊重するべきだと思っている。

今回の帰省にニシカワ君が一緒ではなかったことも大きいのかもしれないけれど、ああ、本当に実家に帰っても母はいないんだ、と思った。二人実家に残っている父と妹がどんな気持ちでこの一年を過ごしたのか考えるのが苦しかった。

帰りの飛行機で離陸する時、少し泣いた。


March 22, 2014

定期的に見る

No.1/tofubeats



March 20, 2014

HARU

ひさびさ。

春になった。
それは誰にでも分かるくらい圧倒的な春の気配で。

地球の地軸は相変わらず傾いていて、地球自身も相変わらず公転しているので、そうである限り、日本に春は必ずやってくるし、それなら気づかないうちに春になっていてもおかしくないくらい四季の移り変わりはシームレスであると思うのだけど、つまりいきなり地軸が大きく傾いたりいきなり公転の速度が速くなったりはしていないと思うのだけど、それでも感覚で、あゝ今日から春だ、と思う日はある。ちなみに花粉については感受しない。


春だからではないけど、職場が変わった。
基礎からいろいろ教えてもらって社会復帰みたいなことをさせてもらえた職場から、院の同期やその仲間たちがやっている事務所へ移動し、とはいえ寂しさも、勿論緊張もあったしもやもやすることもまああるにはあるのだけど、比較的スムーズに移動しつつあるのではないかと思う。


3年経ったら中学や高校を卒業するように、3年経ったら違うことになっている、 という思想というのかジンクスのようなものは、割と気になっていた。
小学校は6年だけど、とりあえず転校したので5年だったし、そのあとは全て3年間で環境が変わって院まで卒業していて、3年というスパンは短いようでいて結構激しく変化する時間でもあるような気がする。でも自分の3年前を見て面白がることはできても、自分の3年後を描くことはやっぱり不得手である。描いてしまったら、自分で自分の未来を規定してしまうような予感がして、すぐにやめてしまうし、それをさせようとする就活的自己分析に反発があった。
結局のところ私は何を探しているのだろうと思う。


で、職場が横浜から都内になった。
都内というのはとても特殊なところだと思う。東京には、「一人でやっている感じ」というのがあって、初めて上京して入学式までいてくれた母が実家へ帰ってしまった後の春の匂いとか、冬が近づいて沖縄では感じたことのない冷たい澄んだ空気の匂いにふるさとを思いやったこととか、多分主に一年目に初めて感じた匂いと感情がリンクしているのだと思う。でも、横浜にいるとそういう感情は出て来ない。
実際東京の匂いと横浜の匂いが客観的に違うというのもあると思うし、あとは東京の景色や雰囲気がそうさせるのだと思う。一人で歩いている人が多いからそう思うのかもしれない。


なぜだかいろんなことを思い出す。今までの31年間でも結構いろんなことがあった人生だったなと思う。まだ生きるつもりでいるけど、どこで「あがり」になるのかは私達にはわからない。

そこにいるのが当たり前だった場所はするするといつの間にか流れ去っていて、もう二度とは戻れない。
いつかながいさんが、卒業して数年後に、院の建物の、いつも雑談してた3階のラウンジにその時と同じ服を着て集まろうよ、みたいなことを今は遺物と化しつつある某みくしーでコメントしてくれていたけど、たまにそのことを思い出して、 ながいさんは覚えてるのかなと思ったりする。

そろそろお台場だな。


December 14, 2013

雑感

何かを考えて言葉にしてまとめるという作業を怠っていた。

日々の中にそれをする喫緊の必要性を感じなかったということと、母の死という自分にとってかなり重大な事柄についての整理が出来る段階になかったというのが多分主な理由で、無理して考えることもないだろうと思っていたし、実際思考は無理してやるものでもないとも思う。

でもここへきて、なぜだか少しの焦りや、微妙な危機感を肌で感じるようになった。今の会社の業績がさほど良くないという客観的事実や年齢もまあ関係しているけれど、なんとなくそれだけでもない気がする。

たとえば、またひとつ暫定で答えを出さないといけないのかもしれないと思う。

今まで学んだこと、つまり勉学の話だけではなくて、生き方や考え方のこと、人とのつきあい方つまり自分のリソースのシェアの仕方、それらを反故にして進むことには意味が無い。拘泥する必要はないけれど、全く何もなかったかのようにばかみたいに同じことを繰り返すつもりもない。

少し前は、院の同期の活躍を見て焦った。でも、その焦りが無くなってきて、その焦りがなくなったことは果たしていいことなのだろうかと思う。同期の活躍は素直に喜べるし、それ相応の犠牲を払っていることも容易に想像できるし、そうするとやっぱりえらいなと思う。
それは変わらないけど、なにくそ自分も、と思わなくなった。諦念なのかもしれない。それはそれで楽だし、別の価値観というのはあるし、それに触れることも勿論必要だ。
でも、なんでもそうだけど、ずっと諦めながら生きることは多分できない。
少なくとも、自分が諦めてると思っている段階では、ほんとはやれるはずだという意識があるわけで。それはそれでストレスではある。


で、今ここで何か決められるわけでもなく、とりとめもなく書いてみただけで。
いやーほんと生きるって大変だよね。

December 8, 2013

the piano era 2013

日が開いたけど続き。
the piano era 2013
都立大学駅が最寄りの柿の木坂を登ったところにあるパーシモンホールで。久々にその辺に行くということで、開演前に一つ乗り過ごして学芸大学駅で降りた。上京して最初の住まいがその辺で、ニシカワ君とは来たことがなかったので一緒に歩いてみた。
前にも書いたけど、最初の住まいは目黒通り沿いの学生マンションで、買い物する場所が近くになく、母が歩きまわって学芸大学駅前の商店街を見つけ、一緒に行ったのを思い出す。4月になってもうある程度寒さも和らいだ頃だったけど、雪が降って、降っている雪を見るのが初めてで、母と一緒に感動したことを思い出す。行くまで忘れていたけど、あの商店街は母との思い出しかない場所で、一緒に入ったドトールやパン屋を見てはしんみりしてしまう。

時間も押し迫ってきたのでバスで都立大学駅まで移動し、会場入りした。

ここもまたエレグラとは違う客層で、上品なお洒落さんがたくさんいて、というかお洒落じゃない人は一人もと言っていいほどいなかった。おそろしい場所である。
演奏者は4名、クラシックではなく今旬なピアノを使うアーティスト。
以下演奏順に。

平井真美子
可愛らしくきれいな、才能のきらりと光るフェミニンな演奏。とてもいい。癒される。若干の青葉市子感やコトリンゴ感がある。感性、という感じ。

中島ノブユキ
八重の桜音楽担当等、幅広くやっていらっしゃるおじさん。ピアノの人だなぁという感じ。フランクでMCもラフ。ダークめな曲もやっていたけど、とにかくピアノの人。クラシック基盤ぽいけどジャジーな曲も交えておりほんとに幅広な印象。もう少し時間があるといろいろ聞けたかなと思う。

ニルス・フラーム/Nils Frahm
あれ、ここエレグラ会場じゃないよね、みたいな演奏。普通のグランドピアノと別に、かなり音を増幅させられるエレクトーン?の複合体みたいなものが置いてあり、両方を腕を伸ばし足を伸ばし演奏する。重低音のドローンの上にピアノを乗せていくようなイメージ。かなりエレクトロニカ系。前の二人の演奏の音量とは明らかに違う。一部スタンディングオベーション。かっこいい。で、イケメンなので彼のみ演奏終了後に臨時サイン&握手会的なものが行われた際結構人が並んでいた(イケメン&他言語フィルタ発動により近づかず)。

高木正勝
言わずと知れた我らが高木正勝。初見。どこぞの民族衣装に身を包み、長い紙をふわっとアップにして登場。彼のみVideo付き。映像はまあいつもの高木正勝で、ああ高木正勝だなあと思うけど、演奏は調子が悪いのか緊張しているのか、かなり荒い。まったく整っていない感じ。曰く、長年住み慣れた家を離れて引っ越しをしたところ、前の家で作った曲と体が合わなくなっているとのこと。昨日作った曲、というのはわりかし丁寧にぽつりぽつりと弾けたのに、有名なgirlsやgrace、nijikoなどはたくさんの激情にかられた和音にまみれて旋律がかろうじて分かる程度。少しこわいくらいの演奏。最終的には俯いて退場。ああこの人はエンタテイナーでも演奏家でもなく、芸術家なのだ、と思う。隣でニシカワ君が放心しており、半日以上衝撃が抜けないようでした。
twitterでは賛否両論。

とりあえず備忘レビューおわり。

December 5, 2013

electraglide2013

次、エレグラことelectraglide2013@幕張メッセ。幕張遠い。千葉。TDRより遠い。
ニシカワ君とその会社関係の人とか、ソニー君ことinoとか、ちょいちょい知り合いとも合流しながら面白い。

NOSAJ THING × 真鍋大度 × 堀井哲史 × 比嘉了
普通。特にプロジェクションマッピングとかも無い。映像は良かった気もするけど、それにリアルタイムのNOSAJ THINGのDJ映像をのせてくるのでちょっとださい。

FACTORY FLOOR
かなりミニマル。音響機器とドラムセットとギター&ヴォーカルの3名の3ピース。ミニマルなドラムとビートに色気を消したノイジーなギターがかぶさるけど特にメロディ的なものは皆無。かっこいいけど踊りにくい。

MACHINEDRUM
私的ベストアクト。マリオみたいなナイジェル・マンセルみたいなひげのおじさんが手を変え品を変えポップにグルーヴィーにフロアを盛り上げ、老舗の安定感を感じた。かなり好き。

SHERWOOD & PINCH
むちゃくちゃ重いブリブリベース。脳にひびく。めちゃくちゃかっこいいけどマシーンドラムおじさんで若干疲れたのでドリンク買いに行きました。ソニー君といとうさんに会いました。どうもどうも。ソニー君友人も。

JAMES BLAKE
アイドル。中二感のあるロングコートに重め前髪にハスキーかつ不思議な声に、人が詰めかけ大変。かなり毛色が違う。他のアーティストと違って、アルバム聴きこんできてる人が結構いる感じ。爆音のダブステップに裏声を駆使したヴォーカルでぐいぐいくる。いいもん見た。でも、もうPOPSなんじゃないかな。持ってきてたステージセットもシンプルだったけどかっこよかったです。多分ビジュアルセンスかなりいいんだと思います。

2manydjs LIVE
アートワークVJとDJで人々がパーティーまみれ。疲れちゃって遠くで見てました。最後まさかのライディーン。やっこさんに会う。どうもどうも。

!!!(chk chk chk)
これぞライブ。ニックのTシャツトランクス(じゃないんだろうけど明らかにそう見える)姿とださかわいいダンスにたのしくなりながら。オースティン・パワーズみたい。
やっぱり老舗っていいな、って思う。むちゃくちゃ盛り上がる。多分この時一番人多かったです。キャッチーなメロディアスなロックかと思いきやパンクのように、でも全体としてグルーヴィー。愛されバンドですね。

MODESELEKTOR [DJ SET + 909] with Pfadfinderei
疲れ果て遠くで見物。近づくとえづくんじゃないかってくらい腹にくるへヴいビート。ヘヴィなベースは好きだけど、幕張メッセで朝5時に浴びるとかなりくる。後半のみ復活。最後の方次のセオにかぶせられ、「あ、ありがとー!」みたいになってました。セオ、まだ時間じゃないでしょ。

THEO PARRISH
ソウル系色気系。多分いい。いいんだけど、もうそろそろ千葉から横浜まで帰る体力が心配ということで、1曲目途中までいて離脱。噂ではこないだ15時間ぶっつづけDJをやったらしいので押しに押しまくるのではと話していたけど7時半くらいに終わったみたい。

幕張は海のそばで朝寒すぎてしかも家からめちゃくちゃ遠くて眠くて、でも電車から見る海と日の出がきれいで、三日月が白くひらりとうす青い空に貼り付いていて、こんなに疲れ果ててヘヴィな電子音まみれでドロドロでも、世界は澄んで美しいなと思う。

EMAF TOKYO 2013

最近立て続けに3個音楽的イベントに行ったので備忘。
まずはレッドブルプレゼンツの EMAF TOKYO 2013 2日目。

ニシカワ君の希望により2日目参加。初恵比寿LIQUIDROOM。まあライブ会場は大体初なんだけど、恵比寿LIQUIDROOMとか、もうお洒落な人しか入れない字面ではらはらします。
実際行ってみたら、メインフロアに居ずに2Fのラウンジぽいバーカウンターあるとこでたむろってる人たちが「おしゃれですけどなにか」みたいな人ばかりで、こいつらメインフロアで音楽も聴かずにおしゃれ自慢に来てるだけなんじゃないかと思いました。
で、気にせずメインフロアのタイムテーブル順でいくと、

まずInner Science。DJです。普通にいいです。普通です。未来館のプラネタリウムプログラム「偶然の惑星」のBGMを担当していたということでレイ・ハラカミにある意味並んでいるわけだけどあの人もう死んでしまったし生きててもレジェンドなので比べるのもねということで、まあ普通でした。次。

Fugenn & The White Elephants x Yousuke Fuyama。なんというか踊りやすいメランコリック気味ビーツな感じだった印象。好きな人多そう。

環ROY×蓮沼執太×U-zhaan。かなりゆるい。これエレクトロニカのイベントなのにおれたちでていいの?ってMCでゆるゆる話しながらROY君がビール飲んで、急にユザーンに「俺エレクトロニカ」って適当にラップ始めて「おまえエレクトロニカ」と言い出してユザーンが「俺はエレクトロニカじゃないよ」と言い「いや、おまえもエレクトロニカだね」みたいなそういうのをしゅうた君が大人しく見てて、なんで黙ってんの、って2人にいじられて「いや、なんかさ・・・」みたいにはにかみながら音だしはじめるような感じで私は好きでしたね。

Y.Sunaharaこと砂原良徳ことまりんさん。バキバキでかっこよくてVideoも良くて、安定的にかっこよかったです。かっこいいですね。うん、かっこいいです。ニシカワ君はメイン彼目当てでした。しかし細い。

Lusine。多分上で休憩しててあんまし聴いてない。

Fennesz。でかいドイツ人。コワモテ。ギタージャラーングワーンゴゴゴゴゴ・・・コー・・・です。踊るのではなく立ちすくんで轟音浴びる感じ。坂本龍一とやってるときはかなり控えめなんだな。

ヤン富田。なんかすごい機械セッティングして、前口上かなり長くて、これから宇宙に飛んでいきますね、と後輩ラッパーの脳波サンプリングしながらちょっと古めの電子音MIXしてVJとかかなり宇宙で、途中映像に映るiPhone画面割れてるしとてもぶっ飛んでいました。この人おかしい。途中へんな宇宙人とか出てきたけどそれには全く触れずに、音楽の話を演奏中に挟んできてどこで盛り上がったらいいかわからない。もう突っ込みどころをあますところなく披露して、かなり押して、あーおわったと思ってフロアの3分の2が外出たところでまた出てきて、「アンコールしてくれないの?もう聴きたくない?聴きたいならアンコールしてくれないと、出てこれないからさ、困っちゃうからさ」と言いながら残った人たちが爆笑して残り、アンコールへ突入。
このあたりでおいとましたけど、最後は一本締めだったらしいとの噂。

October 29, 2013

Taipei1310

社員旅行で台北に行った。

海外に出るのははじめてで、それまで石橋を叩き過ぎるきらいのある私はあえて自発的に外へ行こうともせずドメスティックに引きこもって過ごしていたわけだけど、母が亡くなってから、私の何かがちょっと変わったようで、行ってみようという気になったのだった。
行き先である台湾は母が行ったことのある唯一の海外でもあった。
とはいえ母が行ったのは結婚前だから、30年以上前の話になる。その頃の台湾とはまず違うとは思うけれど、なんとなく、この空気感を母も若い日に感じたのだと思う。

空港についてすぐに雰囲気が違っていて、窓から見えるのは煤けた西洋風とも東洋風ともいえない混沌とした建物たち。
同じアジアとはいえ明らかに顔立ちや表情や仕草が違う。日本人って一人で歩いてるだけでも愛想いいんだなと思う。

千と千尋の神隠しは宮崎アニメの中で一番好きなので、そのモデルになった九份と、あとはその地域のARTな場所には行ってみたかった。雑貨とかも見たい。というプランの練り方そのものが京都観光とまったく同じ。

というわけで、台北現代美術館。
超傳波-王福瑞聲音藝術展 HYPER TRANSMISSION
目当てで行った。ライブ映像も流れていたけど、ソフトな渋谷慶一郎というか、まあ見た目っていうかアー写的なものが似てるのもあるんだけど、一応音響系アーティストの王福瑞さんの展示。ちゃんと物理的なモノも作っている。うーん、真鍋大度的な感じだろうか。でもレーベルみたいなのもやってるぽい。
企画展もう一個はドイツ人の新進気鋭アーティスト展的な。ドイツ人かよ、と。でもいわゆるわけわかめな展示が心地よかったです。

そのあと、華山1914文創園区。
日本統治時代の酒造所をリニューアル的な場所で、お洒落な若者とか子供連れとかで賑わっている。グッズや書籍を売っているブースには春樹の「色彩を持たない多崎つくる」の翻訳版とか、奈良美智とか、村上隆とか、吉田修一とか、日本のアート&文学シーンの影響がもろ、という感じ。ちなみに多崎つくるはこの後行った誠品信義書店というでかい本屋のランキングで1位だった。
グッズも半分くらい日本で見るやつ。ただし、日本のアートショップには必ず置いてあるひびのこづえハンカチは無かった。あれこつこつ買ってるんですわたし。
そこで出会ったひとたち↓



全体でのディナーの後の時間に、誠品信義書店。
ビル全体がこの書店だけど、ショッピングもレストランも雑貨もある、複合施設。
台湾のお洒落な若者はでかい黒縁メガネをかけている。
ほぼ日手帳売ってる。LOFT並にコーナーある。


台湾に慣れた頃に一人でざくざく歩いてみたのだけど、久々に東京に出た時みたいな、ストレンジャー感とか、自分が物理的質量として一人分の人間として歩いているということをひりひりと感じるような感じがした。
でも何よりも、自分がこの国では完全にアウェー側の人間で、日本人というラベルが貼られているのだということが面白かった。し、それを意識する感じがとても概念的だと思った。
まあ台湾人に道聞かれたから思うほどラベルは目立っていなかったわけだけど、人から見れば台湾人にも見えるというのに自分自身ではラベルの存在を意識するっていう。

外国体験とは別に、台湾はいいところでした。
機会があればまた行きたいです。

October 16, 2013

笹井宏之とライゾマティクスと攻殻機動隊とあといろいろ

秋だからね、文章を書こうという気持ちになる。雑多にメモ。


最近、笹井宏之という人の「えーえんとくちから」という作品集(短歌である)を読んだ。
いくつかいいと思ったものを抜き出すと、

「この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい」

「拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません」

「このケーキ、ベルリンの壁入ってる?(うんスポンジにすこし)にし?(うん)」

「胃の中でくだもの死んでしまったら、人ってときに墓なんですね」

という感じ。
1ページに1~2行しかない150ページくらいの詩集で、読み返すのにとてもいい。
詩的であることと日常は近いのかもしれないと思う。
今日のごはんはイデア的なマグマよ、とか。
そして詩的であることと文学的であることは近接しているとも思う。単純に詩に親和性のある文学が好きなだけかもしれない。「手乗りかいつぶり」や「帽子」が歩きまわったり言葉をつぶやく、くたびれた世界が。




あと、展示を見に行ったものとしては初台のICCでやっている話題のライゾマティクス展。
Perfumeの演出でかなりフィーチャーされていて、ほとんどPerfumeファンが来ていたと思うけど、盛況のようでした。inoも書いてたけど、一応想像通りの感じです。
既にグローバルサイト見てたし。まあ、超かっこいいんですけどね。
ICCオープンスペースの方も最近行っていなかったので、今回はevalaさん(と鈴木昭男さん)の無響室展示。1人ずつ10分の体験型なので、整理券先にもらってご飯食べてから行く感じでした。
「大きな耳をもったキツネ」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2013/Openspace2013/Works/Otocyon_megalotis_j.html
これは本当にいい。無響室という特殊空間で、本当にここでしか味わわない感覚。閉所恐怖症の人や音に過敏な人は難しいか。
こんなに音は立体なのか、こんなに音って気配があるのか、こんなに耳は繊細だったのか、と感じいる。
他の、オープンリールのテープが4つ、ただゆっくり落ちて積もるのを見ていると1つずつ止まり、4つ全てが止まった次の瞬間に4つが同時に高速で巻きとりはじめるそのとき、早回しの狂ったような交響曲が巻きとっているテープで再生されるというやつもよかった。
この段落リンクだらけだー


あとは遅ればせながら最近攻殻機動隊見てますね。
やっとSAC2のSSSまで観たところです。あとはイノセンスとARISEですか。
攻殻機動隊は最高だな、と定期的にTwitterでpostしています。タチコマ胸熱とかそういう。

あとよかったものと気になるやつ箇条書き。
・川内倫子
・abさんご
・エレグラ
・EMAF Tokyo 
・LEVEL3
・魅せよ!
・吉岡徳仁@MOT
・うさぎスマッシュ
・スマブラ
・テトリス



October 12, 2013

3 years old

また久しぶりのpost。
母のこととかを書いてしまったためにその記事を見るのがつらくて自分で書いたのに足が遠のいてしまう。

なんだか誰の人生もそうなのか知らないけど、いろいろある。

先日、互いに面識のない人同士を引き合わせるという自分にしてはめずらしいことをやった。大学時代は何の考えも無しに友達とファミレスだのラウンジだのにいるとき他の友達を呼んで引き合わせるとかよくやっていたのだけど、それは単に私が面倒くさがりだっただけで、友人コミュニティを一元化したかっただけなんだろうと思う。
で、僕らも分別もついて年を取り、むしろ引き合わせることのほうが面倒くさくなっている昨今なのになぜそんな企画にのったのかというとよくわからなくて、まあでも面倒くささより興味の方が勝ったということなんだろうと思う。
しかし割と好きな人同士を会わせるとなると、それなりに緊張もしたりして。
結果的にはとても楽しかったし、大いに飲み、喋り、笑っている2人を添え物的立ち位置でにやにや見ていたような気がする。へんな達成感。

その場で、3年という期間の話がでて、 学校の大体の区切りは3年で終わるのと似て、3年ってひとつの変わり目だよね、という話になって。その場ではそこから話が発展したわけではないけど、私にはなんだか小さく引っかかっていた。
いや本当に、今まで、自分の3年前は今と違う場所にいるんだよなと、もうさすがに30という而立の年を迎えたのに安定して苔を生やし始めてもいい頃なのにでも3年たつ間には違う場所にいるんだよなと、思う。
3年前は2010年10月で、ニシカワ君とかろうじて出会ってはいるものの沖縄住まいだし勿論今の職場を知りもしない。
その3年前は2007年10月でこれはコンサルの就活中だな。さすがに中野新橋のゲストハウスに住み続けるのもどうかと思っている頃。
その3年前は2004年10月で院に入った年、無為に学部時代の知識の貯金だけを食いつぶしていた頃。このあたりでネトウヨ的な人にひっかかったりしていた(結果的には自分の中の比較軸ができてよかったと思う)。
で、これから3年後の2016年10月に何をしているのか、私には本当に想像できない。

よく就活の時に、10年後何をしていると思いますか、何をしていたいですか、と対策本とかに書いてあったけど、これが本当に全くわからなくて、本気で想像つかないし想像しなきゃとも思わない。
それが1年後ならなんとなくリアリティ持って何かしら言えるのかもしれないけど、3年後すら私は未だに見えない。もしかしたら見たくないのかもしれない。真っ白にしておきたいのかもしれない。
AOHARU YOUTH。
君に足りないのは覚悟だ、と言われた日のことを渋い気持ちと一緒に思い出す。

さてどうしようかな。