テマヒマ展へ行ってきた。
http://www.2121designsight.jp/program/temahima/
東京は六本木、ミッドタウン敷地内の21_21designsightでの展示。
森美術館ではアラブ・エクスプレス展をやっている中、こちらは東北の食と住にスポットを当てたものすごく堅実な展示だ。
展示自体は至ってシンプルで、基本的には7本のショートムービーと、55個に及ぶ現物の展示という構成。
それなのに、ものすごくよかった。
まずムービー。絵の録り方のセンス、音楽、ものすごくバランスがいい。
リンク先の映像を見てもらえばすぐにわかると思う。
そして現物の展示。本当に展示の仕方がものすごくうまい。展示物の並べ方、照明、配布物。
ただ東北の人たちが日常的に使っているもの、食べているものを並べただけなのに、その細部に宿った美に気づき、それをしっかり来場者に伝えることができている。
だって、イワナの縄で吊るされたものや凍み大根のぶら下がっているのすら美しいのである。(同じことをNHK教育の「デザインあ」でも思う。)
もちろん、その対象自体に美しさが内在しているのは大前提である。それにしても人間が具体的にどのように暮らしているのかを目の当たりにするということが、いかに心を打つかということを思うのである。
今回は「東北の食と住」がテーマだったのであって、もちろん横展開しようと思えばできるわけだけれど、もしかしたらその地域ごとに見せ方、見せるものというのは変わっていいものなのかもしれないと思った。もし地元を見せるとしたら、最も美しく、それを最も効果的な方法で見せる方法は何か、というのを考えるのは何かのとっかかりになるかもしれないと思う。
August 6, 2012
July 19, 2012
最近の読書事情
最近読んだ本は、既にツイート済だけれど、三浦しをん「舟を編む」と、誰だったか忘れたけど「彼女は存在しない」。
前者は良くて、後者はそうでもなかった。
まあ、好感度の問題だ。
私は筋ばかりを追って表現を雑にする作家が好きではない。言葉に対する敬意を払わずして作家を名乗るとかまじ。
そういう意味で基本がしっかりしていて、その上にちゃんとしたストーリーが乗っていて、というのであればとてもいい。そうした意味で「舟を編む」は優等生的作品であった。そうだな、優等生的だ。とてもバランスの良く、丁寧で愛に満ちた(時にギーク気味に)小説。
他に、元新聞記者のやつ、横山秀夫とか山崎豊子とかはものすごく文章がしっかりしていて無駄がない上にストーリーがダイナミックでドラマティックでリアルだと思う。色気には少し欠けるし無粋なところもあるかもしれないけれど、単純にぐいぐい読ませる手腕というのはすごい。
所謂明治大正昭和の、刹那的でとんがっていて折れそうでウェットな文学とは全然違う。
時代は変わったのだなと思う。
何故今ウェットな小説家が出てこないのか不思議だ。高等遊民がいなくなり一億層中流、バブル崩壊後の口に糊するのでやっと、な時代にウェットに小説を書いているようなメンタリティでは皆なくなったからかもしれぬ。
今思ったけど、ウェットって言葉便利だな。
私は芥川賞とか直木賞はほとんど読まない。読めばいいのに、と今回思った。ただ、私はまだいわゆる文学作品をまだ全然読んでいないから、どうしても最近のは後回しになるだけのことなのだ、多分。いや確かに、少なからず、見知らぬ馬の骨的小説にハードカバーの代金を払う気になれなかったのは確かだ。
でもまだ芥川を読んでいない。漱石を、賢治を、安吾を、春樹を、まだまだたくさん、読んでいない。
で、最近私は、坂本慎太郎に小説が書けたなら、芥川の域に手が届くんじゃないかと密かに思っている。
次何読もうかしら。
前者は良くて、後者はそうでもなかった。
まあ、好感度の問題だ。
私は筋ばかりを追って表現を雑にする作家が好きではない。言葉に対する敬意を払わずして作家を名乗るとかまじ。
そういう意味で基本がしっかりしていて、その上にちゃんとしたストーリーが乗っていて、というのであればとてもいい。そうした意味で「舟を編む」は優等生的作品であった。そうだな、優等生的だ。とてもバランスの良く、丁寧で愛に満ちた(時にギーク気味に)小説。
他に、元新聞記者のやつ、横山秀夫とか山崎豊子とかはものすごく文章がしっかりしていて無駄がない上にストーリーがダイナミックでドラマティックでリアルだと思う。色気には少し欠けるし無粋なところもあるかもしれないけれど、単純にぐいぐい読ませる手腕というのはすごい。
所謂明治大正昭和の、刹那的でとんがっていて折れそうでウェットな文学とは全然違う。
時代は変わったのだなと思う。
何故今ウェットな小説家が出てこないのか不思議だ。高等遊民がいなくなり一億層中流、バブル崩壊後の口に糊するのでやっと、な時代にウェットに小説を書いているようなメンタリティでは皆なくなったからかもしれぬ。
今思ったけど、ウェットって言葉便利だな。
私は芥川賞とか直木賞はほとんど読まない。読めばいいのに、と今回思った。ただ、私はまだいわゆる文学作品をまだ全然読んでいないから、どうしても最近のは後回しになるだけのことなのだ、多分。いや確かに、少なからず、見知らぬ馬の骨的小説にハードカバーの代金を払う気になれなかったのは確かだ。
でもまだ芥川を読んでいない。漱石を、賢治を、安吾を、春樹を、まだまだたくさん、読んでいない。
で、最近私は、坂本慎太郎に小説が書けたなら、芥川の域に手が届くんじゃないかと密かに思っている。
次何読もうかしら。
June 27, 2012
目黒・学芸大学
ぶらり街歩き、などというテレ東でずっとやっていそうなラベルが、このブログにも実はありました。なんて懐かしいのかしら。
中野でトランペットを聴いた思い出をツイートしたら、思い出したのだった。
ラベルの貼られた4件のエントリを見ると、 どうやら住んでいた場所を時系列と逆にたどっているようです。懐古趣味上等とか言っています。私です。
結局それは鷺ノ宮で止まっていて、残すところあとは上京1年目に住んだ下目黒。
大きな地図で見る
寮のようなところに住んでいた。大学へは寮の前のバス停から出ているバスでJR目黒駅まで行って、山手線で高田馬場、からのまた学バスで早稲田、というルートで通学していた。実際の最寄り駅は東横線の学芸大学だったのだが、通学にはバスの方が便利で。
門限が10時で、1次会もそこそこに帰らなければならなかったうえ、バイトすればかるく門限破ってしまうので、2年目には早々に鷺ノ宮へ越したのだったが、最初の下宿先としては良かったような気がする。寮は全然皆フレンドリーではなく、誰もラウンジでおしゃべりなどしていなかった。
とてもドライで、孤独で、それは意外と快適だった。所謂、都市の生活、のような気がした。寂しさを我慢したり対峙したりするのではなく、寂しさに親しみを感じるのが自然な振る舞いだということを得心したのはこの時期で。
大学、学部はとにかく人が多すぎた。し、私は広く浅く顔見知りをつくりすぎた。
ただ、それは実際には仕方のないことだったように思う。
数撃ちゃ当たるの世界で、あんだけ人が多いと誰が自分と合うのか、親しくなりたいのか、わからない。とはいえ周りは新歓真最中、誰もがサークルに入りたがり、友達を作りたがっていた。今考えれば結構異常な状態だ。
じゃあいろんな人とちょっとずつ仲良くなってみればいいわけで。幸か不幸か、人材だけは潤沢。奇人も変人も凡人もいたと思うが、とにかく気取らない人ばかりで早稲田っぽかった。
オリエンテーションだけの友人もいたし、クラスで1年間だけの友人もいた。実際、今も週末に約束をしてまで会うその頃の友人はいない。
今となってはすべて結果論だ。まあ、いつでも肯定はしていたい。たとえ一人も気軽にメシ食う友人が残らなかったとしても、だ。
そういう日々の中で、私は目黒の自宅に戻ってひとりになるとほっとした。
学芸大の駅には商店街があって、そこにはやっと生活のようなものがあったので、そこへパンを買いに行ったり、東急ストアでそんなに重くないものを買って帰ったりした。自転車がやたらと止めてあり、その合間にドラッグストアのワゴンが置いてあり。ドトールや服屋や塾やクリーニング点に靴屋、八百屋、こういう商店街は沖縄には無い。沖縄にあるのは昔の市場のようなものと、大型ショッピングモールだ。
それで、家と商店街を行き来する道の途中に、ものすごく古ぼけたださいホテルがあり、そこはまったくひなびたところで、今調べたら、「ニュー目黒」という1969年に建てられたホテルだった。2001年、ミレニアムも海も超えた私の目にもはや「ニュー」はかなり古ぼけて見えた。
レストランだけが辛うじて稼働しているようなホテルだった。一体ここまで来て誰がこんなホテルに好き好んで泊まるものか、という立地と外装のひどさだった。
そのホテルを横目に、冬の家路をゆっくり歩き、ああ、冬までやってこれた、というひとしおの。
しかし、数年後某Sony君に食事に誘われて再びそのあたりを訪れたとき。
CLASKA
!!
である。まじおしゃれである。そこでフリットとかオーダーするSony君もまじおしゃれ。
デザイナーズホテル、というか、ギャラリーも屋上のテラスもいろいろアート的側面を強化しまくった、昔と別の意味で下目黒で浮いた場所になっていた。いやかなりおしゃれ。つまり、ニュー目黒をリノベーションして云々というやつ。
客室の値段も料理の値段もそこそこするが、外国人の宿泊客が多いようだった。鄭秀和 a.k.a テイ・トウワの弟がプロデュースしているらしい。
そういう場所になったようで、わが上京の地。東京は変わりゆくなあと思う。
これでひとまず、ぶらり街歩き@Tokyoはルーツを辿り終わった。
気が向いたらまた書きます。東京のいろんな場所のこと。
中野でトランペットを聴いた思い出をツイートしたら、思い出したのだった。
ラベルの貼られた4件のエントリを見ると、 どうやら住んでいた場所を時系列と逆にたどっているようです。懐古趣味上等とか言っています。私です。
結局それは鷺ノ宮で止まっていて、残すところあとは上京1年目に住んだ下目黒。
大きな地図で見る
寮のようなところに住んでいた。大学へは寮の前のバス停から出ているバスでJR目黒駅まで行って、山手線で高田馬場、からのまた学バスで早稲田、というルートで通学していた。実際の最寄り駅は東横線の学芸大学だったのだが、通学にはバスの方が便利で。
門限が10時で、1次会もそこそこに帰らなければならなかったうえ、バイトすればかるく門限破ってしまうので、2年目には早々に鷺ノ宮へ越したのだったが、最初の下宿先としては良かったような気がする。寮は全然皆フレンドリーではなく、誰もラウンジでおしゃべりなどしていなかった。
とてもドライで、孤独で、それは意外と快適だった。所謂、都市の生活、のような気がした。寂しさを我慢したり対峙したりするのではなく、寂しさに親しみを感じるのが自然な振る舞いだということを得心したのはこの時期で。
大学、学部はとにかく人が多すぎた。し、私は広く浅く顔見知りをつくりすぎた。
ただ、それは実際には仕方のないことだったように思う。
数撃ちゃ当たるの世界で、あんだけ人が多いと誰が自分と合うのか、親しくなりたいのか、わからない。とはいえ周りは新歓真最中、誰もがサークルに入りたがり、友達を作りたがっていた。今考えれば結構異常な状態だ。
じゃあいろんな人とちょっとずつ仲良くなってみればいいわけで。幸か不幸か、人材だけは潤沢。奇人も変人も凡人もいたと思うが、とにかく気取らない人ばかりで早稲田っぽかった。
オリエンテーションだけの友人もいたし、クラスで1年間だけの友人もいた。実際、今も週末に約束をしてまで会うその頃の友人はいない。
今となってはすべて結果論だ。まあ、いつでも肯定はしていたい。たとえ一人も気軽にメシ食う友人が残らなかったとしても、だ。
そういう日々の中で、私は目黒の自宅に戻ってひとりになるとほっとした。
学芸大の駅には商店街があって、そこにはやっと生活のようなものがあったので、そこへパンを買いに行ったり、東急ストアでそんなに重くないものを買って帰ったりした。自転車がやたらと止めてあり、その合間にドラッグストアのワゴンが置いてあり。ドトールや服屋や塾やクリーニング点に靴屋、八百屋、こういう商店街は沖縄には無い。沖縄にあるのは昔の市場のようなものと、大型ショッピングモールだ。
それで、家と商店街を行き来する道の途中に、ものすごく古ぼけたださいホテルがあり、そこはまったくひなびたところで、今調べたら、「ニュー目黒」という1969年に建てられたホテルだった。2001年、ミレニアムも海も超えた私の目にもはや「ニュー」はかなり古ぼけて見えた。
レストランだけが辛うじて稼働しているようなホテルだった。一体ここまで来て誰がこんなホテルに好き好んで泊まるものか、という立地と外装のひどさだった。
そのホテルを横目に、冬の家路をゆっくり歩き、ああ、冬までやってこれた、というひとしおの。
しかし、数年後某Sony君に食事に誘われて再びそのあたりを訪れたとき。
CLASKA
!!
である。まじおしゃれである。そこでフリットとかオーダーするSony君もまじおしゃれ。
デザイナーズホテル、というか、ギャラリーも屋上のテラスもいろいろアート的側面を強化しまくった、昔と別の意味で下目黒で浮いた場所になっていた。いやかなりおしゃれ。つまり、ニュー目黒をリノベーションして云々というやつ。
客室の値段も料理の値段もそこそこするが、外国人の宿泊客が多いようだった。鄭秀和 a.k.a テイ・トウワの弟がプロデュースしているらしい。
そういう場所になったようで、わが上京の地。東京は変わりゆくなあと思う。
これでひとまず、ぶらり街歩き@Tokyoはルーツを辿り終わった。
気が向いたらまた書きます。東京のいろんな場所のこと。
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