October 16, 2009

「権利」について

先のエントリにも関連するのだけど、法律をやっているせいで、多分そうでない人よりぽんと「権利」「義務」「責任」「保障」「賠償」なんて小難しいようなシリアスなような言葉が出てきているのかもな、という気づき。
いや実際は小難しくも特別シリアスな顔をしなくてもいいんだけど。

院とかだとあんまり気にならないというか、そういう言葉を使ってもその言葉の意味するところとか、重みが共通しているので、うわ権利とか言っちゃってる、とか、賠償責任?なんか怖そう、なんていうことはないわけだけど(授業でやってるわけだし、それらの言葉を使わないとそういう会話できないし)、そうでない人と話す時に、これはこういう制度になっててとか、こういう趣旨で、とかいうことをつい小難しい言葉でやってしまい、家の中でも、父以外の家族とかに「?」って顔をされたりする。

なんでそういう言葉を使ってしまうかというと、簡単だからだ。説明をすっとばせる。そういう言葉というのはややこしい概念を一語で表したものだから。

で、多分他の学問でも同じだ。そこだけで使われてる専門用語ってのはある。
理系だと割にわかりやすいのかもしれない。SN比とかさ。あとは知らないけどさ。そういう。
SN比って一語で通じればそれですむのに、文系の私がいたためにSN比の説明をさせることになったという、そういう話。

ずっと前に、哲学専攻してた人と話したことがあって、その人が言う「超越」という言葉の意味が、私の理解している一般的な意味ではなくて、全然かみ合わないということがあったりした。
文系学問の専門用語は、多分一般的にも使われている言葉なのに意味が違うということがきっと多いんだろう(推測)。


法学でも、民法の時間に最初にこういうのを習う。

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「善意」「悪意」という言葉が民法上出てきますが、これは一般的な意味とは違います。「善意」は知らないという意味で、「悪意」は知っているという意味です。
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知ってるだけでめっちゃ悪い人みたいなのだ。ちなみに、事情を知ってて(本当はこの土地、この人が持ち主じゃないぽいけど買うみたいな)さらに害意がある人(本当の持ち主に恨みがあって困らせるために買うみたいな)は「背信的悪意者」で、もうかなり悪い人っぽい。「背信」「悪」。まあ悪いんだけど。

あと、「推定する」と「みなす」の違いとかね。
こういうのはばっちり区別できるし明解なのだけど、ニュアンス的に違うんだよな、っていうくらいなら多分山ほどある。法学上では、やたらと何もかも定義されているのである。憲法とは何か、形式的意味の憲法、実質的意味の憲法、とか、行政とは何か、とか、契約とは何か、とか。


で、「権利」とかって普段使う場合は、新鮮さがないというか、「権利」という言葉におそらく内包されているであろう、高揚感とか、自己や他者に対する敬意とか、意志的なものとか、そういうのは感覚的にない。あーそれ不法行為構成で人格権で差し止めしてさ、とか、その権利保護要件ってさ、とか、技術的な話で。用語として使っているわけだ。伝わるかなぁ。

だから、労働は権利なんだよなー、っていうのは、確かに憲法上保障された確固たる権利なんだなーって意味だけれども、文脈的に「労働は権利だ!」「私は労働する権利を持っている、ゆえに働く!」っていう風に思っているわけではないというか。あー伝わるかなあ。エクスクラメーションマークで伝わってほしいなあ。


日常的に、これは私の権利だ!って雄々しく思う場面はそんなになくて。
幸せが語られる時みたいに、権利もまた失って初めてその尊さに気づくものなんだろうと思う。
薬害とか、公害とか、選挙行けないとか、店を営業できないとか、働けないとか、人ごとだと思ってるけど、自分がそうなったら、目の前にその人がいたら、権利があったことに気づくと思う。
そうした時に、雄々しく「権利」を思うのだと思う。

1 comment:

  1. >あー伝わるかなあ。

    伝わりました。ありがとう。

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