June 10, 2010

地の塩、世の光

私はクリスチャンホームで育ったので(厳密にはそうではないけどほぼ)、聖書の言葉がふっと浮かぶ瞬間というのがある。

「世の光、地の塩」

それがどこの箇所かというのはわからないのだけど、断片的に覚えているのだ。

前にも書いただろうか、そういうのを御言葉(みことば)とか聖句とか呼んでいて、そういった言葉がカレンダーの下の方とか、お手洗いの壁とか、階段の壁とか、いろんなところにかかっている環境で育ち、かつ毎週日曜は教会学校(子供用のお話会)へ行って聖書の中の話を紙芝居で知ったりした。
学校でいやな目に会った時には、母と一緒にその子のためにお祈りをしたし、また私が嘘をついてしまって苦しげに打ち明けた時も、母と一緒にお祈りをした。私は最初、なんで自分に意地悪をした子のためにお祈りするのかわからなかったけれど、じきに理解するようになった。
母曰く、つまり、イエスキリストは、自分には何の罪もなかったのに十字架につけられ、周囲の人に唾棄され、罵倒されて尚、「父よ、彼らをお許しください。彼らには何をしているのかがわからないのです」と天の父に祈った。そのおともだちが意地悪をすることは罪ゆえに、彼らがそれを許してもらえるように、祈るのだ、と(喧嘩ではなく、意地悪の類だ、念のため)。

そういう風に、私は育てられていて。

だから魂の部分で、私は人を許せるようにしたいし、どうせ生きるならいい感じに生きようと思っている。勿論私もまた大勢の人に許されながら生きている。
私に何かできるのならできるぶんしたいと思う。もしキリスト教の教義とか何かしらに納得がいかなくて決別ということになったとしても、そういう姿勢でいることは多分変わらなくて。しかしそれはもしかすると、本質的にはキリスト教が染み付いているということなのかもしれない。もしそうなのだとしたら、キリスト教は見事に私をそのような人間にすることに成功したということになる。
これは万が一独善であっても偽善ではない。そして大概は善だと思う。


生き方という面で好きな言葉がある。

「あなたの手に善を行う力があるとき、求めるものにそれを拒むな」箴言
「世の光、地の塩」マタイ福音書

後者は実際の記述は以下の通りである。
「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取りもどせようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつれられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを升の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。」

どのような中であっても、あなたによいことができるのならそれをしなさい、ということ。
それはあなたにとってよいだけでなく、地の塩のように皆の舌を喜ばす。世が世であれば、ろうそくの灯りのように世界を照らす。

私たちはたまに、そういう光を見る。
雑踏の中で。電車の中で。帰り道で。お店で。

太宰の
「私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。」
少し茶化しているけれど、芸術に光を感じているってことじゃないだろうか。彼が芸術で光を発したいということじゃなかろうか。まあ、おしること言ってはいるけれど。彼の理想とする芸術は、この意味でおしるこのようなものであったはずで、しかしそうではない現実を嘆じたものであると思う、この文章は。「弱者の糧」とタイトルがついている。

さて弱者とはなんじゃいな。


最近そんな言葉が浮かんだという話。
たまに母ともこういう話をする。
世の光となるような生き方をしたいものだねと。そういう意味では同士、というか、兄弟姉妹なわけだ。
キリスト教徒の中でも一応慎み深い教派だから、説教以外ではおおっぴらにはみんな言わないけれど。

最近になって、家のあちこちに御言葉があるという環境が、他ではないんだなと思うに至った。
一人暮らしの部屋にも私が英語で書かれた御言葉が添えられた浅井力也のポストカードを貼っていたのは無意識ではない。無いと落ち着かなかったのかもしれない。

最近、教会へ行っていない(気疲れするから)。それで、20数年来お世話になっている牧師先生から贈り物が届いて。
主の祈りのポストカードの裏に、先生のメッセージがあった。祈っていますと。
机に立てかける窓のような見開きの飾りのようなものの片面には鷲が2羽描かれており、もう一面には
「主を待ち望むものは新たに力を得 鷲のように翼をかって上ることができる。」(イザヤ40:31)
という言葉が英語で綴られていた。姉妹で素敵だねと言い合った。

受験のときも、いつのときも、こうやってそっと贈り物をくださる。御言葉を添えて。その言葉が一番力になると知っている。

こういう人を、地の塩、世の光と言うんだと思う。私はその方に光をみるわけだから。

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