June 22, 2010

学習院下

学習院下。

というのは早稲田の近くです。名前からして学習院の近くでもあります。丁度真ん中くらい。
ここが大学の学部3年~院3年まで4年間住んでいたところ。


大きな地図で見る

そもそもなぜここに越したかというと、というかその前にどこにいたかというと、目黒→鷺ノ宮なんですね。どちらも電車に乗らないかん。1限死ぬ。ということで、歩いていける場所に住もうそうしよう、交通費もかかんないし、という試み。

日当たりで決めました。日当たりだけ、他の物件よりよかった。あと治安。あの辺はのどかです。学習院のお膝下だもの。ごきげんよう。
スーパーも近かった。よしや。なかなかいいスーパーで、酒屋さんもあったし、クリーニング店もあったし、マックもあったし、花屋さんもあった。とても便利。おまけに道路の向こうには郵便局もあった。あのへんは本当にあちこちにそういうのがある。便利。おまけに一歩出れば早稲田通りで、ここを歩くことを早大生は馬場歩きと言った。

ここはラーメン激戦区で、いろいろ有名店があり、特にラーメン好きというわけではない私ですら何軒か行った。おかげで先日の美容師さんとの会話がラーメンで盛り上がった(この美容師さんは何年か前、高田馬場店の店長だったのだ)。
「一風堂できたときなんて感動しちゃって替え玉7回やりましたよ」
「ええええやりすぎですよ。あー私黒蘭好きでした」
「あーあのカウンターだけの、細長いとこですよね?あーあそこも結構癖あっておいしかったなあ。あのへんほんといろんなとこのがあって素晴らしいんですよね。」
「あー、えぞ菊とか札幌ですしね」
「そうそうティーヌンとかタイだし」
「そこもおいしいですね」
「あそこはラーメンマニアの聖地なんですよ!」
と興に乗った店長は沖縄のラーメン店の最近について教えてくれて、いつか独立したら高田馬場に住みたい、いつかラーメン店やってみたい、という夢を熱く語ってくれましたとさ。
私美容室行くとこんな感じです。
前の担当者さんとは「童夢君」の話されっぱなしでした。

脱線脱線。で。
都電荒川線がすぐそばを通っていて、少し風情もあるし、都電で池袋あたりまで行けたりもする。山手線とも大塚で接続するし。早稲田までは2駅だったので、ほぼ歩いたけれど、電車のが早いし疲れないので(院のころはいつも大荷物であった)、まあまあ使った。後半はsuicaも使えたのだ、都電だけどハイテク。


管理人さんははきはきとしたおじいさんで、いい人だった。いろんなものをくれたし(スイカとか、彼氏と一緒に使ってねというキーホルダーとか)、よく声をかけてくれたし、もうご高齢だったのにボーリングが好きで、別の階の大学生たちと一緒に行こうと誘われた(結局行かなかったんだけど)。歌舞伎のお家らしくて、昔の写真を見せてもらったこともある(残念ながら私は詳しくなくて、わからなかった)。故郷のことを、「くに」と発音した。「おくににはいつお帰りになるの?」


近くには神田川が流れていた。
神田川というのはきれいじゃない、むしろ夏なんかは匂いまであるような川なのだけど(しかも明治通りと交差するところには自転車が何台も投げ捨てられている)、なぜか風情があるように聞こえる響きだ。窓の下には神田川、である。三畳一間の小さな下宿。
早稲田へ続く神田川沿いには、桜並木があるのだ。入学当初はここに住んではいなかったが、桜の薄桃色に誘われて、母と二人入学式を終えて川沿いへ見に来たのだった。丁度桜の散る頃で、風がそよぐたびに沢山の花びらがひらひら舞い落ちて。川は桜のじゅうたんのようで。
そういうのを見たのは私も母も初めてだったから、やけに感動したのを覚えている。

そんなわけで、神田川は通学時に必ず横を通る身近なものだった。桜の落ちて、葉の茂る頃は、わろし、と心の中でつぶやき、それでも木陰を求めて側を歩いた。
中野新橋でジニアスへ向かう途中に渡った川が、神田川だったときはおどろいた。
まあ早稲田からここまでも流れてきているのかと、懐かしくて、橋の上で月を眺めて川のむこうへ思いを馳せた。つながっているのだなあと思った。


最寄駅は強いて言えば4つあった。都電とバス停以外は徒歩10分強。
学習院下(都電)、高田馬場(JR山手線、地下鉄東西線、西武新宿線)、目白(山手線)、早稲田(地下鉄東西線)。
バス停は、学習院下。

明治通りが通っているので、バスで新宿も渋谷も池袋も行ける(明治通りというのはこれらのエリアを貫いている)。なので、新宿とかで終電すぎてもがんばったら帰れる。馬場なら全然帰れる。というか、他のメンバーが帰れないから帰れない。むしろオール。意味ねー。


ここで都電荒川線でも。
現在東京に一つだけ残る路面電車である。荒川区の方から早稲田までをつないでいる。
早稲田の次は、面影橋。面影橋の次は、学習院下。次は、鬼子母神前。恐れ入谷の鬼子母神、の方ではない。次は、雑司が谷。霊園がある。名前が面白い。

都電荒川線は、バスみたい。ブザーがあるし、suicaやpasmoが使える。バスカードも使えた(今は知らない)。貸切も出来る。最近クラシックな感じの車両も登場している(いまいちだけど)。何気によく使っていた。地下鉄に出るには歩かなくて済むので、急がないときはそうした。おじいちゃんおばあちゃんがバス以上に乗り込んでくるので、基本立つことになる。東京訛りが聞ける。ドラマか寅さんみたいである。ゼミのY先生は年寄りを嫌って、都電とか大嫌いと公言していたが、なかなかどうして面白い。試験前は学生が必死にノートを見返している(私含め)。大塚あたりに住んでいる学生が乗ってくるのだ。

私は結構夜出歩いていて、あの辺の夜は好きだ。
コンビニがいつでも煌々と照っていて。車が通っていて。
あの頃はいつ起きても学校があいていたし、いつ行っても良かった。だから朝の6時に歩くのもよかったし、22時に重信銅像とその後ろにそびえる木々を見上げながら、そして講堂を見て帰る帰り道も好きだった。
危ないようで、危なくなかった。時たま人が倒れていたりしたけど(酔いつぶれて)、たまに、だ。

次回は早稲田。
キャンパス周辺を主に。

どうでもいいけど、学習院とガーシュウインって似てる。

No comments:

Post a Comment