昭和のことでも。
私は昭和に属している、となんだか思っているところがある。
昭和58年の生まれだから、昭和っていっても最後の方ちょこっと生きてただけで、あと平成育ちなわけだが、なんか昭和に属しているという意識めいたものがある。それは生年月日を書く度に意識に刷り込まれるからかもしれない。というかそうだろう。だから、平成生まれの人に、うわ、平成生まれ?まじで?とかいう反応をしがちなのである。こちとら平成育ちなのに。昭和だったの5年くらいなのに。
メディアの影響もあるだろう。昭和といえば、こういう生活様式で、こういうのが流行ってて、とか、平成といえばめっちゃ最近で、BRICs!グローバリゼーション!iPhone!みたいな。ちょっと言い過ぎたけど。でも、たまにTVで流れる「平成」の文字を持つ小渕さんの映像はなんか古くて、ああそうか、平成って21年前からだよねそういえば、ということに思い至る。すぐ忘れるけど。
多分、私は昭和と90年代をごっちゃにしている。90年代=昭和みたいになっている。トレンディドラマやお立ち台みたいなバブリーなものとかサザエさん的生活様式は昭和だと思っている。考えを改めねばならぬ。
音楽に関しては、私は幼少の頃多彩な音楽に触れる機会を与えられておらず、母の聴くクラシック及び当時の歌謡曲か、父の聴くフォーク、グループサウンズ的な何かのみに限定されていた。
クラシックはクラシカルなわけで置いておいて、つまり「伊勢正三」とか「風」とか「南こうせつ」とか「かぐや姫」とか(かぶってるけど)、「サイモン&ガーファンクル」とか、「カーペンターズ」とかを主に聴いていたのである。というか、両親は派手なものをあまり好まず(今思えば。)、ピンクレディーでもキャンディーズでもタイガースでもなく、こういうのを聴いていた。
私は「風」の楽曲がお気に入りで、妹と二人歌詞まで覚えていた。空耳で遊んだりしてもいた。音楽の時間に「あの人の手紙」(悲しい)を口ずさみ担任に「なんで知ってんの」とものすごく食いつかれたことがある。
大抵それを聴くのは父親の車の中だったので、夜の闇と高速道路のオレンジの灯りと淡々と続く道路、車内の機器の緑に光る文字のイメージが、これらの曲とは結びついている。
そして特に父が、結局今もこれらの、というか、あの時代の曲のバリエーションしか聴かないことに驚愕する。飽きないのだろうか。他に琴線に触れる新しい音楽とか無いのだろうか。
今日もまた彼は車内で、「初恋」を聴き、明日もまた聴くのかもしれない。
昭和というのはそういうものなのかもしれない。生粋の昭和っ子か。
この前、NHKアーカイブスで、司馬遼太郎が昭和を語る、というのをやっていたのだけど(80年代の映像だった)、彼のように昭和を最初から最後まで生き切った人が昭和を語るのは本当に聴きごたえがある、と思う。あの映像はよかった。小説家としての自分を語る場面もあった。いつかまた見たい。残念ながらNHKオンデマンド等では配信されていない。
昭和には戦争がある。この大転換の経験なくして昭和は語れまい。
この太平の世に生を受け恵まれた生活を享受しながら、こんなことを言うのは本当に気が引けるのだけど、羨望している。あの価値観の大転換という矛盾を受け入れざるを得なかった人々の強さというか、問題意識には、心から敬服する。
勿論彼らの持ちえない感覚や視点もあるわけだけど、それは措いて。
そんなわけで、私が抱いている昭和への帰属感というものはひとつ大事にした上で、昭和について知らなさすぎることに薄々気づいてはいたがやはり勉強しなければと思う。歴史に学ぶことが未来に役立つからというわけではない。事例に学ぶことが単に好きなのであろう。必要だから勉強するというような殊勝なことは仕事でしかしない。
さて、明日も平成に生きるか。
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