June 10, 2011

つつがなく

つつがなく日々は過ぎてゆきます。ただ、いっさいは。

新しい環境で、新しい生活で、周りにいる人は全て今までと違っていて、それでもまったく断絶を感じないのはやっぱりソーシャルなネットワークがワールドワイドで広がってくれているからであり、バングラにいる友人だって、京都にいる妹だって、東京にいる同期たちだって、フラットな世界に、オンタイムでコミュニケートできるこの世界。

流れに身をまかせるということに疑問を抱かず、でも任せているということは意識していて、それがなんだかメタで、「メタって何?」「メタって何って何?」っていうツイートを思い出し、出勤の時や一人お昼の時にはタワレコでめっちゃPushされているJames Blakeを聴き、俯瞰の視点を主体としての視点と併存させながら。曇の日のオープンカフェや、きっと夜の台場に合う。


この間、高校の友人に会った、9年ぶりくらいに。
あたりまえだけど大人になっていて、あたりまえだけど変わらなかった。
何もかもあたりまえだと片付けることの違和感を感じては巡り巡ってここまできたなー。
ロジックなんて全然正確ではないし、正確であることに意味なんて無い。意味の意味を議論することの意味もまた無い。でも、意味があると思うことにだって意味がある。
今、「意味」と「価値」を置き換えても大丈夫な気がして、意味と価値は等価なのかと、同義なのかと、これもまたループだ。全部つながってんだ。

友人は元気で、美味しいお店をいっぱい知っていて、違う世界の住人のようで、でも通じ合える何かも感じた。よかった。


最近、松本大洋の「日本の兄弟」という短編集を買った。あの人はほんとに。初期の作品なのか、ロック風味が強い。
世界が計り知れなくて、訳がわからなくて、雲をつかもうとしているってことがメタな視点でわかっている人をartな人と呼ぶのならば。松本大洋然り、ゆら帝然り。はて人間は?
ピンポンも、鉄コンも、名作だった。鉄コンに関しては、もうほとんど完璧に映像化していて、マイケル・アリアスの作品へのシンクロに感心しきりなので、見たほうがいいと思う。あと、読むのも良いと思う。アニメのくせに結構バイオレンスだけど。

松本大洋の絵は、瞬間瞬間を印象的に切り取っている。単なる絵なのではなく、映像の中で効果的に静止する画面、のイメージ。動的なもののはずなのに、何故かその時だけ時間が止まる、というような。
漫画を読んでいるのに、映画を観ているような。
それは映像にしてしまうと、生きないところではある。

で、アジカン聴いちゃっている今。アジカンは、いつ聴いてもどの曲聴いても青春の音がする。青春ってこんな音だったんだなあと思う。それもすごいし、いつまでも青春の曲をつくれるのもすごい。

まとまんないけど、自分の文章なんてこんなもんだな、多分。