December 14, 2013

雑感

何かを考えて言葉にしてまとめるという作業を怠っていた。

日々の中にそれをする喫緊の必要性を感じなかったということと、母の死という自分にとってかなり重大な事柄についての整理が出来る段階になかったというのが多分主な理由で、無理して考えることもないだろうと思っていたし、実際思考は無理してやるものでもないとも思う。

でもここへきて、なぜだか少しの焦りや、微妙な危機感を肌で感じるようになった。今の会社の業績がさほど良くないという客観的事実や年齢もまあ関係しているけれど、なんとなくそれだけでもない気がする。

たとえば、またひとつ暫定で答えを出さないといけないのかもしれないと思う。

今まで学んだこと、つまり勉学の話だけではなくて、生き方や考え方のこと、人とのつきあい方つまり自分のリソースのシェアの仕方、それらを反故にして進むことには意味が無い。拘泥する必要はないけれど、全く何もなかったかのようにばかみたいに同じことを繰り返すつもりもない。

少し前は、院の同期の活躍を見て焦った。でも、その焦りが無くなってきて、その焦りがなくなったことは果たしていいことなのだろうかと思う。同期の活躍は素直に喜べるし、それ相応の犠牲を払っていることも容易に想像できるし、そうするとやっぱりえらいなと思う。
それは変わらないけど、なにくそ自分も、と思わなくなった。諦念なのかもしれない。それはそれで楽だし、別の価値観というのはあるし、それに触れることも勿論必要だ。
でも、なんでもそうだけど、ずっと諦めながら生きることは多分できない。
少なくとも、自分が諦めてると思っている段階では、ほんとはやれるはずだという意識があるわけで。それはそれでストレスではある。


で、今ここで何か決められるわけでもなく、とりとめもなく書いてみただけで。
いやーほんと生きるって大変だよね。

December 8, 2013

the piano era 2013

日が開いたけど続き。
the piano era 2013
都立大学駅が最寄りの柿の木坂を登ったところにあるパーシモンホールで。久々にその辺に行くということで、開演前に一つ乗り過ごして学芸大学駅で降りた。上京して最初の住まいがその辺で、ニシカワ君とは来たことがなかったので一緒に歩いてみた。
前にも書いたけど、最初の住まいは目黒通り沿いの学生マンションで、買い物する場所が近くになく、母が歩きまわって学芸大学駅前の商店街を見つけ、一緒に行ったのを思い出す。4月になってもうある程度寒さも和らいだ頃だったけど、雪が降って、降っている雪を見るのが初めてで、母と一緒に感動したことを思い出す。行くまで忘れていたけど、あの商店街は母との思い出しかない場所で、一緒に入ったドトールやパン屋を見てはしんみりしてしまう。

時間も押し迫ってきたのでバスで都立大学駅まで移動し、会場入りした。

ここもまたエレグラとは違う客層で、上品なお洒落さんがたくさんいて、というかお洒落じゃない人は一人もと言っていいほどいなかった。おそろしい場所である。
演奏者は4名、クラシックではなく今旬なピアノを使うアーティスト。
以下演奏順に。

平井真美子
可愛らしくきれいな、才能のきらりと光るフェミニンな演奏。とてもいい。癒される。若干の青葉市子感やコトリンゴ感がある。感性、という感じ。

中島ノブユキ
八重の桜音楽担当等、幅広くやっていらっしゃるおじさん。ピアノの人だなぁという感じ。フランクでMCもラフ。ダークめな曲もやっていたけど、とにかくピアノの人。クラシック基盤ぽいけどジャジーな曲も交えておりほんとに幅広な印象。もう少し時間があるといろいろ聞けたかなと思う。

ニルス・フラーム/Nils Frahm
あれ、ここエレグラ会場じゃないよね、みたいな演奏。普通のグランドピアノと別に、かなり音を増幅させられるエレクトーン?の複合体みたいなものが置いてあり、両方を腕を伸ばし足を伸ばし演奏する。重低音のドローンの上にピアノを乗せていくようなイメージ。かなりエレクトロニカ系。前の二人の演奏の音量とは明らかに違う。一部スタンディングオベーション。かっこいい。で、イケメンなので彼のみ演奏終了後に臨時サイン&握手会的なものが行われた際結構人が並んでいた(イケメン&他言語フィルタ発動により近づかず)。

高木正勝
言わずと知れた我らが高木正勝。初見。どこぞの民族衣装に身を包み、長い紙をふわっとアップにして登場。彼のみVideo付き。映像はまあいつもの高木正勝で、ああ高木正勝だなあと思うけど、演奏は調子が悪いのか緊張しているのか、かなり荒い。まったく整っていない感じ。曰く、長年住み慣れた家を離れて引っ越しをしたところ、前の家で作った曲と体が合わなくなっているとのこと。昨日作った曲、というのはわりかし丁寧にぽつりぽつりと弾けたのに、有名なgirlsやgrace、nijikoなどはたくさんの激情にかられた和音にまみれて旋律がかろうじて分かる程度。少しこわいくらいの演奏。最終的には俯いて退場。ああこの人はエンタテイナーでも演奏家でもなく、芸術家なのだ、と思う。隣でニシカワ君が放心しており、半日以上衝撃が抜けないようでした。
twitterでは賛否両論。

とりあえず備忘レビューおわり。

December 5, 2013

electraglide2013

次、エレグラことelectraglide2013@幕張メッセ。幕張遠い。千葉。TDRより遠い。
ニシカワ君とその会社関係の人とか、ソニー君ことinoとか、ちょいちょい知り合いとも合流しながら面白い。

NOSAJ THING × 真鍋大度 × 堀井哲史 × 比嘉了
普通。特にプロジェクションマッピングとかも無い。映像は良かった気もするけど、それにリアルタイムのNOSAJ THINGのDJ映像をのせてくるのでちょっとださい。

FACTORY FLOOR
かなりミニマル。音響機器とドラムセットとギター&ヴォーカルの3名の3ピース。ミニマルなドラムとビートに色気を消したノイジーなギターがかぶさるけど特にメロディ的なものは皆無。かっこいいけど踊りにくい。

MACHINEDRUM
私的ベストアクト。マリオみたいなナイジェル・マンセルみたいなひげのおじさんが手を変え品を変えポップにグルーヴィーにフロアを盛り上げ、老舗の安定感を感じた。かなり好き。

SHERWOOD & PINCH
むちゃくちゃ重いブリブリベース。脳にひびく。めちゃくちゃかっこいいけどマシーンドラムおじさんで若干疲れたのでドリンク買いに行きました。ソニー君といとうさんに会いました。どうもどうも。ソニー君友人も。

JAMES BLAKE
アイドル。中二感のあるロングコートに重め前髪にハスキーかつ不思議な声に、人が詰めかけ大変。かなり毛色が違う。他のアーティストと違って、アルバム聴きこんできてる人が結構いる感じ。爆音のダブステップに裏声を駆使したヴォーカルでぐいぐいくる。いいもん見た。でも、もうPOPSなんじゃないかな。持ってきてたステージセットもシンプルだったけどかっこよかったです。多分ビジュアルセンスかなりいいんだと思います。

2manydjs LIVE
アートワークVJとDJで人々がパーティーまみれ。疲れちゃって遠くで見てました。最後まさかのライディーン。やっこさんに会う。どうもどうも。

!!!(chk chk chk)
これぞライブ。ニックのTシャツトランクス(じゃないんだろうけど明らかにそう見える)姿とださかわいいダンスにたのしくなりながら。オースティン・パワーズみたい。
やっぱり老舗っていいな、って思う。むちゃくちゃ盛り上がる。多分この時一番人多かったです。キャッチーなメロディアスなロックかと思いきやパンクのように、でも全体としてグルーヴィー。愛されバンドですね。

MODESELEKTOR [DJ SET + 909] with Pfadfinderei
疲れ果て遠くで見物。近づくとえづくんじゃないかってくらい腹にくるへヴいビート。ヘヴィなベースは好きだけど、幕張メッセで朝5時に浴びるとかなりくる。後半のみ復活。最後の方次のセオにかぶせられ、「あ、ありがとー!」みたいになってました。セオ、まだ時間じゃないでしょ。

THEO PARRISH
ソウル系色気系。多分いい。いいんだけど、もうそろそろ千葉から横浜まで帰る体力が心配ということで、1曲目途中までいて離脱。噂ではこないだ15時間ぶっつづけDJをやったらしいので押しに押しまくるのではと話していたけど7時半くらいに終わったみたい。

幕張は海のそばで朝寒すぎてしかも家からめちゃくちゃ遠くて眠くて、でも電車から見る海と日の出がきれいで、三日月が白くひらりとうす青い空に貼り付いていて、こんなに疲れ果ててヘヴィな電子音まみれでドロドロでも、世界は澄んで美しいなと思う。

EMAF TOKYO 2013

最近立て続けに3個音楽的イベントに行ったので備忘。
まずはレッドブルプレゼンツの EMAF TOKYO 2013 2日目。

ニシカワ君の希望により2日目参加。初恵比寿LIQUIDROOM。まあライブ会場は大体初なんだけど、恵比寿LIQUIDROOMとか、もうお洒落な人しか入れない字面ではらはらします。
実際行ってみたら、メインフロアに居ずに2Fのラウンジぽいバーカウンターあるとこでたむろってる人たちが「おしゃれですけどなにか」みたいな人ばかりで、こいつらメインフロアで音楽も聴かずにおしゃれ自慢に来てるだけなんじゃないかと思いました。
で、気にせずメインフロアのタイムテーブル順でいくと、

まずInner Science。DJです。普通にいいです。普通です。未来館のプラネタリウムプログラム「偶然の惑星」のBGMを担当していたということでレイ・ハラカミにある意味並んでいるわけだけどあの人もう死んでしまったし生きててもレジェンドなので比べるのもねということで、まあ普通でした。次。

Fugenn & The White Elephants x Yousuke Fuyama。なんというか踊りやすいメランコリック気味ビーツな感じだった印象。好きな人多そう。

環ROY×蓮沼執太×U-zhaan。かなりゆるい。これエレクトロニカのイベントなのにおれたちでていいの?ってMCでゆるゆる話しながらROY君がビール飲んで、急にユザーンに「俺エレクトロニカ」って適当にラップ始めて「おまえエレクトロニカ」と言い出してユザーンが「俺はエレクトロニカじゃないよ」と言い「いや、おまえもエレクトロニカだね」みたいなそういうのをしゅうた君が大人しく見てて、なんで黙ってんの、って2人にいじられて「いや、なんかさ・・・」みたいにはにかみながら音だしはじめるような感じで私は好きでしたね。

Y.Sunaharaこと砂原良徳ことまりんさん。バキバキでかっこよくてVideoも良くて、安定的にかっこよかったです。かっこいいですね。うん、かっこいいです。ニシカワ君はメイン彼目当てでした。しかし細い。

Lusine。多分上で休憩しててあんまし聴いてない。

Fennesz。でかいドイツ人。コワモテ。ギタージャラーングワーンゴゴゴゴゴ・・・コー・・・です。踊るのではなく立ちすくんで轟音浴びる感じ。坂本龍一とやってるときはかなり控えめなんだな。

ヤン富田。なんかすごい機械セッティングして、前口上かなり長くて、これから宇宙に飛んでいきますね、と後輩ラッパーの脳波サンプリングしながらちょっと古めの電子音MIXしてVJとかかなり宇宙で、途中映像に映るiPhone画面割れてるしとてもぶっ飛んでいました。この人おかしい。途中へんな宇宙人とか出てきたけどそれには全く触れずに、音楽の話を演奏中に挟んできてどこで盛り上がったらいいかわからない。もう突っ込みどころをあますところなく披露して、かなり押して、あーおわったと思ってフロアの3分の2が外出たところでまた出てきて、「アンコールしてくれないの?もう聴きたくない?聴きたいならアンコールしてくれないと、出てこれないからさ、困っちゃうからさ」と言いながら残った人たちが爆笑して残り、アンコールへ突入。
このあたりでおいとましたけど、最後は一本締めだったらしいとの噂。

October 29, 2013

Taipei1310

社員旅行で台北に行った。

海外に出るのははじめてで、それまで石橋を叩き過ぎるきらいのある私はあえて自発的に外へ行こうともせずドメスティックに引きこもって過ごしていたわけだけど、母が亡くなってから、私の何かがちょっと変わったようで、行ってみようという気になったのだった。
行き先である台湾は母が行ったことのある唯一の海外でもあった。
とはいえ母が行ったのは結婚前だから、30年以上前の話になる。その頃の台湾とはまず違うとは思うけれど、なんとなく、この空気感を母も若い日に感じたのだと思う。

空港についてすぐに雰囲気が違っていて、窓から見えるのは煤けた西洋風とも東洋風ともいえない混沌とした建物たち。
同じアジアとはいえ明らかに顔立ちや表情や仕草が違う。日本人って一人で歩いてるだけでも愛想いいんだなと思う。

千と千尋の神隠しは宮崎アニメの中で一番好きなので、そのモデルになった九份と、あとはその地域のARTな場所には行ってみたかった。雑貨とかも見たい。というプランの練り方そのものが京都観光とまったく同じ。

というわけで、台北現代美術館。
超傳波-王福瑞聲音藝術展 HYPER TRANSMISSION
目当てで行った。ライブ映像も流れていたけど、ソフトな渋谷慶一郎というか、まあ見た目っていうかアー写的なものが似てるのもあるんだけど、一応音響系アーティストの王福瑞さんの展示。ちゃんと物理的なモノも作っている。うーん、真鍋大度的な感じだろうか。でもレーベルみたいなのもやってるぽい。
企画展もう一個はドイツ人の新進気鋭アーティスト展的な。ドイツ人かよ、と。でもいわゆるわけわかめな展示が心地よかったです。

そのあと、華山1914文創園区
日本統治時代の酒造所をリニューアル的な場所で、お洒落な若者とか子供連れとかで賑わっている。グッズや書籍を売っているブースには春樹の「色彩を持たない多崎つくる」の翻訳版とか、奈良美智とか、村上隆とか、吉田修一とか、日本のアート&文学シーンの影響がもろ、という感じ。ちなみに多崎つくるはこの後行った誠品信義書店というでかい本屋のランキングで1位だった。
グッズも半分くらい日本で見るやつ。ただし、日本のアートショップには必ず置いてあるひびのこづえハンカチは無かった。あれこつこつ買ってるんですわたし。
そこで出会ったひとたち↓



全体でのディナーの後の時間に、誠品信義書店
ビル全体がこの書店だけど、ショッピングもレストランも雑貨もある、複合施設。
台湾のお洒落な若者はでかい黒縁メガネをかけている。
ほぼ日手帳売ってる。LOFT並にコーナーある。


台湾に慣れた頃に一人でざくざく歩いてみたのだけど、久々に東京に出た時みたいな、ストレンジャー感とか、自分が物理的質量として一人分の人間として歩いているということをひりひりと感じるような感じがした。
でも何よりも、自分がこの国では完全にアウェー側の人間で、日本人というラベルが貼られているのだということが面白かった。し、それを意識する感じがとても概念的だと思った。
まあ台湾人に道聞かれたから思うほどラベルは目立っていなかったわけだけど、人から見れば台湾人にも見えるというのに自分自身ではラベルの存在を意識するっていう。

外国体験とは別に、台湾はいいところでした。
機会があればまた行きたいです。

October 16, 2013

笹井宏之とライゾマティクスと攻殻機動隊とあといろいろ

秋だからね、文章を書こうという気持ちになる。雑多にメモ。


最近、笹井宏之という人の「えーえんとくちから」という作品集(短歌である)を読んだ。
いくつかいいと思ったものを抜き出すと、

「この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい」

「拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません」

「このケーキ、ベルリンの壁入ってる?(うんスポンジにすこし)にし?(うん)」

「胃の中でくだもの死んでしまったら、人ってときに墓なんですね」

という感じ。
1ページに1~2行しかない150ページくらいの詩集で、読み返すのにとてもいい。
詩的であることと日常は近いのかもしれないと思う。
今日のごはんはイデア的なマグマよ、とか。
そして詩的であることと文学的であることは近接しているとも思う。単純に詩に親和性のある文学が好きなだけかもしれない。「手乗りかいつぶり」や「帽子」が歩きまわったり言葉をつぶやく、くたびれた世界が。




あと、展示を見に行ったものとしては初台のICCでやっている話題のライゾマティクス展
Perfumeの演出でかなりフィーチャーされていて、ほとんどPerfumeファンが来ていたと思うけど、盛況のようでした。inoも書いてたけど、一応想像通りの感じです。
既にグローバルサイト見てたし。まあ、超かっこいいんですけどね。
ICCオープンスペースの方も最近行っていなかったので、今回はevalaさん(と鈴木昭男さん)の無響室展示。1人ずつ10分の体験型なので、整理券先にもらってご飯食べてから行く感じでした。
「大きな耳をもったキツネ」
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2013/Openspace2013/Works/Otocyon_megalotis_j.html
これは本当にいい。無響室という特殊空間で、本当にここでしか味わわない感覚。閉所恐怖症の人や音に過敏な人は難しいか。
こんなに音は立体なのか、こんなに音って気配があるのか、こんなに耳は繊細だったのか、と感じいる。
他の、オープンリールのテープが4つ、ただゆっくり落ちて積もるのを見ていると1つずつ止まり、4つ全てが止まった次の瞬間に4つが同時に高速で巻きとりはじめるそのとき、早回しの狂ったような交響曲が巻きとっているテープで再生されるというやつもよかった。
この段落リンクだらけだー


あとは遅ればせながら最近攻殻機動隊見てますね。
やっとSAC2のSSSまで観たところです。あとはイノセンスとARISEですか。
攻殻機動隊は最高だな、と定期的にTwitterでpostしています。タチコマ胸熱とかそういう。

あとよかったものと気になるやつ箇条書き。
・川内倫子
・abさんご
・エレグラ
・EMAF Tokyo 
・LEVEL3
・魅せよ!
・吉岡徳仁@MOT
・うさぎスマッシュ
・スマブラ
・テトリス



October 12, 2013

3 years old

また久しぶりのpost。
母のこととかを書いてしまったためにその記事を見るのがつらくて自分で書いたのに足が遠のいてしまう。

なんだか誰の人生もそうなのか知らないけど、いろいろある。

先日、互いに面識のない人同士を引き合わせるという自分にしてはめずらしいことをやった。大学時代は何の考えも無しに友達とファミレスだのラウンジだのにいるとき他の友達を呼んで引き合わせるとかよくやっていたのだけど、それは単に私が面倒くさがりだっただけで、友人コミュニティを一元化したかっただけなんだろうと思う。
で、僕らも分別もついて年を取り、むしろ引き合わせることのほうが面倒くさくなっている昨今なのになぜそんな企画にのったのかというとよくわからなくて、まあでも面倒くささより興味の方が勝ったということなんだろうと思う。
しかし割と好きな人同士を会わせるとなると、それなりに緊張もしたりして。
結果的にはとても楽しかったし、大いに飲み、喋り、笑っている2人を添え物的立ち位置でにやにや見ていたような気がする。へんな達成感。

その場で、3年という期間の話がでて、 学校の大体の区切りは3年で終わるのと似て、3年ってひとつの変わり目だよね、という話になって。その場ではそこから話が発展したわけではないけど、私にはなんだか小さく引っかかっていた。
いや本当に、今まで、自分の3年前は今と違う場所にいるんだよなと、もうさすがに30という而立の年を迎えたのに安定して苔を生やし始めてもいい頃なのにでも3年たつ間には違う場所にいるんだよなと、思う。
3年前は2010年10月で、ニシカワ君とかろうじて出会ってはいるものの沖縄住まいだし勿論今の職場を知りもしない。
その3年前は2007年10月でこれはコンサルの就活中だな。さすがに中野新橋のゲストハウスに住み続けるのもどうかと思っている頃。
その3年前は2004年10月で院に入った年、無為に学部時代の知識の貯金だけを食いつぶしていた頃。このあたりでネトウヨ的な人にひっかかったりしていた(結果的には自分の中の比較軸ができてよかったと思う)。
で、これから3年後の2016年10月に何をしているのか、私には本当に想像できない。

よく就活の時に、10年後何をしていると思いますか、何をしていたいですか、と対策本とかに書いてあったけど、これが本当に全くわからなくて、本気で想像つかないし想像しなきゃとも思わない。
それが1年後ならなんとなくリアリティ持って何かしら言えるのかもしれないけど、3年後すら私は未だに見えない。もしかしたら見たくないのかもしれない。真っ白にしておきたいのかもしれない。
AOHARU YOUTH。
君に足りないのは覚悟だ、と言われた日のことを渋い気持ちと一緒に思い出す。

さてどうしようかな。

July 27, 2013

備忘録としての地球への礼儀

何かを考えていることはおもしろいことだ。
考えていないよりも人の目を引きやすいし、考えていることで安心もする。
それを人に話して感心されるのも気持ちの良い事だし、うまくいけば誰かに影響を与えられる。この世界で自分が誰かに影響を与える?それはすごいね。

例えがうまいのも、話が上手い人の特徴で、イエス・キリストはもちろん世界の多くの指導者はミニマルな的確な例えを用いて皆を説得する。
例えがうまいのは、本質を理解しているからだ。しかし、その例えは飾りなのだ。それはものごとをうまくまとめるツールなのだ。そういった飾り抜きにして、その本質が正しいのか、その本質は私にとって重要なのか、その本質は私の世界と親和性のあることなのか、それに呼応して生きようと思うのか、そういうのを検討しないと意味は無い。
感心することと納得することはまったく違う。

私はそういった、概念や真理を考える人間の所作が好きだ。 もがいている感じがするから。正常な感じがするから。
私自身そうなろうとしてきた過去があるし、今はこんなにそういった真理や概念やたとえ話や雰囲気に飢えている。枯渇している。それを与えられればぐんぐん吸い込んでしまう。引き込まれる。もがく者同士のシンパシイ。

でも、その一方で自分の中で培ってきたひとつの理解が主張する。

もうそういう話、いっぱいしたじゃん。
これからとか、成長とか、人生とか、生きるとか、力とか、向き不向きとか、価値とか、自分なりに考えたじゃん。
それで何かできたっけ。
でっかいこと考えたのにできないことばかりじゃなかったっけ。
考えるしかできないなんて、できないのと同じことだって、思わなかったっけ。
自分の無力さや、弱さを認めて、同じように別の人の無力さや弱さに寄り添おうって、思ったんじゃなかったっけ。

なのに首をもたげてくるプライド。私はわかっている。君はわかっていない。私は大人。君は子供。
ていうかお前が一番わかってないよ、と自分に言いたくなる。
人の数と同じだけある数の世界。価値観。
私たちは電車でも道でもこんなに近づいているのに、全く別の世界で生きている。 涙がでるほどの孤独。あなたの頭の中は誰にも侵害されない。そのかわり、誰とも共有できない。あなたは良くも悪くもひとりぼっちで。

信頼する人は少しでいい。1人でも見つかればついてる。ひとりぼっちがそうでなくなるわけだから。

汚れっちまったかなしみは 
たとえば地球がためこんだ化石燃料
それを燃やして飛んだとして
次はどこの星の引力にからめとられるのか
そこでまた違う形のストレスと憤懣をためて
飛ぶのだろうか
飛んだらえらいんだろうか


私は一人で芝生に立っていたい





July 26, 2013

おしなべて同じ

横浜に戻った。
一日のほぼ半分が仕事で構成される日常はあまりにもシステマティックで流れに乗っていて、その目の前にでてくる何かをやっつけているうちに一日が終わって、特に何も考えないままに眠りにつく。
労働力としてのわたし。

納得したと思っていたのに納得できていなかった自分もいる。

客観的に、私より大変なひとなんてたくさんいる。
でも私の人生を私の目線で見ててくれる人はもう私しかいない。
し、その人の人生をその人の目線で見られるのも多分その人しかいない。
答えを提示するのもされるのも違う。
すくうすくわれる、なんてない。
不平等にみえるけどほんとは平等。
価値をフラットに。



June 9, 2013

5月15日

母が、5月15日の未明に天国へ還っていった。

前に更新したのが5月12日だから、その3日後になる。永訣の朝の一節の通り、その頃母は氷を食べたがり、よく小さく砕いた氷をナースステーションに貰いに行っていた。その3週間前から、母は大学病院からホスピスに転院していた。

それまでもお昼前から夜まで家族交代で付き添っていたのだが、ホスピスに転院してからは、夜中も毎日交代で泊まり込み、水を飲ませたり、汗を拭いたり、氷枕を換えたりしていた。

更新をした次の日には40度以上の高熱が出て、いっこうに下がらず、話をすることはもちろん、水を飲んだり氷を食べたりすることもできなくなった。
呼吸は苦しそうになり、眠っているのか起きているのかわからず、40度以上の熱は下がらないのに手ばかり冷たかった。
14日の午後は祖母と母の兄妹、教会の牧師先生や親しかったお友達を呼んで会わせ、14日の晩は、家族全員で泊まることにした。

15日の、午前2時まで私が側にいて、汗を拭いたり加湿器の水を足したり、冷たい手を握ったりしていた。
父と交代して、部屋のソファで仮眠をとっていたときに、母が息をすることをやめた。
父に起こされ飛び起きて、別室の妹達を呼びに行った。
看護師さんを呼んだ。「まだ心臓は拍動しているから、声をかけてあげて」と言われた。
家族で泣きながら名前を呼んで、いろんな言葉でありがとうを伝えた。どうしても行かないでほしかった。でも、いままで本当に頑張ってそばに居てくれたのだと思うと、申し訳なくて、行かないでとは口にだせなかった。
結局、お母さんに何もしてあげられなかった、と思った。結果的に同じだったとしても、もっと何かできたはずだと思った。自らの怠慢と鈍感を許せない思いだった。

その後は本当に忙しくて、母の服を取りに家に戻り、看護師さんのサポートのもと、母に着替えと化粧をした。車の中でニシカワ君に連絡した。午後には来沖してくれて、すべてが終わるまで一緒にいてくれた。
ホスピスでお送りの式をやってもらい、葬儀場の安置室へ移動した。母はホスピスに転院する前から家に帰れていなかったから、家にも寄ってもらった。車の中から、家を見せるように車のドアを開けて、「家に帰ってきたよ」と話しかけた。


キリスト教式で、入棺式、前夜式、告別式、出棺式、火葬の前の式を行い、私はその式をひとつひとつ終えるごとに心が落ち着いていった。歌と祈りと牧師先生のメッセージ。聖書の言葉。慰められるというのはこういうことかと思った。
なんとなく、母は、私の怠慢を許してくれていると思った。
この世にいる間も、母は私や家族の気持ちのひとつひとつを全部わかっていた。いわんや天国においてをや。


忘れられない場面がたくさんある。

積極的治療ができないと告げられた時。少し震えながら気丈に先生に質問していた母。家族は先生が出て行ったあと皆泣いていたけれど、母だけが泣かなかった。

ホスピスに移る時。雨が降っていた。濡れたアスファルト。トヨタのバンの介護タクシーで車椅子ごと乗車した。付き添いの席には私が乗った。看護師さんたちが一緒に1階まで降りてきて見送っていた。

母の日をホスピスのベッドで祝った時。母のために前あきのワンピース型の寝間着を2着と、カーネーションの花束を買っていった。「今日なんの日かわかる?」という質問に、いぶかしげにしている母に、父が花束を見せたら、「ああ」と得心がいったような顔をしたから、みんな笑った。

金子みすずの詩集を読んであげた時。「やっぱりいいね」と母が言って、微笑んでいた。小学生が読むように、ゆっくり抑揚をつけて読んだ。自分がほめられたようで嬉しかった。



書いてるだけでかなしくて涙が出るけど、不思議と喪失感はない。ざわざわすることもない。ただ寂しい。
お母さんとのいろんな話を、表情を、情景を、ちゃんと覚えていたい。ちゃんと言葉にしていたい。
大丈夫。また会える。


May 12, 2013

天上のアイスクリーム

病床の母に、細かく砕いた氷を食べさせるために、ナースステーションに椀を持って氷をもらいに行く。(母はいま水と氷しか口にできない。)
そのときいつも、天からの一椀の雪を思う。

あめゆじゆとてちてけんじゃ

February 22, 2013

近況20130222

随分書いていないとは思ったけれど、昨年の10月から書いていないとは驚きです。

10月に書いた直後くらいに、母の癌の再発がわかり、その前に大阪とかでセカンドオピニオン等いろいろありつつ11月には休職して沖縄へ、その後ずっと沖縄にいる。
母の癌が難しいタイプのもので、抗癌剤が効かない可能性が高く云々という話で、とりあえずベストを尽くすということでまとまり、家族でサポートしている。

私にとって、だけではなく誰にとってもだと思うけれど、母親というのは唯一無二の存在で、母がいなくなってしまうと想像するだけで堪らなくなる。
幼い頃から本当に自分の本質を自分以上に観察してわかってくれて、いいところを大事に伸ばして潰されないようにいろんなものから守ってくれていたと思う。なのに私は不甲斐なくて、結局30になるまでの間、親孝行らしいことは何もできていなかった。
私はこの機会に、副作用で吐き気の強い間も何か食べられるように料理に工夫をしたり、病気のことや栄養についてネットで調べ物をしたり、マッサージをしたり、というようなことをしているわけだけど、それができて本当によかったと思っている。
この先を見通すことは出来ないけれど、とにかく人事を尽くして天命を待つというところで。

10月の再発からはじまって、私は不安や疲労で何度か泣いたけれど、結局いつも心が落ち着いている。それは母も同じで、キリスト教に依っているところが本当に大きい。
大雑把に言うと、祈る、進む、祈る、の繰り返しなのだけど、その間に直感に近いかたちで、違和感なり納得感なりが、心に去来するのを感じ取れる。信じるというのは、結局そういうものの積み重ねなんだろうと思う。心は正直だから、頭で「信じる」と決めたからといって信じきれるものではなくて、感じた違和感はどんどん大きくなっていってやがては「信じる」ことが難しくなっていく。
違和感を認めること。
一歩踏み出してみること。
わからなかったら尋ねること(答えは何らかのかたちで与えられる)。

今もたくさんの目に見える形での助けや励ましが、タイミングを見計らったかのように届く。たくさんのひとの優しさやいたわりを感じることができるし、それは神様からの贈り物だと思っている。
だから、私は、母自身が納得のいかない形で召されてしまうことはないだろうとなんとなく思っている。

最後に引用でも。

『もちろんぼくらは誰もが限りのある存在ですし、結局は敗れ去ります。でもアーネスト・ヘミングウェイが看破したように、ぼくらの人生は勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです』/村上春樹「かえるくん、東京を救う」