December 30, 2011

Why CAT

暮れ。散漫に。

・資源は限られているけれど、効率はある程度までその上限を押し上げる。
・大リーグ養成なべぶたGet
・多分、シェアできないものを上げることに抵抗があるのかもしれない。
・スープ王に、俺はなる
・今まで一度も現在であったことのない過去
・マルクス主義は十分にマルクス的であったか
・オダイバーゲン
・わかりにくさと芸術性は紙一重であり、それがどちらであるのかを審判できる目を審美眼というのであろう
・KIHACHIは攻めてる
・太宰の太宰性

で、明日帰省致します。実家へ。
毎年おおみそかに紅白を見ながら更新していたことを思い出しつつ、今年も書けるかしらと思っています。
ブログって、ウェブ・ログなのよねぇと思う。
なぜか成田から就航している飛行機で、いざ。

December 20, 2011

熱いお茶が必要だ

行き詰まる時、無常観を覚える時というのはいつだって視点がマクロな時で、そりゃマクロな方が見えてる範囲が大きい(見えていなくとも見る準備はしている)わけだから、安全といえば安全で、ちまちまやってたことはばからしいし、そういう見方はぜんたい楽だ。
それは割と物理的な感覚で、たとえばGoogle mapなりGoogle Earthなりでぐんぐん遠ざかって、そうして地球の全体が見えるときなんか、ストリートビューを見ているときと全然気分が違う。一瞬前の気分。
安心。安全。達観。俯瞰。余裕。
しかしながら、我々は実に実に、物理的かつ実在的な存在である。まさに等身大との言葉通り一定の大きさの物体にはめこまれており、そういうものである以上物質界の法則に従わねばならぬ。拘束。いつまでもマクロな気分ではいられない。仕事はしなければならず、混んだ電車にも果敢に乗り込み、身を切る寒さの中にも飛び出さねばならぬ。電話をとり、キーを叩き、ダンボールを抱え、そこにもなぜか楽しみを見出す。ああ、そういうふうにできている。これが被造物ということかしらなどと思う。

空はどこまでいってもぶつからなくて、宇宙は人の手の(ないしは目の)届かないところが果てで、しかし逆にミクロにミクロに小さい世界もまた人の目の届かないところが果てなのかもしれず、そうしてそこは奇妙にリンクしているのかもしれなくて、端っこと端っこが認識できない線は終わっているのかいないのかわからなくて、それは時間だってそうかもしれないし色だってそうかもしれないし気持ちだってそうかもしれない。

かつて一度も「今」であったことのない過去。というフレーズがひっかかっていて、内田樹が懇切丁寧に書いてくれたレヴィナスを読もうとしている。内田樹はとても親切だ。どんどん稼いでほしい。

書いていてうんざりするほどのこの当たり前で同語反復で浅薄な文章を、いつしか誰かにひっかかる文章にできるかしらと思う。
価値。

俯瞰で生きるのは楽だ。いつもそんなスタンスでいれば、多少のいやなことは吹いて飛ばせる。でも俯瞰で人間は見えない。いつもそこには一人で行かなくてはならない。

December 7, 2011

Diorama

近況でも。
この間、すーん、としたくて出かけた。

行き先は東京都内である必要があった。その感じは東京にしかないものだったからだ。
しかし、そこは混んでいない必要があった。すーんという感じはとても微かなものなので、ノイズをキャンセルしなければならないからである。

そうやって台場を選び、ひとりで歩くのが常だったけれど、その日は台場に行くのは違う気がした。
台場は本当にゆうれいの気分になれる場所だけど、もう少し目的がほしかった。地に足をつけたい気分だった。


まあそういうわけで、初台。オペラシティ。ICC。まあそうなる。
ちなみにもう一箇所の候補は天王洲アイルだったが、これも散策目的ならよいけれど目的となりうるものはあまりない。

ICCにはいつだってマシュマロスコープがあるし、いつだってジャグラーがある。ていうかもういいよあれらは。
時間が遅かったので、渋谷慶一郎+evalaは入れなかったけれど、変わっている展示をうろうろした。特設は「三上晴子 欲望のコード」。ふむ。

しかし、もう一回クワクボリョウタのやつ見たい。と思ったら動画があったのでシェア。小さい電車が頭に光源を乗せて走っていく展示。



クワクボリョウタ The Tenth Sentiment / 10番目の感傷(点・線・面)





と、奥で聞きなれた曲。やくしまる。渋谷慶一郎にやくしまるって、もうそういう空間。展示自体はロボットアームが音楽に合わせて自分で光を出してPVをつくるというもので、そんなに感動はしない。


隣のアートショップで、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」と「文章読本」を買って、Powershovel AudioというレーベルのCDを買った。音響系。
Diorama/Machinefabriek
まずジャケットがいいと思い、アルバム名を見て買うべきだと思いました。Dioramic!Dramatic! 実際いい。
Shuta Hasunumaもここで出会ったので、このお店のチョイスとここに来た時の自分を信用しつつある。

帰りにコンサートホールを横目に見、つめたい空気で胸をいっぱいにしながら、今度はオーケストラ聴きたいなあと思った。

そういう土日を糧に平日をやりくりしています。

リンク

リンク紹介を更新しました。

November 22, 2011

まるとおんがく

ウーハンの女を聴きながらブログでも更新しようか。
ウーハンって武漢なのな。最近中国語やってます。中国語の先生の発音かわいいです。あるです、って言います。

今一番見るべきテレビ番組は、NHK教育の「2355」と「デザインあ」なのは皆様におかれましても周知の通りと存じますが、「デザインあ」の「まるとしかく」という歌がとてもよくて。

自然のもので、直線がないという話はよく聞くけれど、まるとしかくを比較すると断然、まるってすごいなと思う。ひっかかりがありません。
かたちとしてとても美しく完成されていて一番バランスがいい。まあ星がことごとくまるいのもその証左。シャボン玉然り。水滴然り。


で、ぼんやり、まるとしかく、って思ってて、なんで「まる」は、コレクトの意味をもってるんだろうなと。
なんで「さんかく」や「バツ」や「しかく」ではなく、「まる」なんだろう。
そしてなんで、文章の締めは「まる」なんだろう。
しかし、脱線するけど、日本語の「まる」っていうのはほんとあの○ってかたちをよく捉えた単語で日本語のセンスほんと素晴らしいなと日本人の私は思います。サークルじゃないよ、まるだよあれは。

まず前者の疑問ですけど、コレクトの意味がなぜ「まる」という記号によって表されるか。
おそらく、まるというかたちがそれを保護するようにみえる、またはそれを遮らないようにみえる、ということなのじゃないかしら。逆に「バツ」はそれを遮り、切り捨てているように見える。だから、あってるよ、その答えを大事にしてね、という意味でコレクトの意味はまるが担っている。多分。

で、後者の疑問、文章の最後はなぜ「まる」か。
やっぱり、「まる」って完成形なんだと思うんですよね。完結。どこにもいけない感じ。
まあ黒い点でもいいんだけど、あの、欧米の、ピリオドっていうやつ、あれだと、汚れかなー?って思っちゃうもんね。だからわざわざその次の文頭を大文字にして、そこで終わってるよ!って強調しないといけないんだよね。(あの作法は特に意味がある気がしない。)

なんだか妹みたいなエントリになってきた。

最近の音楽状況は、
・ソニーくんからいつかもらったTycho新譜出ました
・Efterklang
・坂本慎太郎(ゆら帝の人)新譜
・ASA-CHANG&巡礼
・lycoriscoris(moph)のアルバム・・・聴きやすいノイズ系。Shuta Hasunumaより聴きやすい。

気になっているのはAudi A1のCMとその曲。

曲は Lobegrinder/Boreta とのこと。

November 3, 2011

flatspin

先日おーん宅人さんことちあこさん、とお会いした。

とても落ち着いていてやわらかくてしっとりした知的な話し方をする方で。
笑顔がきらきらしていた。お姉さんのはずなのに私の方がどぎまぎしていたような。
緑色のサイトの時に、LARKがあったから、実は結構ロックというか、ハスキーな感じの雰囲気を想像していた。
というか、もしかしたら中身はロックでハスキーなのかもしれないけれど、しっとりしてるところが大人だなーと思ったり。うっとりするような声です。

Web上での知り合いと会うことに、いくら私とはいえある程度のハードルはあるのだけれど、年々それがフラットになってきたような気がする。学校の友だち、会社の人、地元の人、Webの人、みたいな一つの括りではあれど、それらの間の差異は別に無いというか。どの括りでも、そこでの顔ってちょっとずつ違うと思うのだ、そこでのポジションってあるし。そういうのを他のコミュニティの人に見られるのがちょっとはずかしいのはどれも同じで。もし顔が見えてないっていう違いがあるなら、会っちゃえば解消されてしまうわけで。

そうやってどんどんフラットになって、重力も無くなって、どっちが上か下かわかんなくなればいい。
あ、Twitterにつぶやこ。

この土日、本棚が来て、やっとダンボールから諸々の本を詰め込んでいたのだけれど、旦那さんの買った「思想地図β」の冒頭で、東浩紀が書いていた。
これだけの格差社会になってなお「新しい連帯」を創りだすということが、ネットカルチャーでできるのではないか、できつつあるのではないか、という思想、試み。
ただ、彼はこの震災が、現実の格差というものを見せつけ、我々を再びばらばらにしてしまった、又は既にばらばらであったことを震災が明らかにしてしまったと語る。逃げることができる人とできない人。

Webとはいえ広い海で。荒波のところもあれば澄んで凪いだ場所もあるし、あたたかくて暮らしやすい場所もあれば寒くて荒んだところもあろう。縄張りみたいなものもあるかもしれない。ネットに絡み取られるのを振りきって泳ぎ出す人もいよう。

Web上のすべての場所が呼吸のしやすい場所だとは言わないけれど。
それでも私たちをフラットに無重力に、その気になればどんどんふわふわ飛びまわれる気分にさせてくれる。少なくとも物理的なこのフィールドよりは。

私はそのフラットさを良しとしたい。
人間ひとりひとり、その人をまっすぐ見て、大切にする土壌。

November 1, 2011

0

「2001年宇宙の旅」を観た。

一度後半部分だけ観ていたのだけれど、途中のすっ飛び方がすごくて別の映画の記憶だと思っていた。
まあとにかく衝撃的で、あらゆる場面で何かを連想するのは、逆にこれを起点にしていろんな作品へあちらこちらでふくらんでいったということなんだろう。
シュルレアリスムであり、オールドファッションであり、新しく、普遍であり、アンビエントであり、クラシックであり、光であり、有であった。
リヒャルト・シュトラウスであり、ドナウであった。

そうして連綿と続く人類の、というか世界の様子を見ていて、つながっているという法則についてふと思った。

私たちは、経験的に、無から有は生まれないと思っている。
何かすごいものがあったら、何から作られているのだろうと考える。元々はどうだったのか、どう加工してこれができたのか。
私達もぽっと出たわけではなくて、別の人間からつながっていろんな加工をされて今ここにある。そういうの、結構忘れているけれど。

よく宇宙の起源という話になって、ビッグバンとかなんとかで誕生したよ、って言うけれど、そもそも最初は無だったっていうアイディアはどこから来るのだろう。というか、そういう批判なしにこのアイディアは割とすんなり容認されているように思う。
無は、実際にはイメージできない。というか、有しか認識できず、有という状態と相対して無があるというような観念が生まれるわけで、本当の無というのを体験はおろか想像もできないはずなのに、一番はじめは無だったのだ、と思うのは何故だろう。


そして、仏教や他の宗教でも、無へ向かうのはなんなんだろう。頭をからっぽにする、とか、無我の境地に達するとか。そしてそれは起源に戻るという意味を持つ気がする。
座標軸でも起点は0だしな。

0を中心にすると収まりがいいのかもしれない。
プラスとマイナス、陰と陽、ネガティブとポジティブ、オフェンシブとディフェンシブ、両極があり、けれど「両極」とは言うもののそれに限界はなくて、いくらでも振れ幅が大きくなってしまう。膨張してしまう。
つまり、ニュートラルな意味としての0。

そしたら、宇宙の反対の極に別の同じだけの宇宙があるのかもしれない。宇宙と呼びうるのかどうかは知らないけれど。∞こういう形っていうもんね、宇宙。

それにしても、始まりが無であるというアイディア。
この世界は、経験則で動いている。いつか新書に「99%は仮説」みたいな本があったけれど。
物から手を離したら下に落ちる、とか、物体を早く動かすと空気抵抗が生まれて浮力が生じる、とか。これは、「なんでそうなるか」ということではなくて、「そういうもんだから」という理由しかない。引力があるから、地球の核に質量の大きいものがあるから、とかいう理由はあれど、なぜ質量が大きいと重力が生じるのか、とか、つきつめていけば「そういうもんだから」としか言いようがないし、それ以上言う必要もそんなにない。

なぜ私はここに在るのか、とか、そういった話もまた同じで。
なぜ今此処にこの細胞の集合体であるところの私が存在するのか、どのような法則でここにこうして組織化されて一個体としての活動を営めているのか。
詳しいやり方は知らないけれど、なんかお腹すいたら食べて、眠くなったら寝て、起きてる時は動いてたら、何年間もこの細胞の集合体を維持できたなぁ、そういうもんなんだなぁ、っていう。

宮沢賢治が、「疾中」という詩の中でこう書いている。

-----------------
われやがて死なん
  今日又は明日
あたらしくまたわれとは何かを考へる
われとは畢竟法則の外の何でもない
  からだは骨や血や肉や
  それらは結局さまざまの分子で
  幾十種かの原子の結合
  原子は結局真空の一体
  外界もまたしかり
われわが身と外界とをしかく感じ
これらの物質諸種に働く
その法則をわれと云ふ
われ死して真空に帰するや
ふたゝびわれと感ずるや
ともにそこにあるのは一の法則のみ
-----------------

法則というものが確かにあるのである。それを経験によって知った場合に経験則というのである。

伊坂幸太郎の「陽気なギャングが地球を回す」では、登場人物の息子が自閉症で、それについて語られるシーンがちょいちょいある。
曰く、その子(タカシ君という)は、法則をうまく理解できないのだ、と。それで、人が覚えないような数字とか犬の種類とか、そういうものだけを抽出し、その中から法則をなんとか見つけて安心しようとしているのではないかと。

ふうん、と思う。

また散らかして。

October 19, 2011

風の歌を聴け

Web上でお祝いの言葉をいくつかいただきまして、ありがとうございました。

わたしが把握してるのは、ともさんとこと、おーん宅人さんとこと、オコメ富士さんとこ(ええ、見ておりました)ですが、なんだかやっぱり、あん神ネットワークに属してるなあという気がとてもします。無論、実際そうなのです。

ニシカワさんと交流とまではいかずとも、少なくともつながっていられたのはともさんのとこのおかげだし、何よりWeb友達の中で最初に結婚おめでとうメールをくれたのはともさんだったのです。ありがとう。


私はいつか、Web上の人々とのことを、

「絶妙な距離にいて、それがくっつきも離れもせずそのまま保たれている状態。
会いたいときに会えるわけでもなく、すごく親しかったことがあるわけでもなく、干渉もせずに、しかし疎遠なのではなく、ただその存在を向こう岸に感じ取るだけのような間柄。」

と書いたことがある。

本当にそうで、会ったこともなかったり、会ったことはあっても数回だったり、文章だけを、そのブログやサイトの場所だけを頼りに、感じ取るだけの。
でもそこにはいつもみんながいた。顔の見えない、でも物理的な顔は見えないけど、文章の顔が見える、人たち。いつものサイトと、いつもの言葉たち。

そういう場所が日常生活を営む傍らにパラレルに存在するということが、私にはとても居心地が良かったし、そういう世界を持たずに生きるのは正直しんどかった。私はそこで息つぎをしていた。

改めて、インターネットは心の世界、という某名言が身にしみるわけです。

「僕は、君たちを、愛している」


よーし、そろそろ普通に書くよー。

October 6, 2011

報告

いたってシンプルに、自然に、丁寧に、ニシカワヒロシさんと結婚いたしました。

思えばmagoshinさんのサイトを見つけてから早7年、一度も顔を合わせずただ文章を読み。
ほのかに好ましい何か、それは音楽の趣向だったり、物事に対するあたりのやわらかさであったり、そういったものを感じてはいたのですが、なぜか会うことはなく、それで「かちっ」とはまることはないまま。

いろいろなところを通って、曲がったり鍛えられたりして形造られて、本当に会ったときにはちゃんと「かちっ」とはまったような気がします。Fit。


結婚式はまさに祝祭的で、入念な準備、のようでいて結構穴もありつつ周りのサポートに大いに助けられながら、やりたいようなものをやることができたと思っています。

祝祭の後のさみしさは、秋の到来と同時で、急に景色が違って見えて、いつものマンション群や歩道橋や街灯が、いつもの大きさや質感と異なるように見えました。比喩ではなく、体感として。
それまで来てくれて一緒にいた家族がそれぞれの場所へ帰っていったのは大きかったような気がします。歩き出した、そういう感じがしました。


安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ


というのは、くるりの「ばらの花」という曲の歌詞で、この曲のリミックス(先日旅立ったrei harakamiによるもの)は、結婚式の退場の時に選んだ曲でした。

あたたかく、のびやかに、ゆったりと、ひかりを浴びて暮らしていこうと思います。

まずはご報告まで。

September 11, 2011

原っぱに神様

気がつけばニヶ月更新無しであった。
何かとタフな2ヶ月でした。

ついったーなりFBなりで近況などは少しずつ書いていたものの。

一つ大きかったのは、レイ・ハラカミの逝去であった。
これまで有名人の誰かが死んで泣いたことなど無かったのに、ハラカミおじさんの逝去はこたえた。彼の音楽がやさしすぎて、なつかしすぎて、素直に泣けてしまった。ハラカミおじさんのつくる音が好きだった。とても。

最初に聴いたのは、くるりの「ばらの花」リミックス。これは「ワールズエンド・スーパーノヴァ」のB面に収録されていて、くるりもハラカミおじさんも初めて聴いたというごく個人的にエポックメイキングな一枚なのだけど、あたたかな電子音があることを初めて知った曲で。
以下は聴きながらどうぞ。


その後何かの拍子で出かけた未来館のドームシアターガイア、プラネタリウムプログラムの「暗やみの色」が、ハラカミおじさんの曲に触れた二度目の体験で、ああこれは宇宙の音だったのかと思った。
聴いてるだけでわだかまりが溶けて小さくなっていくような、かなしいようなあたたかいような、独りだけど、独りじゃないような、なんかもう全部わかっちゃったような音楽だと思った。
Ustなんかでゆるーい番組を一度だけやって、タブラ奏者のユザーンとのやりとりが面白くて。
これからもたくさん音を作って、誰かの音と絡ませて、たくさんの心を喜ばせるのだと思っていた。

二度と流さないはずだったUstが流れた。未来館ではハラカミおじさんを偲んで「暗やみの色」再上映が9月の間中行われることになった。それで、観に行った。
原田郁子の朗読に、ハラカミおじさんの音に、谷川俊太郎の詩という。
もう諳んじることができそうなくらい、その詩を聴いていたけれど(CDを持っているので)、ハラカミおじさんの逝去にあたってこの詩を聴いていたら涙が出てきた。



  『闇は光の母』    作・谷川俊太郎

  闇がなければ光はなかった
  闇は光の母

  光がなければ眼はなかった
  眼は光の子ども

  眼に見えるものが隠している
  眼に見えぬもの

  人間は母の胎内の闇から生まれ
  ふるさとの闇へと帰ってゆく

  つかの間の光によって
  世界の限りない美しさを知り

  こころとからだにひそむ宇宙を
  眼が休む夜に夢見る

  いつ始まったのか私たちは
  誰が始めたのかすべてを

  その謎に迫ろうとして眼は
  見えぬものを見るすべてを探る

  ダークマター
  眼に見えず耳に聞こえず

  しかもずっしりと伝わってくる
  重々しい気配のようなもの

  そこから今もなお
  生まれ続けているものがある

  闇は無ではない
  闇は私たちを愛している

  光を孕み光を育む闇の
  その愛を恐れてはならない


つかの間の光のなかに、おそらくは闇の中から掴みとったあたたかな音を広げてくれ、そうして闇の元へ還っていったのかしらと。
かなしいというより、さびしい。
この音を作った人が、この音の中へ入り込んでしまって戻ってこなくなった。でもその音を聞けばその人を感じられる。この音がもっと特別になった。
そういう感じ。

泣くのに理由など無いのだ。空の雲を見ていても、風に吹かれていても、泣くことはある。そういう自分の感性を無視しなくたっていい。きっと根源的に、プリミティブな部分で反応しているだけなのだと思う。
泣こうとする必要も、また無い。

July 9, 2011

某都民

久々に、もうほぼ更新されてないと思って行っていなかったところのリンクを誤ってクリックしてしまい、そしたらあら、久々に見たら更新されていた。
うちみたいだけど。

私が多大なる影響を受けたブログ、「いけいけどんどん」である。
もうほんと、この人の思考の飛躍がつらつらと綴られる文章にはグッとくる。ひらりひらり。
ああ、こんな文章を書ける人がいるんだなあ、よかったなあ、と思う。

この手の文章は小説では読めない。新書でもない。つまり本では読めない。近いのはエッセイや評論だけれど、それでも体裁を整えてしまうのが商品。
テーマやストーリーの縛りが、その生きた思考をそのままに読み手には伝えてくれない。作りこまれたものも勿論素敵だけれど、いわゆる即興に溢れた、落としどころの特に決まっていない、まったく自由な、生の、有機的な、言葉たち。
わくわくする。ぼんやり思ったことがどんどんつながってその人の中にしか無い思考回路でふくらんでいく様。

例えば私の中の「有機的な」という言い回しは、どうしても会社法の時間にやった「事業」の意味ででてくる「有機的一体としての財産」から来ている。あと、江國香織の「海」の認識であるところの「有機的なにごり水」。
だから、私が「有機的に」とつかうときは、会社と海がイメージされている。
そんなの読み手には全くわからない。それを開示することもない。でもそういうのを整えず、赴くままに言い訳もせずにどんどんつなげていくのを見るのが、楽しい。まあ、私は。
そんなわけで、久々の原田氏節
「議論のセクシーさ」

色気は大事である。
私はいつか友人に、職務経歴書をレビューしてもらった際、「いいんだけどさ、色気がないね」と言われたことがある。ほんと、大人ってうまいこというわ。

July 7, 2011

書くということ

文章を書くということに飢えるという時期は確かにある。
その時はなにがなんでも書かなくては気がすまず、書くことがないときでさえ書くことがないということを書くのである。

その一方で、書くことに着地できない時というのもある。
そうだ、書くことはある意味着地なのだ。
でも、着地しないでいたい時もある。

書かなければ忘れてしまいそうなこと、しかし書いておき自分の軸に取り入れたいことを書き続けることによって、というかそういう行為それ自体を反復しているうちに、なんだかそういったことが身についてしまった。
身についたというのは、書いていることそのものというよりは書けなかったことも含め、行為とか時間とか思考することそれ自体とかが、血となり肉となったという感じ。だから、特に書かなくてもよくなってしまったのかもしれない。
同時に、あまり読まなくなった。読んでいるのは安吾の堕落論ばかり。

次のフェーズと言ってもいいのかもしれない。けれど、フェーズと言ってしまうことが今の自分にはしっくりこない。反発がある。反発があるようである。感情というより現象として。
名付けるということ、括るということ、軸で切るということ、それらが。今までそうやって世界をなんとかかんとか理解しようとしていたのに。発見をしては楽しくてそれを書きつけていたのに。

全てを放しておきたい、そうすることが自分を自由にするということな気がしている。

でも文章が好きなことに変わりはなくて。読んでいたいし書いていたい。それがアイデンティティのような気もしている。

July 6, 2011

近況など

今日はじめて、刀削麺というものを食した。
刀で削いだ麺である。はじめてなのに一人だったからきゃっきゃできなかったけど、すぐ前の卓に中国人、じょんぐおれん達がいたので、ちょっとときめいた。本場みたいじゃないか。どうして中国の人は坊主が伸びたみたいな髪型をしているのかしらと思いながら、パクチーと一緒に刀削麺をほおばった。
まあそんな感じですね、最近は。
晴れて試用期間が終了し正社員となり、まあ仕事内容などは変わらず、少しずつ別の範囲にもお呼ばれしつつルーティン。


先程テレビで、器の大きい、ということについて言っていた。
あなたは食事へ行ったときにメニューをすぐ決められますか、という質問で。
心理学者の人が、アメリカでいうキャパシティというのは、あることを決めずにずっと考えていられることなのだと言った。
だから即断即決したがるのは器が小さいと。即断即決をしたがる人は往々にして人にもそれを求めると。
だから決められないというのは、それを保留にしておける余裕がある人なのだという意味で器が大きいとか。まあ食事はあんまり関係ないと思うけど。

アメリカでは、というその話を鵜呑みにするとアメリカっていうのはほんとにわかりやすいなあと思う。日本では、たとえば「器が大きい」っていうのはこういうことだ、というのはすごくばくっとしている。それを決め打ちするというのはあんまりしない。どの単語に関してもそうな気がする。
九鬼周造という人が「いき」の構造という本を書いているけれど、それは「いき」つまり粋というのを詰めて分析し言葉を尽くし感覚に訴えなんとか一つの本で総体を捉えようとしたものである。3つの要素を挙げ、それについて説明を施し、できるだけその言葉の持つ空気を写し取ろうとしたものである。それでも一冊本書けちゃうのである。
端的な、というのを嫌うような気がする。それはつまり、取りこぼすのを嫌う、固まるのを嫌う、ということなのではないか、と思う。

誰かと何か仕事をしようとすれば、それは言葉をツールとして使わなければならないわけで、そのときには確定的に決めないと意思疎通をいう用をなさないわけだから、そりゃあちゃんと決めた方が効率はいいと思う。
けど日常的に、決めなければならないというのは、嫌がるような気がするのである。それこそ無粋というか。ばくっとしとけば対応できるじゃない、というような。
法律だって解釈でいろいろやるもんな。アメリカは判例でばしばしケースを要素化して決めていくけれど。

日本人は四角四面なんてイメージが少しあったりするけれど、全然フレキシブルだと思うよ。フレキシブルすぎて読めないのかもしれないよ。

全てを決める必要はないそしてどのみちそんなことできない

決めずに置いておくのはキャパシティが広いってことらしいし、いいんじゃないでしょうか。
しかしゆるいな。ぬるくゆるびもてゆけば、わろし。ってぬるいしゆるいし、って思ってた中学生の頃。

June 10, 2011

つつがなく

つつがなく日々は過ぎてゆきます。ただ、いっさいは。

新しい環境で、新しい生活で、周りにいる人は全て今までと違っていて、それでもまったく断絶を感じないのはやっぱりソーシャルなネットワークがワールドワイドで広がってくれているからであり、バングラにいる友人だって、京都にいる妹だって、東京にいる同期たちだって、フラットな世界に、オンタイムでコミュニケートできるこの世界。

流れに身をまかせるということに疑問を抱かず、でも任せているということは意識していて、それがなんだかメタで、「メタって何?」「メタって何って何?」っていうツイートを思い出し、出勤の時や一人お昼の時にはタワレコでめっちゃPushされているJames Blakeを聴き、俯瞰の視点を主体としての視点と併存させながら。曇の日のオープンカフェや、きっと夜の台場に合う。


この間、高校の友人に会った、9年ぶりくらいに。
あたりまえだけど大人になっていて、あたりまえだけど変わらなかった。
何もかもあたりまえだと片付けることの違和感を感じては巡り巡ってここまできたなー。
ロジックなんて全然正確ではないし、正確であることに意味なんて無い。意味の意味を議論することの意味もまた無い。でも、意味があると思うことにだって意味がある。
今、「意味」と「価値」を置き換えても大丈夫な気がして、意味と価値は等価なのかと、同義なのかと、これもまたループだ。全部つながってんだ。

友人は元気で、美味しいお店をいっぱい知っていて、違う世界の住人のようで、でも通じ合える何かも感じた。よかった。


最近、松本大洋の「日本の兄弟」という短編集を買った。あの人はほんとに。初期の作品なのか、ロック風味が強い。
世界が計り知れなくて、訳がわからなくて、雲をつかもうとしているってことがメタな視点でわかっている人をartな人と呼ぶのならば。松本大洋然り、ゆら帝然り。はて人間は?
ピンポンも、鉄コンも、名作だった。鉄コンに関しては、もうほとんど完璧に映像化していて、マイケル・アリアスの作品へのシンクロに感心しきりなので、見たほうがいいと思う。あと、読むのも良いと思う。アニメのくせに結構バイオレンスだけど。

松本大洋の絵は、瞬間瞬間を印象的に切り取っている。単なる絵なのではなく、映像の中で効果的に静止する画面、のイメージ。動的なもののはずなのに、何故かその時だけ時間が止まる、というような。
漫画を読んでいるのに、映画を観ているような。
それは映像にしてしまうと、生きないところではある。

で、アジカン聴いちゃっている今。アジカンは、いつ聴いてもどの曲聴いても青春の音がする。青春ってこんな音だったんだなあと思う。それもすごいし、いつまでも青春の曲をつくれるのもすごい。

まとまんないけど、自分の文章なんてこんなもんだな、多分。

May 29, 2011

散文

入梅。
雨はきらいだが好きで、好きだがきらいだなと思う。
雨でないとない風景や感覚というのは確かにあるのだし、そういうのは自分と世界がひとつづきなのだということを体感できていい。雨の日に頭が痛くなったり肌がぺたぺたしたりするのは自分が自然の一部なのだと感じるとかそういうのとともに、メンタルの部分でもまた呼応するのが。

前も書いたかもしれないけれど、今は横浜に住んでいる。
東京在住の頃は横浜は桜木町とラー博しか知らなかったから、特に自分に合っているとは思っていなかったけれど、住んでみるといろいろな魅力のある都市で。
東京の雰囲気を持った部分もあり、それでいて浮世離れした場所があり、異国の雰囲気をもった港町でもある。行ったことがある場所で無理していうなれば東京と軽井沢と長崎と、が混在している。逆に京都や大阪や栃木や沖縄的要素はあまり見当たらない。
ただいえるのは、人生や生活というものを中心に据えて大切にしている感じがすごくする。
プライド、競争、伝統、なげやりさ、そういうのから遠い。
素敵なカフェがたくさんある。

ヒットはやはり大さん橋か。
http://bit.ly/la0q2v

この近くにある日本大通りらへんもきれい。仕事で行くのでそのたび癒される。
http://bit.ly/ld6N6m
前の会社のとき有楽町乗り換えで皇居の緑に癒されてたのと同じだな。


F1見てない。というかスカパー入ってないと、もしくは録画できないと、働いてて見るのは難しい。
しかし時代はもうベッテルだな。明日モナコ。
F1見てて困るのは、毎年選手があっちゃこっちゃ移籍するのと、毎年チームが参入したり撤退したり合併したりすること。もはやマクラーレンメルセデスは無いし、ホンダもトヨタも無いし、ブラウンGPも無い。ロータスとかある。単体で。ややこしや。

文章の書き方を忘れてリハビリテーション。
140字以内のついったーで2,30字しか書いてないけどほんと君山頭火?放哉?っていう自由詩の分野を開拓しつつある。わけもなく。

May 12, 2011

近況

横浜の5連勝には驚かざるをえないわけだが、別に嫌なわけではない。巨人を負かしたとしても勿論。
むしろうれしい。横浜の監督が尾花だから(巨人の元ピッチングコーチ)とか、細山田(早稲田出身)がいるとか、まあそういうのはあるけれど、いやーいいね。


言葉が孤独から出てくるものだというのはわかっていたけれど。
孤独であることを埋めるように、バランスを取るために言葉を紡ぎ、繰り出していく。その糸を巻き取ることもせず、ただ並べていたのがこのブログやその前のものやいろいろなわけである。そうして、私はこういったweb上のスペース以外でこういう散文を書くことがないことを考え合わせると、なおのこと孤独であることとのバランスのためにここに書いていたのだということを思う。ひとつは。
誰かと完全に分かり合いたいのにできないフラストレーションは大人になると諦念になり、それをしかし押し殺すことはできずにここで自分をつむぐのである。もしかしたら断片でも共感する人がいてくれるかもしれないと。

そんなフラストレーションも今や。

今起きていることを分析するのは私のくせだったのに、今や混沌の中で自分の空間を確保できていればよしとするようになった。混沌の中に身を置き、混沌を混沌のまま受け容れること、整理しようとしたり分析しようとしたりせずにもやもや浮かぶこと。そういうのを今無意識にやっているところは子どもに戻ったみたいだなと思う。無為。

こうして記録をつけないのはつまり記録に空白をつくることで、それはいつかの自分にとっては勿体無いことに映るだろうし、何があったのかもどかしく思うかもしれないが、いつかの自分と共有することすら忘れていた。
そういった意味で、書かないということは、自由であるかもしれない。
まあ自分のことだから、分かってくれるんじゃないかしら。

April 24, 2011

WORK

ご無沙汰しております。

4月から横浜で事務の仕事をしています。
そういうわけで、なかなかブログを更新するというところまで手が回らない感じで。
新しい職場は出来る人ばっかりで、就業時間中ものすごく働いて定時でサクっと帰っていく、会社的にはすごくコスパいいんじゃないかなという人達。
やb超クール。

で、事務方ということも手伝ってか、主婦が多い。仕事に全てをかけていない感じがする。家に帰ったらやることがあって、大切なものもあって、この仕事が生きがいというわけではない、みたいな。仕事に生き方を規定されていないというか。とてもさっぱりしている。大人だなーと思う。お昼で出る話も、仕事のことより家庭の話。


飲食店バイトをやっていた時も思っていたけれど、いわゆる上流の高給取りではない、事務方や接客というか末端や現場の人達の中には、すごく有能な人というのが驚くほどいると思う。特にスピードや的確さが必要とされる部門で。
なんでそんな大量のもの一気に捌けてるの、とか、なんで同時に10個のテーブルの注文コースとその進み具合把握してるの、とか。

上部の方で経営とはなんぞや、戦略がどうだ、というのも勿論必要だし大事な仕事なのだけれど、結局それを形にするのは現場だし、顧客と接するのもその人達で。一番その会社とかお店への評価を左右してるのは現場の人達だよなあと思う。そういうのについて、どっちの仕事がすごいとか、どっちの仕事をやっているから偉いとかいうのはものすごくナンセンスだよなあと改めて思う次第。寧ろ薄給なのに現場でサクサクやってる人のほうが良心的だなとすら思う。
いや、でも上流の方の仕事はメンタルの部分を仕事に差し出している気もするので大変だよねと思ったり。
ほんと、一概には言えない。


「何者でもない」というのは、ある時点では心もとないことだった。情けないことだった。
けど、ある時点からそれは「自由」になった。
今みたいに会社に属してからも、やはり自分の意識の中では「何者でもない」んだろうと思う。ひとりの人間。一個のたましい。その範囲でやれることをやりたい。


でもあえて、「何者かである」ことを選択した人達も知っている。
社会的な何か事を成そうとするなら、その名を担保にしなければならない。のかもしれない。
何者かになるというのはそういうことであろうと思う。

March 31, 2011

近況

・沈黙することを許されていないこと
沈黙することを許されていないというのはすごくしんどいことだなあと思う。ほぼ日なんかを見てると本当にそう思う。もちろん糸井さん自らそういう風にしたのではあるけれど。
しゃべりたい時にしゃべれるのはいいし、それをたくさんの人に読んでもらって影響を与えることができるのは楽しいと思うけれど、沈黙していたい時だってあるに決まってる。悲しい時も苦しい時も言葉を紡ぎ続けていなければいけないなんて、それが仕事だとしても、大変なことだ。しかも見ている人達は必ずしもその紡いだ言葉を仕事でやっているのだとは見ずに、糸井さんという一人の人間から出てくる言葉だととらえるのだから。糸井さんの書くような文章というのは、そういう文章だ。

ある程度の高いレベルの言説を用いることが出来ないのならば、沈黙の方が有効であることは多い。話すことは隙を作ることで、反論の余地を与えるということである。話者というのはそれを承知でしゃべるのであると思うし、それを捌くのもあしらうのも無視するのも話者次第ではあれど、反論に晒されるストレス自体は覚悟するのである。
でも沈黙をしていれば、劣勢になることはあっても、足元をすくわれることはない。沈黙はいろいろな意味を含みうる。でも決定的な意味を本人が明かさない限りは明らかにされない。だからその沈黙は推測しかされない。

それに、攻撃されるされないにかかわらず、沈黙していたいときというのはある。


・震災後に制作されたACのCMは気持ち悪い
ポポポポーンはよくても、SMAPやトータス松本は見ていられないのである。
自分がこんなに全体主義的な雰囲気に反発を覚えるとは思っていなかった。気持ちはわかるんだけど、どうもだめだ。


・そういえば、また上京してます
水など気にならないことはないけれど。

March 22, 2011

こころよ

ほんとうに大切なことは、目に見えないんだ。


・・・


「右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」マタイ6章3節


「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」ヨハネによる福音書12章24節


「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」テサロニケ人への手紙5章16節~18節


「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。

幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。」
コリント人への手紙第1 13章8~13節


「むくいをのぞまで ひとにあたえよ、
こは主のかしこき みむねならずや。
水の上(え)に落ちて、流れし種も、
いずこの岸にか 生(お)いたつものを。

浅きこころもて ことをはからず、
みむねのまにまに ひたすらはげめ。
かぜに折られしと 見えし若木の、
思わぬ木陰に ひともや宿(やど)さん。」
讃美歌536番「むくいをのぞまで」(1954年版)

March 4, 2011

CMを見て人生を思い孤独に安心したりする日常風景

■最近好きなCM
UR賃貸:クラムボンmitoさんなど
養命酒:渋谷慶一郎を使うところが素晴らしい
三井不動産レジデンシャル:言わずと知れたAcross the Universe
エステー:センスが好き


■人生が崩壊の過程であるということ
ピンボールの「どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程にすぎない」という言説について。
「人はいつか死ぬ」「ネタばらしすんな!」というツイートがあったけれど、ほんとネタバレの今生を、終りが来ると知りながらそれでも明日は今日より素晴らしい、と前へ進んでいくわけで、でもそっちは前なのかも本当はわからないわけだけど(BY トモフスキー)、ただそんな風に言ってしまったら元も子もないのである。鼠よ。
そこまで見てしまった上で、それでも生きているのだから、生命のちからというのは本当に力強い。麗しい。
でも、みんなそれどうしてるんだろう、と思う。私も。見ないふりをしているのか、見てもどうにかなるものではないので気にかけないのか、特に気にならないのか。きっとそこで一度立ちすくんでしまうのが文学者であり、それでも生きながら我慢強く考えて表現して世界のコアをなんとか見通そうとするのが春樹であり漱石であるような気がするわけで。(それは文学者という人々が文章というものを使っているから特にそう見えるだけでもしかするともっと違う分野の人もそうなのかもしれない)
壮大な暇つぶしであれ、咲いて散る花のようであれ。「負け試合を意気揚々と」、だな。


■孤独という考え方について
私にとって孤独とは近しいもので、寂しいというよりは安心する考え方であるということに気付く。孤独であろうとするのはそっちの方が楽だからだ。孤独でない、または孤独であってはならないという考え方の脅迫。絶望感。でも、孤独というのは寂しくて、でもすっきりとしてて、そんな心もちすら楽なものなのだ。

私は、人間に必要なのは孤独を感じる時間と感性だと思う。
自分が一人の独立した人間で、時にはいろいろな人と関わったりコミュニティに参加したりするけれど、しかしそもそもはたった一つの生命体であり、人間であり、魂であると実感すること。そしてその魂を理解し護れるのは基本的に自分一人なのだということ。
そういうもともと別々の者同士が、ときたまわかりあえたりするのが感動したり嬉しかったりするのだということ。そう思ってればわかりあえなくても悲しくないし、別に腹も立たない。腹をたてる筋合いのものではない、そもそも。誰かの価値観や考えが優っているわけでも、誰かが誰かより価値があるわけでもない。価値というのはフィクションだからな。
しかし、みんな最後は死ぬって平等でいいシステムな気がする。
まあ人間とか生命って根っこのところでみんなつながってるような感覚はあるわけだけれど。
ただそれは意識上には上ってこない気がするんだ。無意識になったときに混ざったり溶け込んでるじゃないかな。

February 19, 2011

近況

まためもなど。

白州(日本のサントリーのウイスキー)は香り高く芯がしっかりしていて清冽で高貴。
酔っ払いになるつもりがすっとしてしまい、飲んでぐだぐだというような失態を許さないような気がするお酒だなーという主観。すっと胸の内に透きとほった琥珀の風が起こる。
日本のやつは竹鶴と山崎と余市くらいしか飲んだことないと思うのだけど、どれもそういう雰囲気。
アメリカのやつは、なんとなくだけど禁酒法時代の西部女になれる気がする。


坂本弘道というセロ弾きが気になる。前衛的なセロ弾きで「市電うどん」と検索すると某チューブで見れるし聴ける。moonというゲームで、「真夜中大学のテーマ」とか「月魚」を弾いていたのだ。とにかくあのゲームが私に与えた影響ははかりしれない。特に音楽。いろいろなものの入口になった。
※参考:月魚ドガ(「市電うどん」)
ノイジーなストリングスが結構好きで、先日バッハの無伴奏チェロのCDを買った。ついでにカラヤンがベルリン・フィルでピアノをくっている素晴らしいラフマニノフピアノコンチェルト二番も。カラヤンあの音の統一感。オーケストラが一体となるってそういうことなのかと思う。個人的には音がこぼれ落ちてくるような演奏も一方で好きだけれど。
N響オーチャード定期を狙いたいところだが果たして。


途中というものの美について。
たとえば美しい花が朽ちていく途中。人が干からびる途中。如来像より上人像。


「告白」は、私にはストライクゾーンど真ん中でした。
そもそも中島監督のは「嫌われ松子」も映像も内容も大好きで。これは独り家で号泣した。最初っからずっと泣いていた。iPodには「まげてのばして」が入っていて今でも聴く。
あの一コマ一コマが美しい絵になっている映像センス、世界が醜く、でもそれすら美しく描いていて。美しさって気持ち悪さと紙一重だ。耽美とかでもなく。ただ、淡々と。自然が時に醜く気持ち悪いように、それでもその中に美しさを見出すように。
この作品は映像が綺麗なだけなのではない。あの中学校の教室の、言葉の通じない世界の喧騒と彼らだけのルールやコミュニケーション、プールの雰囲気。それらを完璧にあくまでリアルとして構築し、原作自体をあんなにも活かし冴えわたらせる。あまりに美しい風景とそれらの残酷な行動はひとつで。レディオヘッドやら渋谷慶一郎やらの音楽、テーマの重さにも流されない一貫した冷静な目線。このひとはこんなにも世界を理解している、と思う。

この世界で起きている事象は同じ重さでただ起こり、流れているのだということ。殺人も報復も制裁も衝動も抑制も。
「『でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね』」
村上春樹「1973年のピンボール」より

そんなところで人間は生きている。よくない事象が起こり、感情がかき乱され、大きくうねり、その渦の色彩の中に光を見いだす。
松たか子の見た光。

あらゆる意味でものすごく今っぽい映画だ。

中学生の無邪気さ。悪意なのに単純な。


coedoビールの白飲みたいなあ。

February 14, 2011

1973年のピンボール

読了。以下メモ。


行き詰まり
変化
腐敗
崩壊の過程
ひとり
細かな粒子
変化
reset
現在
すり抜け


「ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。」

「一九七三年、そんな年が本当に存在するなんて考えたこともなかった。」

「誰もがめいっぱいのトラブルを抱え込んでいるようだった。トラブルは雨のように空から降ってきたし、僕たちは夢中になってそれらを拾い集めてポケットに詰め込んだりもしていた。何故そんなことをしたのか今でもわからない。何か別のものと間違えていたのだろう。」

「彼女はナイフとフォークで器用に海老の皮を剥きながらボソボソ言った。『誰も私のことなんて好きにならないわ。ロクでもないゴキブリ取りを組み立てたり、セーターを繕ったりして一生終わるのよ』・・・『君は可愛いし魅力的だし、足だって長いし頭だっていい。海老の皮だって上手く剥ける。きっとうまくいくさ』」

「『そしてこう思った。どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程にすぎないじゃないかってね。違うかい?』」

「わからない。良い質問だが答がない。良い質問にはいつも答がない。」

「僕たちがはっきりと知覚し得るものは現在という瞬間に過ぎぬわけだが、それとても僕たちの体をただすり抜けていくだけのことだ。」

「そして一日、窓の外を通りすぎていく十一月の日曜日を眺めた。」

February 12, 2011

告白

世界の
美しさ
人間
気持ち悪さ
物語
重さ
事象の等価性
沿う
液体
焼きつく
語る
シームレス
藪の中
ただそこにある光景
escape

February 1, 2011

部屋の中

昼間の部屋で、電気を消しているのが結構好きだ。
実家の窓は大きいので、昼間は自然光だけで十分生活できる。
でも夕方になっても、あんまり電気をつけたくない。
暗順応。

暗いところでは色味はほのかにしか存在せず。シルエットとか光の具合とかそれがきれい。なんとなく安心する。統一感の問題なのかもしれない。
江國香織の小説に、「くもりが好きなのは怠け者の証拠」という言説があってげにげにと思った覚え。
薄暗さの中で意識もたゆたう。

日本の、the蛍光灯!っていう照明が外国人からするとまじでいただけないというのはinoブログか何かで読んだのが頭の片隅に残っているのではあるが、ほんとそうだなあと思う。それはそれでいわゆる高度成長期、90年代的なダサさがよかったりはするのだけれど、夜になって部屋の電気をつけるときというのは、遊びを終わらせられたような子供の時のような興ざめた気分がするものである。急に蛍光灯の明かりに照らされて俗っぽさを取り戻した物物。それぞれが統一感など無視して自己を主張する騒々しさ。新宿みたい。ドンキ、ヨドバシ、アルタ、ルミネ、無印、伊勢丹!ごちゃごちゃ。

そんなこんなで風邪と付き合って早5日。

January 19, 2011

違和感

すぐれて作者の独立した文学作品を読んだり、世界の底の底の方を流れるものを汲み取ったような音楽を聴いたりすると、今やっていることがすごくチープなものに思えてくる。

たとえば村上春樹が小説の中でスパゲッティを茹でているところを描写していても、その一節を読んでふと自分の手元に書き付けたメモを見ると、そのメモが非常に安っぽいものに見える。ばかばかしく思える。小説の中で「いかにもありそうな」メモとして主人公が一瞥をくれて「やれやれ」と言うに決まっているように思える。


生活を営むということはものすごく細かくて極めて現実的な(でもあまりにfictionalな)作業の積み重ねで、そういうことに我々は気づくけど気づかないふりをしたりそれを諦めたりしながら生きてる気がする。
それを指摘したからといって生活をし続けることに変わりはないのだし、それを斜に構えて見るよりはまっすぐに見た方がストレスは軽減されるかもしれない。
でも軽減されない、むしろ増大する人も勿論いるわけであって、私はそっちの方だなと思う。
そしてそれを、生活から離れたひとつの独立した視点からメタに語るのがそういった文学作品であり音楽作品であると思う。
そういう意味で彼彼女らはとても孤独に見える。メタな視点で語ることはもうすでに違う場所から世界を見ているということだと思う。


たとえば何かをすることに違和感を感じながら、でもみんながそうだからとか、違和感を口に出して言ってしまうとつまはじきにされるとか、そういう理由で口に出さずにじっと耐えるということを、社会生活をする以上はどうしても強いられるのであり。
それでも多分私は、小さい頃からそういう違和感のあることをできるだけ避けながら、でも孤立化することは幸運にも避けられて、狭くても居場所を見つけて生きてきたんだろうなと思う。いやなことはどうしてもいやで、納得のいかないことはどうしても納得がいかなかった。いる場所がそういう風になっていくのなら、立ち去った。
そういう生き方をしていると、どんどん狭くなって、いつか行き詰まるんじゃないかと、もっと我慢したりしなきゃいけないんじゃないかと思ったこともあった。もう大人だし。


でもそういう作品にふれるたび、これでいいんだなと思う。

我々はもっと自由なはずだ。思想や観念からも。



そういえば、こないだ糸井さんがほぼ日でこう書いていた。
 
---------------------------------
 ことばこそ「超能力」なんじゃないか。
 そういうふうに思ったことがあります。
 お遊びみたいなことだけれど、
 ことばで、スプーン曲げだってできます。
 あなたは手も使わないし、
 スプーンに触れさえもしないでね。
 遠くにいる誰かに、スプーンを持ってもらって、
 こちらからことばを送るんです。
 「曲げて!」とね。
 そしたら、かなりの確率でスプーンは曲がります。
 うまく曲がらなかったら、
 「頼むよ」とか「お願い」とか追加のことばを送ります。
 
 「そんなの、あたりまえじゃん、ばからしい」
 そう思われてもしょうがないけれど、
 じっさい、他のどんな方法よりもすごい能力じゃない?
 
 そんなことばを、ぼくが日本の東京のある場所で、
 文字として書き記しているんだけど、
 そのことばが、会ってもいないあなたのこころに、
 なにかを感じさせたり、別のことを考えさせたりしてる。
 ひょっとしたら、明日や明後日よりも、
 ずっと先のあなたの行動にも作用しているかもしれない。
 
 ことばが、音の波に乗って遠くまで近くまで行く。
 ことばが、文字のかたちになって、過去や未来まで行く。
 ことばが、人を震わせる。
 ことばが、人を傷つけたり、人を癒したりする。
 
 ことばという超能力以上の超能力のことを、
 ぼくらはもっと信じたり恐れたりしてもいいと思う。
----------------------------------


これ多分、言葉は顕著だけど、音も、写真も、書も、器も、絵も、建築も、彫刻も、多分そうだなと思って。
人に何かを、割と本質的な何かを伝えようとする作品は作者の死んだ後々まで他者に届く。すごいことだ。


で、引用の最後のほう、「言葉を恐れる」ということ。言葉の使い方のうまいやつが、世の中を仕切れるようになっていくというやつ。
糸井さんが以前吉本隆明の言葉を引いて書いていた「沈黙」ということについての考え方。
昔のエントリ「言葉のこと」

子供たちは、大人に比べて言葉を扱うのが上手じゃない。だから、言葉で伝えきれないことがたくさんある。子供たちと接するとそれがわかる。でも、言葉じゃないもので一生懸命伝えようとしてくれていたりする。表情とか、仕草とか、言葉が言葉の本来意味するように使われていないこととかで。そこにあるのはものすごく繊細でピュアなひとつのたましいで、それを蔑ろにすることなんてしちゃいけないと思う。


つまり、最初の話とつなげると、言葉をうまく扱えることや話す内容がすらすら出てくるということが最重要であり、それができるのが最も優れた人間で、できないのが劣った人間であるという価値観に、私は違和感があるし、そうでなければ必要とされない社会なのであれば、そこを立ち去ることになるのかもしれないと思ったよ、ということ。

January 18, 2011

memo

くもる
視界
色彩
ひととひとと

てざわり
ぬくもり

January 12, 2011

あかり from it

月が今日は、真っ二つの半分で、この月ってバングラデシュでも見れるんだろうかなんてことを考えたりして。

何にしてもはんぶんこの月。

と、放哉か山頭火かといった風情で考えたところで、あ、月を挟んで向こう側に誰かがいたら、本当に月をはんぶんこしてるんだなあと思う。


夜道を歩くとやたら灯りが目につく。
街灯でも、ビルの中の灯りでも、家の灯りでも。なんてきれいで、なんて安心するんだ光って。
一つ一つの光源が、人のいる場所を照らして。手元足下を照らして。
そしてその一つ一つにまで、電力が行き渡っている驚異。

THE ELECTRICITY IN YOUR HOUSE WANTS TO SING/I am Robot and Proud

電気が歌いたがっている!

で、思い出したけど、小学生の時、社会科の授業で環境問題をやっていて、お話を作ったことがあったなあと思う。「しずく」くんの。(Drippyを知るより前だよ!ってことだけ一応)
「しずく」くんは水道管の奥の方で、自分の出番を今か今かと待っている。ダムから浄水場を経て来た長い旅の末に、何に使われるんだろうと思ってわくわくしている。野菜を洗うのかもしれない、スープになるのかもしれない。そうしてついに蛇口から出た瞬間、しずくくんは何にも使われずにひゅうと排水口へ流れこむ。使っている人が水を出しっ放しにしながらよそ見をしていたから。
失意のうちに彼は下水処理場へ運ばれ、海へ流れ出る。

水のむだづかいはいけませんよ。


にしても、電気の使い道の中では「光る」っていうのは花形なんじゃないかなあと。電気界の中では。

January 11, 2011

N

何にしても言葉が出てこない。

何かについて語ることはできる。何かについて語れと言われればどうにかこうにか、むしろするすると言葉は出てくるような気さえする。
でもその書きたいと欲望する何かが出てこない。
自分の心の動きを仔細に観察して、つまりスキャニングして、その小さな違いに気づいたところでso what?ってなる。
多分言葉にするかしないか(できるかできないか)というのは、そこでso what?と思うか、そうは思わずにどんどん書いちゃおうと思うかどうかというその時の気分の波によるのかもしれない。

物事は他のものの相対としてしかとらえられない、とか昔書いたけれど。真偽はともかく。
今と昔を比べてもいいし、昨日と今日を比べてもいいし、音楽と絵画を比べてもいい。そこには絶対に何かを捉えられる。比べるという行為自体がその複数の事柄の「違い」を前提として行われる行為なのだから。その違いをとりだして眺め回してあれこれ言うことはできる。
そうやって書くことをひねりだすことはできる。

でももともとso what?って思っちゃってることを書いたって仕方が無い。
そういうのがすごく苦手だからこそ、つまり自分を乖離させたくないからこそ、私はいまここにこんな風にぽつりと立っているのだ。途方にくれて。
so what?って思ってる事をそれに気づきながら我慢してやりつづけるというのに堪え性が無い。Rollin' Rollin'

「ぼくを探しに」という絵本があった。パックマンみたいな簡単な絵の「ぼく」が、足りないかけらを探して転がる話。
転がってるのかなー。
そこらへんに落ちてるかけらを飲み込んで、ときたまぶつかって欠けて、砕けた誰かの破片が刺さったり。
何重にも層になって、グラデーションを描いていたり急に色が変わったりしながら、質感すら変わりながら、結局どんどん肥大して、恒星のように爆発するのかしら。そこはブラックホールになって、そこらの小さな破片を吸い込んでしまうのかしら。


ふむ。
書くことがないっていうことをテーマに書いてしまうくせはなかなか治らんな。

January 9, 2011

つながり方など

Pre-schoolなど。
なんだかんだ好きかもこれ。もう解散してしまったけれど。

誕生日の贈り物を頂いた。ウヰスキー。無色透明なるサントリイウイスキイ!BY太宰
いや透明なそれ飲んだら死んじゃうのだけれども。本当は琥珀色だけれども。
そういうわけで軽はずみに28歳になってしまった。而立の30まであと二年しか無い。


お礼かたがた手紙を書いた。
高校時代から続く、それはもう全くスタイルの変わらない、話し言葉をそのまま文字にしたような、字自体が自分を表しているように表情を持つ、支離滅裂で連想に富んだ、自由気儘な、手紙。
ブログで書く文章はこんなに変遷があるのに(昔の文章とは大分雰囲気も違う)、彼女との手紙だけは全然変わらず。勢い余って書きすぎる。世界史の覚えたての事柄で連想ゲームをしていたのと同じように、近況や小ネタを織りまぜて出産のお祝いを述べていて。
思へば遠く来たもんだ。


なぜだかメールではなく手紙の方が饒舌で。
人と人とのつながり方は多種多様なのだなあと思う。それぞれに適した距離感やテンポに付随して、手段がある。
たとえばツイッターで、たとえばブログを見ていることで、たとえば電話で、たとえば携帯メールで。
そういえばツイッターがミニブログと紹介されていたとき、すごく違和感だったのだが(私の中でのブログはツイッターでの表現方法表現内容とかけ離れていたから)、対「個人」でなく対「場」への発信という意味ではミニブログと言えんこともないなと今思った。

そんなわけで明日投函いたします。
post.
寒中見舞いも出しました。


そして今この文章を締める時にはストラヴィンスキーの「春の祭典」。

January 1, 2011

2011

久々に真面目な文章でも書いてみたい。


年頭です。
旧年中はご高覧賜り、ありがとうございました。今年も宜しくお願いします。


一昨年の大晦日に
「来年の目標は、断酒です。」
と書いてあった。
一滴もお酒を口にしなかったかといえば、それは結局無理だったわけだけど、節酒には成功したと思う。酔っ払うということは去年は1,2回しか無かったんじゃないかしら。
胃を痛めたり、薬を飲んでいて肝臓に負担をかけてることを気にして、お酒を控えていたわけだけど、そもそもお酒は味わうものだなと思うわけで。日常的に飲むよりは、ちゃんと飲みたい。
でも、飲みたいって気分になるときはあるわけで、でも去年酔いたい気分にそんなにならなかったりするのは仕事してなかったのが大きいなと思う。酔いたいのは、反動だ。


去年のことを振り返ってみよう。
自分の中を捜索して、いろいろな思いや考えを発見して、言葉を紡いでいって、そういう作業にもだんだん飽いてきて。
塾のバイトなんかを始めたりして、人とか子供たちと接するということがこんなにうれしいことだったんだなと認識したりして。
どんな些細な仕事でも、人の役に立つということがこんなに充実した気分を生むのだということを認識して。
二年前からいる沖縄の時間の流れに、家族の特別感に、やっと慣れてきて。沖縄の日々が日常になって。
と同時に感じるのは行き止まり感。
10月、友人の結婚式で東京に行けたのは本当に大きかった。あの場所にあの時戻ることで総括出来たのだと思う。


それで、大切な人を見つけたところ。
率直に言うと、この出来事があまりにインパクトで去年の他の出来事を思い出せないほどだった。
あまりにぴったりで、何もかもが安心で、それが伝わって。今までのあらゆることが伏線のようで。
この世界を生きて行くのにこんなに心強くこころたのしいことがあろうか。

信じたいと思いながら、何も信じていなかった。
人が二人でいることが自然なことであるということも、解りあうということが可能だということも、同じものを同じように感じることができるということも。
人は独りで生きるものなのだと思っていた。それが真理であると。
安吾が「恋愛は人生の花だ」といっても、散る花を切なく思うより花のない人生でもいいではないかと。
草食此処に極まれりという風情で。花より団子より草。


これまで考えてきたいろんな人生の道中の苦難のこととか、疲労のこととか、自分という存在の卑小さとか、価値の有無とか、世界のこととか、そういったあちこちで悩み考えていたかたまりが氷解していく。

わからないことだらけ でも安心できるの

っていう詩は中田ヤスタカ名言だと思う。
わからないことだらけで、神様にもなんでですかって問い続けて、自分でも考え続けて、見たことがなきゃ劣等感で、理解できなきゃ不安で仕方なかった。
でも、わからないことばかりでも、大丈夫だ。
ここは本当に大きな自分の中の変化なのだけど、神様はいると確信できた。


「安心安心」
――「鉄コン筋クリート」より


遐(はるか)なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。
――夏目漱石「虞美人草」より


そういうわけで、スタンスは若干変わるだろうし、そのせいで問題意識も変わるだろうし、そのために更新頻度も変わるだろうけれど、よろしければ今年も何卒よろしくお願いいたします。