February 22, 2013

近況20130222

随分書いていないとは思ったけれど、昨年の10月から書いていないとは驚きです。

10月に書いた直後くらいに、母の癌の再発がわかり、その前に大阪とかでセカンドオピニオン等いろいろありつつ11月には休職して沖縄へ、その後ずっと沖縄にいる。
母の癌が難しいタイプのもので、抗癌剤が効かない可能性が高く云々という話で、とりあえずベストを尽くすということでまとまり、家族でサポートしている。

私にとって、だけではなく誰にとってもだと思うけれど、母親というのは唯一無二の存在で、母がいなくなってしまうと想像するだけで堪らなくなる。
幼い頃から本当に自分の本質を自分以上に観察してわかってくれて、いいところを大事に伸ばして潰されないようにいろんなものから守ってくれていたと思う。なのに私は不甲斐なくて、結局30になるまでの間、親孝行らしいことは何もできていなかった。
私はこの機会に、副作用で吐き気の強い間も何か食べられるように料理に工夫をしたり、病気のことや栄養についてネットで調べ物をしたり、マッサージをしたり、というようなことをしているわけだけど、それができて本当によかったと思っている。
この先を見通すことは出来ないけれど、とにかく人事を尽くして天命を待つというところで。

10月の再発からはじまって、私は不安や疲労で何度か泣いたけれど、結局いつも心が落ち着いている。それは母も同じで、キリスト教に依っているところが本当に大きい。
大雑把に言うと、祈る、進む、祈る、の繰り返しなのだけど、その間に直感に近いかたちで、違和感なり納得感なりが、心に去来するのを感じ取れる。信じるというのは、結局そういうものの積み重ねなんだろうと思う。心は正直だから、頭で「信じる」と決めたからといって信じきれるものではなくて、感じた違和感はどんどん大きくなっていってやがては「信じる」ことが難しくなっていく。
違和感を認めること。
一歩踏み出してみること。
わからなかったら尋ねること(答えは何らかのかたちで与えられる)。

今もたくさんの目に見える形での助けや励ましが、タイミングを見計らったかのように届く。たくさんのひとの優しさやいたわりを感じることができるし、それは神様からの贈り物だと思っている。
だから、私は、母自身が納得のいかない形で召されてしまうことはないだろうとなんとなく思っている。

最後に引用でも。

『もちろんぼくらは誰もが限りのある存在ですし、結局は敗れ去ります。でもアーネスト・ヘミングウェイが看破したように、ぼくらの人生は勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです』/村上春樹「かえるくん、東京を救う」